人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦であるー第6章  スケール

2020-09-27 22:05:19 | 随筆
 私の日本語の生徒は、職場でも管理職になっているのではないかと思うほど仙台生活が長くなりました。初めて教えた時は市民センターだったのでバスで来ていました。次に不便だろうということでスーパーの休憩室で教え、自転車に変わりました。私が家の近くのレストランに変更してもらったときはカブになっていました。その間日本の交通規則を教え、普通車の免許を取り必要に応じて運転していたようでした。

 日本語学習の折々に、故郷オハイオの話も聞いていましたが、周りはファームの田舎だということは言っていました。日本では、犬を飼うと必ず散歩をしなければならなくて・・・と言ったら、実家では、子供一人に一頭ずつ飼っているけれどドッグランする位の庭なので、しないということを聞きびっくりしました。お父さんはスイカの栽培をして、いつもたくさん食べているそうです。彼女は、年1度のクリスマスと新年にかけて帰省するので、スイカが食べたいと残念がっています。その近く(といってもどの位離れているかわかりません)の幼馴染がジンバブエの大使館で働き、今年東京に転勤になって14日の拘束から解放され会えるのを喜んでいました。

 来日して3回も続けて富士登山した彼女はある時、北海道をレンタカーでドライブすると言って出かけました。キタキツネに遭うとか、事故が多いとか冷やかして送りましたが、レッスンにはいつもの普通の顔で戻ります。沖縄にも行ってダイビングの写真を見せてくれたり、登山する友達の練習に泉ケ岳に登ったりしています。

 先日は、寒立馬を見たいと青森に行きましたが、レンタカーで行ったと言われ、その時は気にもせず、現地の近くから車で行ったのだろうと思っていました。しかし、次の週に、日光の東照宮に行ってきたと又お土産をもらってしまいました。又レンタカーで行ったというので何処から?と聞いたら仙台というのです。私は「え?」と一瞬びっくりしました。あのつづら折りのイロハ坂を登ったのかと。貸し切りバスでさえ苦労して上がっていると思っていたのに・・・。

 やはりこの人は私たちとスケールが違うんだと、しみじみ思わせられました。来て三年続けて富士登山したり、今年も登ろうと思っていたのにコロナの影響でクローズしたのをとても残念がったり、沖縄でダイビングしたり、この他にも、帰省や海外への旅行など飛行機の利用は全く負担に感じていないようです。私も同年代では、そこそこ海外旅行はしましたが、現在は国内旅行の回数も絶えてしましました。自粛のせいではなく、加齢の坂を下りているからなのです。生まれ育ったところが違うだけで、頭の作りがこんなにも違うのかと感じさせられたひと時でした。今の日本の若い人たちも、先達のあとを切り開き大きい広い世界に羽ばたいて行くことでしょう。日本の狭いところでコロナと闘う日本人たちは、海外の爆発的な数よりは少ない発生率で済んでいることは喜ばしいことと思います。(?)




第5章 アラカルト -国の行方

2020-09-02 15:05:56 | 随筆
 秋を迎えてもコロナとの生活が続いている仲、首相の退陣という大きな出来事に日本は大揺れに揺れています。今までも長期政権が必ずしも良いという評価をしなかった国民の前に、これからの日本の未来を占う次期政権の予想にマスコミは多くの時間を割いています。空白の七年ともいわれるこれまでの政治に、国民の多くは十分な満足感を抱いたでしょうか。

 今でも何度も報道の俎上に上がるかけもり問題、桜を見る会の疑問に納得のいく回答を逃れたままそれにプラスして新コロナウイルスへの数々の失策に、国民は外国のようにデモをするわけでもなしストをするわけでない冷静な態度で批判しています。これは、エッセイの範囲を超えるかもしれませんがどうしても言わずにはいられません。いや、国民のほとんどが忸怩たる思いでいるのではないでしょうか。

 それは、今迄一強と言われた政権の欠点を嫌というほど見せられて来たのに、それがそのまま引き継がれる路線が敷かれているからです。国民が見ても明らかに現在の悪政をそのまま引き継ごうという古き自民党の派閥が多勢に無勢の力を悪用して、拙速にその路線で簡単に決めようとしているのが見え見えではありませんか。防犯カメラが強盗が金庫を盗むのをはっきり映しているのに、手をこまねいて見てるしかないのと同じだと思います。中には自分の有名さを利用して反対派といわれる議員に北鮮の悪口雑言を思わせるような稚拙な発言を平気でする作家もいます。人は言葉によって格が評価されます。北鮮の代表者の聞くに堪えない言葉もその国の品位を落とします。国民はそんな言葉に左右されないと思いますが、前述の見え見えの路線は国民のレベルを低く見ているとしか思えません。

 国民がいくら賢くても世界には独裁国があり、戦前の日本のように賢い日本人が投獄され国民も口を閉ざさるを得ない時代と同じ目に遭っている国もあります。国民の意思を汲むことなく悪政が続いても時代の流れがそうせざるを得ない国は本当の民主国家と言えるでしょうか。日本は世界に目を向ければ、決して我慢の多い国ではありません。平和に暮らしています。しかし災害が続く現在、被災された方は本当に元の幸せを取り戻しているか、格差が大きく開いたと言われる貧富の差にあえいでいる人は生きることに希望が持てるか疑問です。もう少し国民に寄り添って、スローガンばかり泳ぐことはないか冷静に考えている人を国の代表に選んで欲しいと切に願っております。国民はあまり国のやることに口を出さない方がよいといった古き悪しき時代は終わりました。国民は、ものを破壊して意思表示する国と違います。冷静に大きな力を発揮して正しい民主主義を目指したいものです。 でも派閥という古い制度には敵わないなんて・・・。