人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦であるー第5章 アラカルト 美しい日

2019-04-01 15:16:51 | 随筆
 今日4月1日は、日本人のほとんどが新元号の発表を待ちわびていた特別の日でした。私も、天皇の即位と同年にはからずも退職し、ボランティア活動を始め今年30年経ちましたので、朝からゆっくりと過ごしてその時間を待っていました。私は、天皇と同じ学年で同じ年代を過ごして来ましたので、私もできたら専業主婦業から解放されたいという気持ちでした。そして、この天皇の譲位を心からお喜び申し上げており、良い名がつくことを祈っていました。

 発表された元号は「令和」。私の希望の字が入っておりましたが、令は、命令とか法律等で使用するなじみの薄い字でした。そして、総理の談話で、「人々が美しい心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味であるとおっしゃいました。字にはついぞ美しいというイメージがなかったのでびっくりしました。とても理想的な素晴らしい解釈を大歓迎しましたが、平成の終わりが、あまりにも暗いニュースが多かったので、国民に浸透するのは難しいのではと不安もありました。万葉集の解釈も難しく、心安らかな情景を感じることはできますが、そこまでの道は険しいものがあるのではないかと感じました。

 私は、今朝、戻り寒のような中を収集日に合わせてごみ捨てに行きました。この頃は、ごみも重いしステーションのふたも重く感じるような作業でした。すると、車でごみを捨てに来た男性がいたので、ふたは開けたままでいて欲しいと内心思っていました。遅れて着き、資源ごみの方を出していました。男性は、私が家庭ごみの方へ行くと、ふたを開けたまま私のごみを入れようとするのです。私はそこまで迷惑をかけたくないと思い固辞しましたが、何時までも待って下さって帰ろうとしないのです。私はそれに甘えて、コート姿の紳士にごみを託したのです。「ふたを開けて頂くだけでもありがたいのです。ありがとうございました」とお礼を申し上げました。男性がごみ捨てをするだけでも、良い家庭が偲ばれるのに、他人のことに手を貸して下さる方は、いまどき珍しくなったのではないでしょうか。

 私は、今朝はほんとうに心温まるスタートが切れたと思っていましたが、元号が発表されて、美しい心を寄せ合ってとはこのことだと、自然に涙ぐんでしまいました。討論会や話し合いで議論するよりも、このような実践が私たちの社会には大切なのではないかと改めて感じます。



1 コメント

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新年号に思う (msato)
2019-04-02 08:44:21
これまでの舌鋒鋭いご主張と異なる春の和らぎと感じさせる体験と思い、ぬくもりと和やかな気分にさせてもらいました。また、悔なく思いを残しておきたい貴重な体験に裏打ちされた、ご主張を貫く硬質な文章、その魂から発せられたご意見は読む人に有無を言わせぬ説得力があります。
私事ですが、第一の職場を希望選択で56歳で、第二の嘱託相談員は自らで継続を断ち、その後のボランテイア活動もスタッフに相談せずに自己判断で5年間で解体し、最後の委託業務も後期高齢を機に先日自ら7年間で契約を解除しました、いずれも自分の判断で「終わり」を決断してきましたが人生の終わりだけはそう旨くいきませんね。
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