人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦である   part 1

2018-01-25 21:19:39 | 随筆
標題の”人は考える葦である”に似た金言に、”考える、故に我あり”という哲学者の言葉がある。いずれも考えることを重視した言葉である。人間は考える行動を取ることにより一人の人として周囲から認められるが、考え不足の人は周りの信用を得にくいし、自分の能力を十分に発揮できないという解釈ができる。
 人が動物と違うところは動物より思考力、喜び悲しみ苦しみ等を感じる能力に優れているということである。生き方も動物と違って、社会を作り助け合い、科学、哲学、美術、スポーツ等多くの文化に囲まれている。人種の違い言葉の違いなどのハンディがあっても、お互いの素晴らしいところを共有し、災害の時には助け合うという人間社会ならではの意義ある行動を取ることもできる。
 ところがこの有意義なことをすべての人が行うのではなく、中には反対の破壊行為、犯罪など非人間的な行動を取る人もいて、よい社会づくりの弊害となっている。それは、その人々の置かれた環境によって考えが変わると考えられる。つまり考えて行動することを重視する人と、考えることなしに動物的な本能に近い行動を取りやすい人との差である。そしてそれは一人の人の間でも行ったり来たりの流動的な変化がある可能性がある。
 一人の行動がより深く考えるか、浅はかな行動を取るかで周囲の評価も変わるし、社会生活を営む人間社会の重要な問題とも言えるのではないだろうか。

人は考える葦である

2018-01-22 12:48:18 | 随筆
 太古の昔、人は動物に近い生活をしていた。その後、言葉を生み火を使うことを身につけ、文化科学を創造し、他の動物を征服することにより繁栄を遂げてきた。それと同時に人同士の争いや言語の異なる国との戦いも続けてきたが、文化、科学の発達とともに宗教や哲学も心のよりどころとして生まれた。
 タイトルは、昔の哲学者の言葉であるが、本能的な生活の中に人間としての生き方を考えさせられることで全世界に広まり生き続けている。日本は、戦禍の中から平和や安全をを中心に国力をつけて来たが、最近この大切な指針が忘れ去られて来ているのではないかと思わせられる。人々の考えが、素晴らしい未来づくりではなく、助け合うべき隣人同志の信頼が保てない方向に行き始めているように感じる。
 それで私は、このタイトルの言っている真意を考え、皆さんにも考えて頂き、この広い地球の人々が明るい前向きの考え方になることを祈りながら私信を書いて行きたいと考えた。これから書き綴る文を読んでいただき、ご意見を送ってい頂ければ幸いである。