私の日本語の生徒は、職場でも管理職になっているのではないかと思うほど仙台生活が長くなりました。初めて教えた時は市民センターだったのでバスで来ていました。次に不便だろうということでスーパーの休憩室で教え、自転車に変わりました。私が家の近くのレストランに変更してもらったときはカブになっていました。その間日本の交通規則を教え、普通車の免許を取り必要に応じて運転していたようでした。
日本語学習の折々に、故郷オハイオの話も聞いていましたが、周りはファームの田舎だということは言っていました。日本では、犬を飼うと必ず散歩をしなければならなくて・・・と言ったら、実家では、子供一人に一頭ずつ飼っているけれどドッグランする位の庭なので、しないということを聞きびっくりしました。お父さんはスイカの栽培をして、いつもたくさん食べているそうです。彼女は、年1度のクリスマスと新年にかけて帰省するので、スイカが食べたいと残念がっています。その近く(といってもどの位離れているかわかりません)の幼馴染がジンバブエの大使館で働き、今年東京に転勤になって14日の拘束から解放され会えるのを喜んでいました。
来日して3回も続けて富士登山した彼女はある時、北海道をレンタカーでドライブすると言って出かけました。キタキツネに遭うとか、事故が多いとか冷やかして送りましたが、レッスンにはいつもの普通の顔で戻ります。沖縄にも行ってダイビングの写真を見せてくれたり、登山する友達の練習に泉ケ岳に登ったりしています。
先日は、寒立馬を見たいと青森に行きましたが、レンタカーで行ったと言われ、その時は気にもせず、現地の近くから車で行ったのだろうと思っていました。しかし、次の週に、日光の東照宮に行ってきたと又お土産をもらってしまいました。又レンタカーで行ったというので何処から?と聞いたら仙台というのです。私は「え?」と一瞬びっくりしました。あのつづら折りのイロハ坂を登ったのかと。貸し切りバスでさえ苦労して上がっていると思っていたのに・・・。
やはりこの人は私たちとスケールが違うんだと、しみじみ思わせられました。来て三年続けて富士登山したり、今年も登ろうと思っていたのにコロナの影響でクローズしたのをとても残念がったり、沖縄でダイビングしたり、この他にも、帰省や海外への旅行など飛行機の利用は全く負担に感じていないようです。私も同年代では、そこそこ海外旅行はしましたが、現在は国内旅行の回数も絶えてしましました。自粛のせいではなく、加齢の坂を下りているからなのです。生まれ育ったところが違うだけで、頭の作りがこんなにも違うのかと感じさせられたひと時でした。今の日本の若い人たちも、先達のあとを切り開き大きい広い世界に羽ばたいて行くことでしょう。日本の狭いところでコロナと闘う日本人たちは、海外の爆発的な数よりは少ない発生率で済んでいることは喜ばしいことと思います。(?)
日本語学習の折々に、故郷オハイオの話も聞いていましたが、周りはファームの田舎だということは言っていました。日本では、犬を飼うと必ず散歩をしなければならなくて・・・と言ったら、実家では、子供一人に一頭ずつ飼っているけれどドッグランする位の庭なので、しないということを聞きびっくりしました。お父さんはスイカの栽培をして、いつもたくさん食べているそうです。彼女は、年1度のクリスマスと新年にかけて帰省するので、スイカが食べたいと残念がっています。その近く(といってもどの位離れているかわかりません)の幼馴染がジンバブエの大使館で働き、今年東京に転勤になって14日の拘束から解放され会えるのを喜んでいました。
来日して3回も続けて富士登山した彼女はある時、北海道をレンタカーでドライブすると言って出かけました。キタキツネに遭うとか、事故が多いとか冷やかして送りましたが、レッスンにはいつもの普通の顔で戻ります。沖縄にも行ってダイビングの写真を見せてくれたり、登山する友達の練習に泉ケ岳に登ったりしています。
先日は、寒立馬を見たいと青森に行きましたが、レンタカーで行ったと言われ、その時は気にもせず、現地の近くから車で行ったのだろうと思っていました。しかし、次の週に、日光の東照宮に行ってきたと又お土産をもらってしまいました。又レンタカーで行ったというので何処から?と聞いたら仙台というのです。私は「え?」と一瞬びっくりしました。あのつづら折りのイロハ坂を登ったのかと。貸し切りバスでさえ苦労して上がっていると思っていたのに・・・。
やはりこの人は私たちとスケールが違うんだと、しみじみ思わせられました。来て三年続けて富士登山したり、今年も登ろうと思っていたのにコロナの影響でクローズしたのをとても残念がったり、沖縄でダイビングしたり、この他にも、帰省や海外への旅行など飛行機の利用は全く負担に感じていないようです。私も同年代では、そこそこ海外旅行はしましたが、現在は国内旅行の回数も絶えてしましました。自粛のせいではなく、加齢の坂を下りているからなのです。生まれ育ったところが違うだけで、頭の作りがこんなにも違うのかと感じさせられたひと時でした。今の日本の若い人たちも、先達のあとを切り開き大きい広い世界に羽ばたいて行くことでしょう。日本の狭いところでコロナと闘う日本人たちは、海外の爆発的な数よりは少ない発生率で済んでいることは喜ばしいことと思います。(?)