人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦である 第6章 日本語

2020-06-30 11:46:24 | 随筆
 皆さんは、義務教育として6年間教育を受け、日本人として正しい日本語をはじめ身につけなければならないことを学びます。それだけではなく、高学歴を希望する人々は、その目的を達成するまで、更に基礎の学力をつけるために努力します。そして、目的に合った職場を選んでて働くことができるようにがんばっています。

 社会に出て、それまでの教養を生かしよい環境に恵まれているでしょうか。それまでになかった色々な未知にぶつかったり学習とは異なった戸惑いにぶつかることもあるでしょう。私はその雨風を乗り越えて就職生活を終え、その後に日本語教師ボランティアとして過ごしています。外国の人に教えるのですから、日本の最もスタンダードな間違いのないものを教えなければなりません。そして日本語の魅力や美しさや便利さを感じ取ってもらうのです。漢字はローマ字と違って表意文字であることに重点を置き、リスニングでは理解できない深いものも感じ取ってもらいます。中国では第2次大戦後漢字を相当省略し、これで、意味が表せるのかと驚きましたが、日本では最小限の省略化で済み今でもそのつくりから、漢字の仲間や成り立ちがわかるようになっているのは覚えやすいのではないかと感じています。日本語の中には漢字かなカタカナが入り混じっています。カナは外来語ですが、オランダ語英語フランス語入り混じり学習者にとっても分かりにくいことだろうと思っています。

 私は国語力を衰えさせないため、ボケ防止のためTVのクイズ番組は必ず見るようにしていますが、最近新しい問題を作って解くものはその出す意図を汲み取るまで苦労します。字を図形として解釈させるようです。こんなことにびっくりしていたら、昨日はとんでもない問題が出て驚かされました。今までも漢字を仮名に変えそれをさらに短小化することが多くなっていました。撮り鉄乗り鉄等は、字を見るとわかりますが、トリセツは何のことかわかりません。聞くと取り扱い説明書の省略だそうです。つまり最近は造語が辞書に載る時代になったしまったのです。私が日本語教師を始めたのは25年くらい前ですが、その頃でも教師同士で高校生の言葉がわからないと聞いていました。昔は造語は言葉の乱れと言っていたものですが、今は、時代の流れで、変化するのは致しかねないと学者も言っています。しかし昨日のクイズは「セトリ」「フェーズ」「セットリスト」と初めて聞く言葉でした。しかしフェーズは大臣が堂々と使っていました。

 新コロナウイルスが世界を席巻してから、カタカナ語が多くなったと言われています。日本語で表せるものはあえてカタカナ語で言わなくてもいいだろうと。TVで話される言葉は、義務教育を受けた国民が理解できる言葉でなければならないと思います。多く使われ一般化し、認められたものしかりです。しかしまるで学があるかのようにカタカナ語を使う有名人もいます。しかもクイズの問題に出し、優劣をつけるとはどういうことでしょうか。

 戦後の中国語が、驚くほど大きな変革をし国民のレベルが下がるのではと見ていた日本でも、素晴らしい日本語がどんどんレベルダウンしていくように思います。時代の変化では済まされない危機も感じます。言葉のあやで誤解を招くほどの繊細な日本語、情景描写で読む人に同感や感動を与える日本語、言葉の衰退はその国の衰退につながるといった人はいなかったでしょうか?


故郷の思い出

2020-06-23 22:30:27 | 随筆
 私は昭和の初め、広瀬川と愛宕山の間の風致地区で生まれました。その時近所に市民プールがあり、夏は広瀬川で泳ぐ人とプールを使う人で賑わいました。しかし、川では、賢淵、松渕などの危険場所で、プールでもなんのせいか亡くなる人が出たことが忘れられません。
  
 戦後は、西公園の下と広瀬川の間にプールが作られました。それは、東西地下鉄の工事のため壊されるまで長いこと利用されました。戦後各学校にプールが施設され、水泳の授業が当たり前になり、高学年のプール競技大会など毎年催されました。そのうち各地区の市民センター付属やごみ処理場の保温利用のプールなど増えていきましたが、子供の成長期によい環境だったと思います。

 プールと同時に忘れられないのが、愛宕山にある鎮守の神様愛宕神社です。仙台を一望できるところでしたが、そこまで行くのに長い石段を登ってい行かなければなりません。私は小学校の高学年から視力が落ちてきていましたので、母に山に登って遠くを眺め視力を戻しなさいと言われ、かなりの間、朝登りしました。朝はあちこちから煙が立ち昇ったり、雲行きの怖そうなところがあったりしました。視力は少しは良くなりましたが、しっかり見えるまでは続きませんでした。その頃は、まだ薪や炭で調理している時代でした。

 その愛宕山に隧道が掘られました。いつのまに掘ったのか、その頃は戦時中だったので何でも秘密裏にやる時代でした。どういうわけか、仙台空襲の時は、そこに逃げることを知っていました。隧道はこっちの越路から大窪谷地というところまで掘り抜け、そのほかに枝別れしたトンネルも何本か掘ってありました。空襲の夜私は近所のおばあちゃんとそこへ行きました。トンネルに入った途端、小さい爆発の閃光が見え恐ろしかったです。広瀬川には前もってガソリンが撒かれ、燃えていました。東京大空襲が3月にあった4か月後の7月10日のことでした。

 ところが、そこに逃げないで、自家製の防空壕に避難した人がいました。必ず作ることになっていましたが、その方は、野原に大きく作ったようで、一家族入っていたそうです。しかし運の悪いことに、不発の焼夷弾が直撃してしまったのです。一瞬にして亡くなられました。私はこの記憶を忘れたことはありませんし、語り継ぐ人もいないのではないかと思っています。仙台市でもたくさんの人が戦火にまかれ亡くなりましたが、どのような状況だったかは知られずのままと思います。

 私は、一緒に行ったおばあちゃんとはぐれ、次の朝大窪谷地から抜けて帰りました。ぬけたところに将校さんの家がありましたが、そこも焼失していました。帰る道で不発弾が道路に横たわっていたり、町の空が、真っ赤な煙でいっぱいだったことに驚き乍ら歩きましたが、避難しなかった母の生死は全く考えませんでした。家に落ちたら消すと日ごろの訓練の構えだったのでしょう。無事に待っていてくれました。

 それから数年堤防工事のため移転するまで中高生活を送り、床下浸水や川岸の家の流失を目の当たりにしたりして過ごしました。私が転出して何年か後、新愛宕橋が土樋から宮沢橋にかけての新道のため造られましたが、その時愛宕神社の石段が切られたのにはびっくりしました。道路拡張のためです。私が生まれた場所が丁度橋の下になったのかな等と思いました。

 しかし、あの愛宕神社を貫通した隧道はその後どうなったのかついぞニュースを聞いていません。登校の時、近道として使ったこともあるあの隧道はそのまま閉鎖されたままなのでしょうか。戦争の遺産として利用はしていないのでしょうか。今日は沖縄激戦の日として追悼行事の行われる日でした。東京大空襲、沖縄戦、原爆と現代の方々は想像できますか?国民の存在がこれほど無視された時代はなかったと思います。どんなに多くの人の人生が断たれたか想像できますか?

 そして現代に目を向けても、それでも人間ですか?と問いたくなる国家間のトラブルが起きています。コロナウイルスだけでも大きく世界の情勢が変わったのに、いつになったら人らしい尊厳を持った地球人になるのでしょうか。

 






人は考える葦である 第5章 アラカルト 外国のコロナ事情

2020-06-08 12:38:45 | 随筆
 日本はコロナウイルスからの非常事態宣言から解除されましたが、以前よりももっと留意した新しい生活を続けています。3蜜の予防に息苦しく感じている人もいることでしょう。でも日本は感染者並びに死亡者も外国と比べて少数に抑えたことが評判になっています。しかしその外国が一括して言えない状況なのです。報道されるのは数字の上で大きい大国が多かったのです。アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、ブラジルそれに医療の遅れや貧困の国などで、早く収束できないものかと感じていました。

 しかし昨日の某テレビ局の放送を見てびっくりしてしまいました。北アメリカと南のブラジルの間にある細く続いている国々の中のコスタリカという国について、現地の日本人からコメントがあったのです。それによると、コロナ発症時の初動態勢がとても早かったのだそうです。その理由は、前のサーズの流行の時に対処した経験から医療体制が整っていたそうです。その医療体制は日本より上回っていたのではないかという話でした。

 コスタリカは名前は聞いているけれど殆どニュースで報道されることのない国でした。土地面積も人口も日本よりずっと少ない国です。そういう小さな国が集まっている所にある国は、どんな国なのでしょうか。日本はアジアの一国として世界の国々と肩を並べています。世界大会やワールドカップ、オリンピックなど世界的な催しをして世界の人をもてなしています。そしてコスタリカの状態を知るニュースなどはあまり聞いていないと思います。

 そういうコロナに関する先進国といってもいい国のニュースは、またその周りの国々の状態はどうなっているのでしょう。コスタリカだけが進んでいるのでしょうか。世界各国が国の行き来を禁止している現在、その小さい国々も当然そのような状態であることは想像できます。更に、コロナウイルスを排除し、正常にもどった現在はどうしているのでしょうか。日本のようにフェイスシールドやビニールの遮蔽、外出の自粛などを継続しているのでしょうか。

 今世界はコロナ戦争に加え本当の戦争の軍備向上に力を入れています。また、国の考え方の違いで様々な軋轢があります。コスタリカとその周辺諸国はどうでしょうか。この大きな世界の流れには影響されているのでしょうか。日本は、世界の大きな国だけでなく、このような小さな国や後進国のニュースも日本国民に知らせることが必要ではないでしょうか。人々が、自分のことだけでなく、他人を、他国の人を理解し、学び受容していけば、他国に対するヘイトをすることが少なくなるのではないでしょうか。

人は考える葦である 第五章 アラカルト 新しい生活

2020-06-01 12:07:32 | 随筆
 非常事態宣言が全国に亘って解かれたのはいいけれど、恐れていた二次感染が北九州市で始まりました。それは、どこの地方でも懸念していたことでした。なぜなら、新しい生活習慣に基づいて感染を防ぐことが継続していたからです。


 さて、新しい生活習慣とはどんなことか、自治体でも今までやってきたことをそのまま継続するだけでなく、まだやっていなかったことも取り入れようとしています。基本的に3蜜回避です。私たちの生活から言うと、今まで高齢者向けにあった行事がなくなり、会話を交わすことができなくなりました。家に引きこもることが多くなりました。それが、外出をするようになると、人と人の間隔をあけたり人ごみの時間を避けるなどがあります。

 長いこと休校を余儀なくされていた諸学校も、人を少なくして2部にするとか、フェイスシールドを使うとか工夫をしています。放送界や学校で、リモート放送、オンライン学習など、いままで聞いたことも見たこともないことにいとも簡単に変われるなんて、驚きを越して恐ろしさを感じます。巷では、休業の余波で廃業にまで行く老舗も出ています。学生もバイトの収入が減ってアパート代にも苦しんだり、留学生が居場所までなくなるという現象が起きています。

 一方税の無駄遣いと言われたアベのマスクや定額給付金では大混乱が起きています。医事に携わる人の防護服や、感染を検査するPRCの不足、人材不足などは早くに出て、治療に専念できない実態が露見していました。そしてこんどは新しい生活の継続です。

 これが、本当の新しい生活形態なのでしょうか。コロナ対策なのでしょうか。それを、いつまで続けるのでしょうか。お寺には必ずと言っていいほど、玄関に「照顧脚下」という札が置いてあります。足元を見よということで、大事なことを見失うなという意味を持っています。
今までは国民に対して場当たり的な施策で来ましたが、土台となる医療関係者の満足する施策だったかどうか疑問に思います。心でありがとうと叫んでも、当事者が命を救おうという気持ちになれるような環境整備がないのでは本末転倒です。患者も、受け入れ側が大臣の言葉を誤解していた(体温の境界)などと早世してから言われた方もいらっしゃいます。患者の命はあまり尊重されなかった結果といっても過言ではないと思います。

 もっと大切なこと、重要なことがあるのではないか、対面の境をいちいちつけることが必要なのか。これが、外国と違う日本モデルなのか・・・。こういうことに相当の費用をかけているように見えます。経済の回復も重要な課題ですが、それが大企業も中小企業も同じように回復しなければなりません。生活困窮者が早く自活の道を選んで自立の道が開けるようにして欲しい。ボランティアで善意の場を提供しているところがあるけれど、コロナ禍でもそういう援助の場が始まることを望みます。

 今後二次感染が起きませんように心から祈りますが、過剰な三蜜予防よりもこれからの国民の生活を支える人の暮らしやすい環境になってもらいたいと願っております。