人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦である 第5章 アラカルト  めでたい日

2019-04-08 21:32:45 | 随筆
 今日は報道的には、お釈迦様の誕生日と学校の入学式の日でした。ごみを出しに出る時、”あ~今日は小学生が進級する日だ。一年生だけじゃない”と思い付きました。それでいつもは、「お早う、いってらっしゃい」という代わりに、「お早う、今日から何年生?・・・・おめでとう」と一人の子にも、複数で横並びしている子たちにもいいました。いつもより多い子供たちに言えました。

 そのあと、やっぱり子供たちの笑顔が私の心をちょっと元気にしてくれた気分が感じられました。「遊びをせんとや・・・」の所で、私は自分の心を楽しませることが、大きな夢を叶えるだけでない効果があるのだと申し上げました。染色体のテロメアが増えれば老化を防止するが、感動や前向きの考えがそれを増やす効果があるということでした。
 
 私は長いこと外国人に日本語学習のお手伝いをしていますが、教えることが、日常から離れた頭の部分を駆使することになり、終わった後のそう快感を常に感じていました。わからない人にわかってもらうように工夫するのが良い結果を生んでいたのでしょうか。決まった時間に行く時は重く感じる足も、終わった後の軽い足取りで遠回りして帰る足は不思議と違うなあと思わせられていました。

 幸か不幸か、私は80歳を経てから罹患しました。医学の先端のお世話になりながら闘病しています。多くの同病患者さんが仰っているように、心が乱れ暗い考えにさいなまれることがあり、病気を悪化させると懸念しています。そんな時小さくても心に灯を点けてもらうと、希望が湧き、闘病の気持ちが鼓舞されます。そんな気分の上下降に振り回されながら、医学の進歩に身を委ねて行こうと思っています。TVの内容も、必ずしもよいものばかりではありませんが、ご不幸な方に心を寄せたり、若い方々の偉業に喝采したり
何といってもピッカピッカの小学生の成長を祈りながら、私もその一員である幸せを噛みしめて参ります。



 

人は考える葦であるー第5章 アラカルト 美しい日

2019-04-01 15:16:51 | 随筆
 今日4月1日は、日本人のほとんどが新元号の発表を待ちわびていた特別の日でした。私も、天皇の即位と同年にはからずも退職し、ボランティア活動を始め今年30年経ちましたので、朝からゆっくりと過ごしてその時間を待っていました。私は、天皇と同じ学年で同じ年代を過ごして来ましたので、私もできたら専業主婦業から解放されたいという気持ちでした。そして、この天皇の譲位を心からお喜び申し上げており、良い名がつくことを祈っていました。

 発表された元号は「令和」。私の希望の字が入っておりましたが、令は、命令とか法律等で使用するなじみの薄い字でした。そして、総理の談話で、「人々が美しい心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味であるとおっしゃいました。字にはついぞ美しいというイメージがなかったのでびっくりしました。とても理想的な素晴らしい解釈を大歓迎しましたが、平成の終わりが、あまりにも暗いニュースが多かったので、国民に浸透するのは難しいのではと不安もありました。万葉集の解釈も難しく、心安らかな情景を感じることはできますが、そこまでの道は険しいものがあるのではないかと感じました。

 私は、今朝、戻り寒のような中を収集日に合わせてごみ捨てに行きました。この頃は、ごみも重いしステーションのふたも重く感じるような作業でした。すると、車でごみを捨てに来た男性がいたので、ふたは開けたままでいて欲しいと内心思っていました。遅れて着き、資源ごみの方を出していました。男性は、私が家庭ごみの方へ行くと、ふたを開けたまま私のごみを入れようとするのです。私はそこまで迷惑をかけたくないと思い固辞しましたが、何時までも待って下さって帰ろうとしないのです。私はそれに甘えて、コート姿の紳士にごみを託したのです。「ふたを開けて頂くだけでもありがたいのです。ありがとうございました」とお礼を申し上げました。男性がごみ捨てをするだけでも、良い家庭が偲ばれるのに、他人のことに手を貸して下さる方は、いまどき珍しくなったのではないでしょうか。

 私は、今朝はほんとうに心温まるスタートが切れたと思っていましたが、元号が発表されて、美しい心を寄せ合ってとはこのことだと、自然に涙ぐんでしまいました。討論会や話し合いで議論するよりも、このような実践が私たちの社会には大切なのではないかと改めて感じます。