人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦であるー第5章   世界の願い

2020-11-29 13:30:58 | 随筆
 今世界は新コロナウイルスのお陰で大勢の人が罹患し、予防の不自由な生活を強いられ、経済効果をあげるために沢山の人の消費を推進する旅行や食事の政策が行われています。表はそういう流れで、裏ではたくさんのコロナ退職者が出たり、老舗や店舗が廃業したり、自殺者が増えるというマイナスの現象が増えています。コロナ医療従事者も疲労で限界状態に入っていて、この増加がますます悪化の原因になっているとおもわれます。一方、夜景の光景は変わらず、ネオンやイルミネーション、ライトアップなど景気の低下を感じさせません。

 世界の国の状態は、一国の自国ファーストのため迷惑している国があったり、自国の繁栄を広げるためにじわじわと侵略の手をのばしている国がある一方、内乱をしている国も報道されています。こんな時にSDGsという17の目標が世界の代表によって提案なされたそうです。これは大きく17の基礎項目と細部に亘る内容によるそうですが、今迄考えられてきているのとあまり違いは感じられないほど当たり前のように見えます。

 例えば「1は貧困をなくそう」-これを日本は後進国に対して長年援助してきているのではないでしょうか。後進国の病気に効く薬を発明したり、昨年亡くなった中村さんは、医学を利用して病気を治療するだけでなく、きれいな水を出す工事やその他地元民の救済をやっています。「2は飢餓を0に」だそうですが、砂漠を農場にすることもやっているのでしょうが、焼け石に水なのでしょう。国は、政治が行われる体制が必要ですが、遅れている国は名のように後進がスムースに改善しないのでしょうか。「3はすべての人に健康と福祉を」だそうですが、やはり世界には保障の程度が高いところと低いところがあることは否めません。「4は質の高い教育をみんなに」ですが、日本の受験戦争を上回るような国や、女子にも教育をと言っている国、教科書もない国など様々です。日本で働き財産を積んで学校を作る人もいます。国の手が遅れているのでしょう。「5はジェンダー平等を」です。これは、これまでと違って、日本は先進国の中の下位を占めているという項目です。日本は長いこと男尊女卑という意識が強化されていたので、戦後憲法が改正されても遅れています。世代が交代して新憲法世代が多くなっているのに進歩がないのは何故でしょうか。

 「6は安全な水とトイレを世界中に」です。これも世界の格差は大きく、水をたくさん使える国と水資源に苦労している国とも違うでしょう。「7はエネルギーをみんなにそしてクリーンに」です。エネルギーの技術も進歩が激しいのですが、最近になって公害問題が大きく考慮されてきたからだと思います。文化の進歩の進んだ国と遅れている国との差もあるのでしょう。「8は働き甲斐も経済成長も」です。日本は少子高齢化のため働き手を必要としている企業は、外国から研修員と称して仕事に従事させています。しかしこれもたくさんのお金をかけて来日した人が祖国のために役に立つ人はどれだけかというと疑問があるようです。先進国の技術を身に着けようと夢を抱いた人が、悲しい結果になることも聞いています。「9は産業と技術革新の基礎を作ろう」です。これは先進国と途上国とは大きな格差があることと思います。先進国のなかには、軍備の進歩に力を入れて来ている国があります。宇宙まで征服することを考えていると思われます。しかし世界戦争が起きても後進国は何のことかとおどおどするばかりではないでしょうか。今やAIの知能を使うところまで行っているのにこれも競争の範囲になっています。次の「10人や国の不平等をなくそう」というのにリンクしますが、それは不可能ではないかと思われます。ノーベル賞でも駆け引きが大きい今、科学は各国に知識を平等に知らせるということは難しいと考えます。

 「16平和と公正をすべての人に」がありますが、これが実現する世界はすばらしいと現状を見て思います。国のトップの考え方によって大きく変わる現代、平和は万人の考えですから実現することを祈ってこの文を終わります。興味のある方は、11から17まで調べて見てください。








人は考える葦である 第6章  他力本願の生活

2020-11-23 20:19:41 | 随筆
 私の両親は、三番目の兄家族の世話になって天寿を全うすることができました。今も三世帯の家族はよく見られますが、前ほどではありません。その代わり老人施設が高齢化と共に増えて来たのです。実子の代わりに集団の施設で面倒を見てくれるようになったのです。中には子供の世話にはなりたくないと一人暮らしをしていらっしゃる気丈な方が見られますが、いろいろな事情によりお世話になる方も増えたと思います。

 私の家の近所には、総合病院の付属的施設がありますが、そこは普通のマンションのタイプがあり、介護を受けるようになったら、並列の介護施設に転居するのだそうです。聞くところによると北は北海道から南は九州まで引き合いがあるということでした。聞くだけで庶民とはかけ離れた施設と感じました。

 その頃は、そういう施設に入ろうという気はなかったのですが、毎日の生活に家事が非常に負担に感じられました。闘病が長引くと余生ということも考え、思い切ってお世話になりたいと考えました。二人の年金とわずかの貯えでスタートしました。ここの施設には、初めは自立できることが条件ですが、いざ入ってみると年齢に関わらず自立している人は、食堂を使わずに生活しています。私のように食事を毎回食べると高額の食費がかかりますが、料理に得意な女性は、高額な食費から解放されます。それから高額費用として、いろいろなサービスを受け持っている会社にその費用を支払います。サービスというのは、食堂、共同浴場、運動、飲み物付き休憩室、それに商店、病院を回る定期バスを運行するなどです。その他、自室に食事を運んだり押し車のお世話、薬のお世話などは、介護保険を使用しているのかどうか分かりません。

 私は一応食事の苦労からは解放され、自分の時間を持ち優雅で贅沢な生活はできますが、代償も大きいなと改めて感じさせられました。食事も、栄養士を擁し優秀なコックさんによるメニューを出すとはいうものの1か月も経たないうちに、同じ献立の繰り返しだということに気づきます。私は職が学校だったために、毎日の給食が飽きの来ないおいしいものだったことが忘れられません。安い費用で栄養のバランスを考えた食事を作る栄養士さんのご苦労はどんなだったかと想像します。やはり、いくら団体の食堂とはいえ、栄養と同じものの繰り返しをしない内容を提供してこそ高額の食費を請求する意味があると思わずにはいられません。年寄りの我儘でしょうか。