私は、小学生の5年間を戦争の中で生きていた。訳のわからないまま、強い軍国主義に洗脳されて出征兵士を送り、大本営発表の嘘に騙されながら、日本は神の国で正義者、敵は鬼で悪者と思わせられた。それが、沖縄を失い、原爆を落とされ、東京都をはじめ多くの都市が戦禍に遭った。打ちてし止まん、一億玉砕をモットーに耐えがたきを耐えた。
敗戦放送の録音も、反対派の軍人に奪われる恐れがあったほど、戦争を続けたい人もいたくらいだった。しかし国民は、敗戦により灯火管制から解放され、夜もびくびくせずに明かりを点ける喜びに浸っていた。そんな状態でも女学校の受験のため課外授業を受けていたことは、忘れられない。女学校に入って、それまで戦時の勤労奉仕に携わっていた上級生と共に、畑仕事をしたことも忘れられない。学びながら、アメリカからララ物資をもらったり、洗濯機、冷蔵庫があることを筆頭に、アメリカとの文化の違いを知らされることになった。民主主義というのも新たに知って、アメリカが遠い夢のような国に思えた。日本の年齢は15歳と言われたのは忘れられない。
間もなく新憲法が作られたが、子供の私は知る由もないことを成長するに従って知ることになった。それまで日本は明治憲法に従っていたが、その下に教育勅語があり、私たちはそれを暗記させられたものである。それは、そのころまでアジアに普遍していた儒教の教えが取り入れられたものだったと思う。終戦後でもその考えは尊重されたのか、新憲法の日本側の草案は、明治憲法とあまり違わなかったそうである。
一方、アメリカでも知識人を集め、軍国主義に戻らないような草案を考えていた。特に、日本在住の経験のある人が人権の部分を担当し、それまで、男女差別のひどさや、人権無視の状態を痛感していたのをもとに、外国の憲法を取り寄せて熟慮した上作成したと聞いている。それでも、日本の圧力で削除されたものがあったと聞いている。その後、この憲法は、世界に評判を呼び、これを踏襲したところもあるとさえ聞いている。
その後、民主主義とは何ぞや、男女平等とはどういうことかと、軍国主義に染まっていた日本人の多くは試行錯誤しながら戦後の復興に邁進したのである。そして、もう戦後とは言わないなどとささやかれながら、戦前想像できなかったくらいの復興を遂げることができたと思う。経済の発展のもと、日本人の考え方も自由奔放に解放され、文化も進歩に進歩を続けることができた。戦争を放棄したお陰で、他国に見られないほどの平和も手に入れたと思う。後進国への援助にまで手を伸ばす国際感覚も広がり、行動範囲も世界に拡がって行った。
21世紀も、それを更に上回る平和が訪れるだろうと想像していた。ところが、そのころから、人心の考え方が世界的に変わってきた。先進国にあっては物があふれているのに、後進国は飢餓の苦しみの中にいる。満ち足りた生活ができるのに、礼節に欠けるようになり、疑心暗鬼で軍備に力を入れる。日本でも、遠いところの戦争の火の粉がいつふりかかるかと心配になってきたのであろうか。日本憲法の、人は人として尊ばれるという基本理念が、しっかりと根付いていない利己的な
解釈に傾いて来ているように思う。文化の発達が、人心の向上に役立つ方向に向かわなければならない。数の力が、多くの弱い力の国民を抑えるような戦前の考えをすることは許されない。
敗戦放送の録音も、反対派の軍人に奪われる恐れがあったほど、戦争を続けたい人もいたくらいだった。しかし国民は、敗戦により灯火管制から解放され、夜もびくびくせずに明かりを点ける喜びに浸っていた。そんな状態でも女学校の受験のため課外授業を受けていたことは、忘れられない。女学校に入って、それまで戦時の勤労奉仕に携わっていた上級生と共に、畑仕事をしたことも忘れられない。学びながら、アメリカからララ物資をもらったり、洗濯機、冷蔵庫があることを筆頭に、アメリカとの文化の違いを知らされることになった。民主主義というのも新たに知って、アメリカが遠い夢のような国に思えた。日本の年齢は15歳と言われたのは忘れられない。
間もなく新憲法が作られたが、子供の私は知る由もないことを成長するに従って知ることになった。それまで日本は明治憲法に従っていたが、その下に教育勅語があり、私たちはそれを暗記させられたものである。それは、そのころまでアジアに普遍していた儒教の教えが取り入れられたものだったと思う。終戦後でもその考えは尊重されたのか、新憲法の日本側の草案は、明治憲法とあまり違わなかったそうである。
一方、アメリカでも知識人を集め、軍国主義に戻らないような草案を考えていた。特に、日本在住の経験のある人が人権の部分を担当し、それまで、男女差別のひどさや、人権無視の状態を痛感していたのをもとに、外国の憲法を取り寄せて熟慮した上作成したと聞いている。それでも、日本の圧力で削除されたものがあったと聞いている。その後、この憲法は、世界に評判を呼び、これを踏襲したところもあるとさえ聞いている。
その後、民主主義とは何ぞや、男女平等とはどういうことかと、軍国主義に染まっていた日本人の多くは試行錯誤しながら戦後の復興に邁進したのである。そして、もう戦後とは言わないなどとささやかれながら、戦前想像できなかったくらいの復興を遂げることができたと思う。経済の発展のもと、日本人の考え方も自由奔放に解放され、文化も進歩に進歩を続けることができた。戦争を放棄したお陰で、他国に見られないほどの平和も手に入れたと思う。後進国への援助にまで手を伸ばす国際感覚も広がり、行動範囲も世界に拡がって行った。
21世紀も、それを更に上回る平和が訪れるだろうと想像していた。ところが、そのころから、人心の考え方が世界的に変わってきた。先進国にあっては物があふれているのに、後進国は飢餓の苦しみの中にいる。満ち足りた生活ができるのに、礼節に欠けるようになり、疑心暗鬼で軍備に力を入れる。日本でも、遠いところの戦争の火の粉がいつふりかかるかと心配になってきたのであろうか。日本憲法の、人は人として尊ばれるという基本理念が、しっかりと根付いていない利己的な
解釈に傾いて来ているように思う。文化の発達が、人心の向上に役立つ方向に向かわなければならない。数の力が、多くの弱い力の国民を抑えるような戦前の考えをすることは許されない。