龍山義弘の武道求道録

人生を通じて、様々な武道や出来事に挑戦する過程を綴っていきます。
「人生はチャレンジ!」 命尽きるまで全力投球!

生死をかけた戦いとは!

2011年11月29日 | 武道論
相撲連盟のかどや先生にお借りした本。
「小野田少尉発見の旅・大放浪」興味深く一気に読みました。



冒険家の鈴木紀夫さんが、ルバング島のジャングルで小野田さんを発見し、小野田さんの元上司・谷口少佐と救出に向かい、「作戦を停止せり!」と谷口少佐が命令書を通達し、ルバング島からの救出に成功するまでの様子も詳細に記されているので、ひさびさにワクワクしながら本を読みました。

ユーチューブで小野田寛郎氏のドキュメンタリー番組「生き抜く」も見て、前日の予習もバッチリです。pc

1時間番組かと思いきや、深夜12時に見始め、全部を見終わったら2時を過ぎていました。5部編成の2時間番組。

おかげで小野田さんの幼少期から現在までが、完全に頭に入りました。

なぜ、小野田さんについて勉強をしたかというと、小野田寛郎さんと食事が一緒に出来るという、またとない機会を森高先生(県相撲連盟会長)に設けて頂けたからです。

私たちの年代より上の人たちで、小野田寛郎さんを知らない日本人はいないのではないでしょうか。

「ルバング島で小野田さんが発見される」という日本を驚かせた事件は、昭和49年3月でした。

私が、小学3年生(8才)の年です。まだ、小学校の中学年ですから、事の本質よりも、どちらかというと漫才コンビのB&Bの洋八のアフロヘアをジャングルに見立てて、洋七が、「小野田さ~ん!」とアフロヘアの中に向かって叫ぶギャグの方が、印象に残っているぐらいです。

漫才のギャグになるぐらいの有名な人。

当時の報道特別番組「小野田さん帰国」は、45%の視聴率を記録したそうです。

太平洋戦争終結から29年間、フィリピンのルバング島で戦闘を続けていた小野田さん。

島の人に見つからないように1日40キロを歩き、毎日、土の上で寝て、耳の中に入ってきたアリに鼓膜は食い破られたといいます。ジャングルの中で雨の日も風の日も、29日間でも大変ですが、29年です。

戦争を経験していない私には、とうてい想像がつかない世界。

どういった覚悟と死生観をもって生きてこられたのか、実際にお会いして、少しでも感じ取って、今後の人生の参考になればと食事会に臨みました。

実際にお会いした小野田さんは、89才とは思えない、しっかりとした口調。そして、背筋がビシッと伸びています。

優しい品のある高齢の紳士といったオーラが漂っています。kirakira2

現在の姿もドキュメンタリー番組で見て知っていましたが、昭和49年の帰国記者会見の鋭い目つきの軍人・小野田少尉と同一人物とは、どうしても思えない。一致しない。

頑固者といった感じでもありません。むしろ正反対。

食事中でしたが、小野田さんと奥様に近づき両手で握手していただき、いろいろとお話をさせていただきましたが、やはり実感が湧きません。

こちらを包み込むような神父さんみたいな感じ



「いつもジャングルの中を40キロ歩いていたそうですが・・・。」

「雨の日も土の上で寝てたのですか・・・。」

「耳ダレが出て、それを求めたアリが耳の中に入って鼓膜を・・・。」

昨夜、見たドキュメンタリー番組のインタビュアーそのままでした。

我ながら、もうちょっと気の利いた質問を用意しておくべきだったと思いながらも、喋り続けました。

「聞かれ飽きたことばかりなのではないか?」と思いましたが、すべて丁寧に答えて頂けました。

もちろん話しているとき、小野田さんは一切食べ物や飲み物に手を付けません。



生と死の境を感じながら89年間生きてこられた小野田さん。
ルバング島から帰国した後の小野田さんの人生もバイタリティーあふれるものです。

「一度しかない人生。人間死ぬ気になれば、何でもできるよ!」

そんなメッセージが伝わってきました。

小野田さんが、これからも長生きされることを祈ります。
お会いすることが、出来て良かったです。

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