人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

第三章 戦争の終わりと 平成の終わり

2018-08-10 11:55:12 | 随筆
 私は、小学校時代を太平洋戦争で過ごした。その頃の日本人で、最も不運の中にいた人は、軍人として戦いに参加した人々だったに違いない。何故なら、若いが故にその力を利用され、有無を言わさず命を賭けた戦いをし、優れた才能もおかまいなく一生を終えざるを得なかったからである。命を捧げることは美談とされ、率先して出征する人が褒め称えられた。それが、戦争というものである。今戦争をしている国の惨状は目に余る。
 戦争は、国民の意志に関係なく軍国主義、独裁主義の象徴であるから、地球上の平和、人類の繁栄等は眼中にない。一人一人の人権や尊厳はなく、虫けらと同じになる。地球は破壊に向かうのみで、歴史に培われた貴重な遺産は人と同じく塵芥になる。
 それを知りながら戦争が起きることを恐れて軍備を拡大するのは何故だろうか。昔の戦争終了時と、世界の人々の考えは同じなのだろうか。いやむしろ世界を股にかけ旅行をしている人は増えているし、旅行して外国を知り、スポーツの祭典をし、文化科学の向上に協力している人が大勢いるのに何故、現在ある平和を続けることが出来ないのだろうか。それは、国民の選んだ政治家達の目標が、国民からかけ離れていることに気づかないのではないだろうか。
 日本の国内事情も、最近同じような問題が次々に起きて、テレビ番組の俎上にのり国民の批判の的となっている。同じようなケースなので、今更何で?という疑問が湧いてくる。つまり、スポーツ界の出来事なのだが、オリンピックという最終目的で競技の向上に励む若い人々の社会に、思いもよらぬ組織の不透明性が発見されたのである。その不透明な事情は、昔多くの所で見られた独裁的な手法と同じ考えによって起きている。周囲の人の意見が取り上げられないほど閉鎖的な社会を作り、選手の技術向上を阻害するような手法が行われて来たのである。それは、一人の独断で主導され、周りはイエスマンで固められ、的外れでスポーツマンシップに反する組織になっている。
 戦争の場合も反対者はいたと言われているが、それはすべて口封じされ、ひどい時は牢に入れられる状態だったらしい。ワンマン手法は、正当な道を誤り、姑息な手段に走る。日本は、敗戦国として裁判され、軍国主義を封鎖するために平和憲法が作られた。理想的な民主主義が掲げられている筈が、何時までも理解できない人がいるようである。
 私は、学業を終え、就職は学校教員だったために、一般社会の発展をどちらかというと傍観していたように思う。つまり、私の職場は男女平等な雰囲気が保てる地盤があった。職員会議で討論し共通理解をして行事を進めるのが当たり前だった。そして、退職後、男女雇用均等法という法律ができ、私はなんと恵まれた環境にいたのだろうと思ったのだった。
 退職したあとボランティア活動に入り数々のボランティアを経験したが、そこで出会った人たちは前向きの考えで、助けを必要とする人の支えになっていた。その奉仕の精神は戦時中も唱えられたことと同じだけれど、世の中を明るく、住みやすくするのに貢献している孤高の精神が強い。福祉ボランティアの方が多く、私は国際ボランティアや地区活動を続けていた。その中では、一人が組織的に独断的な考えでリードすることは殆どなく、不愉快な気持ちのまま独裁的なりーダーに従うということはなかった。私は災害ボランティアの経験はないけれど、無償の精神で奉仕することは、相手から学ぶことも多いことから、人種、宗教などの違いを超えて人間関係を築くことのできる素晴らしい要素があると感じていた。
 戦後73年を過ぎ平成も改まる年を展望して、まだまだ独裁的な考えを持つ人がいて、周りの人がそれを修正する能力のない場があるのに驚かされる。どこの場面でも、人が差別を受けず、お互いの意見を出し合って最良の目的を達成するのが、誰にとっても心地よい場ではないのだろうか。独善的な手法では、誰かが嫌な思いをしたり、ハラスメントの状況を生んだりする。そして目的がベストから外れて行くことになる。
 2001年、東日本が未曾有の震災により絶望的な状態にあった時、女子サッカーチームがワールドカップで優勝したのである。その光景は、今でも殆どの国民が記憶していると思う。何故ならそのチームの明るさがそれを引き込んだと思われる要素がわかってきたのである。選手は一人一人
伸び伸びと動き、チームワークが取れていた。そこまでチームの力を発揮できるように指導したのは監督に他ならない。その手法は、監督と選手の絶対的な信頼関係が築かれていたとしか思えない。上記の独裁的な上司の下では決して勝ち得ない、選手の持てる能力を最大限に伸ばす指導で栄冠を取ることが出来たのである。これこそが本当の一人一人を大切にする民主的な考え方と言えるのではないだろうか。こういう指導者も、全国には沢山いらっしゃると思うし、そのチームはきっと素晴らしい選手を生み、すばらしい戦績を揚げているに違いないと信じる。これが、政治の世界にも定着して欲しいと思う次第である。

 参考

 私が退職してすぐに地区活動に参加させて頂いたが、その時も、地区の役員がこぞって協力して下さり、婦人防火クラブ長として避難訓練や救急講習などを催せたことが忘れられない。そのお一人が本日の新聞に、通信士として活動した時の思い出を述べておられたのを読んだ。その時は、戦争の体験者ということは少しもおっしゃらなかったので、前職ぐらいの知識しかなかった今、びっくりしてK氏の青春時代に思いを馳せたのだった。
 もう一人の男性からは、シベリアで大変な苦労をなさったことは聞いたけれど、その方はもう鬼籍に入られている。戦争時代は、海外からの引き揚げの苦労、都市焼失による孤児達の苦労、いろいろきりのない苦労が戦後の報道で知らされてきた。それを知っている世代も次第に少なくなってきている。式典によって呼び覚まされるだけでなく、世界の平和のために戦争の悲惨さを、自然災害の悲惨さと共に心に止めて行きたいものである。