人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦であるー第五章  アラカルトー人権の解釈

2019-03-28 14:35:53 | 随筆
 前項に書いた男女平等の中で、人権について申し上げました。憲法で保障しているものなのに、なかなか理解されない事項です。普通の会合で簡単に話題になるものでもありません。しかし、最も身近な基本的なことと言わざるを得ません。

 最近いじめやハラスメント、殺人、そこまでいかなくても、冷淡にされた、協力する人がいないなど人間関係がぎくしゃくしてきているということが言われています。つまり、他人のことより自分が一番大切という考えが強くなって来ているようです。勿論自分を大切にするのは基本ですが、四六時中、それが占めていると人間関係が成り立たなくなるのではないでしょうか。それに人は元々、人の為に役立ちたいという本能があります。そしてそれが達成されたとときは、大きな喜びとなって帰ってきます。そこに動物とは違う充実感という喜びがあります。それを利用した制度がボランティアですが、これは、本人の願望で始めるものなので、それぞれ喜びが違います。町内会の決まった行事で一斉にする清掃などを強制されると「何でやらなくちゃないんだ」という不満を抱く人もいるのです。

 それは、考え方の違いが原因になっていると思いますが、一人一人の人間関係が希薄なために利害を優先して考えるつながりとなっているからです。親しい人、又は恋人同士などという相手にだったら、いくらでも親切心は生まれるでしょう。恩義のある人の為ならとサービスすることもあるでしょう。社会が一般の公共的な場になると、人の目を盗んでごみを捨てる人も出るのです。誰が片付けるの?誰が掃除するの?と疑問に思う所でそういうことが起きます。観光地では、人気の食べ歩きで道路を汚したり、近所迷惑な行動を取る人で社会問題になっています。それは、自分第一を超えたルールのわからない烏合の衆になっているからではないでしょうか。

 昔、「旅の恥はかき捨て」という悪い言葉がありました。知らない土地では、身分が分からない分、勝手なことができるという諺です。それは、人の社会とは言えない不法地帯と同じで、人としてのルールをわきまえていれば、土地が変わっても、外国でも同じ態度を維持することができます。それでこそ、社会の一員として恥ずかしくない生き方になります。それが当たり前の社会が少なくなっているのでしょうか。

 親しい仲でなくても相手と接する時は、年齢の差、男女差、服装の差等に拘わらず、一人の人として失礼のない態度で接することが大切ではないでしょうか。相手を見たとたん女か、とか子供かなどと自分が上位であることを意識したり軽蔑の気持ちを持ったりすると、それが態度に現れ、不愉快な気持ちを持たれます。政治家の発言でも、直ちに報道されるのが分かっていても、上から目線が分かる言い方をしてひんしゅくを買っています。本当に偉い人は、意識しなくても、態度に人格の高邁さを醸し出しているものですが、今の名のある人々はどうでしょうか。誰とでも、相手を大切にする言葉で話す人は、その人の持っている品格が滲み出てくるものではないでしょうか。

 今は、国のトップが色々な方法でコメントを出したり、記者会見などで話していますが、世界を巡るニュースにのるので、人格や性格がとかく批判の的になっています。又、国会のような、代表的な討論の場でも人間性を疑うような感情的な発言も見られます。正常な討論の場で、言葉として疑問を持たれるような使い方は、聞く方も落胆させられます。相手の意見を理解した上で、感情に走らず的を得た正確な討議をして欲しいと思いますし、それが一人一人を大切にする人間関係の構築ではないかと考えます。思いやりとか
寄り添うとかいい表現がありますが、それはすべて、人同士どこでもあり得ることが平等の実現と思います。国のトップの発言は、その国の考えと解釈されますから、不穏にもなり希望的観測にもなります。利害が優先する国際関係ですが、後進国を援助する大きな寛容性でこの地球を安泰にして欲しいと望まずにはいられません。
 読者の皆様には、目を通して頂きありがとうございます。稚拙な文とは思いますが、コメントもよろしくお願い申し上げます。

人は考える葦であるー第五章   アラカルトー国際女性デー

2019-03-08 22:07:46 | 随筆
 今日3月8日は、国際女性デーだそうです。そして必ず出てくる男女平等の国際的な世界各国のデーター。
日本は先進国にも拘わらず110位という位置をつけられる不名誉に浴しています。そして名誉ある第1位は10年も続くアイスランドだそうです。アイスランドは、仙台の人口100万に満たない32万人の国というから二度びっくりします。ところが、もっとびっくりすることがあるのです。私も初めて新聞で知りました。

 アイスランドが、男女平等を勝ち得たのは1975年だというのです。その頃日本は戦後30年経ち、マイナスの混乱から立ち直り、文化国の仲間入りをすべく成長しつつありました。戦後の平和憲法の下、民主主義の考え方が果たして浸透しはじめていたでしょうか。その時、アイスランドでは、女性が女性のの権利を求めて一丸となり、家事、育児をすべて放棄しストライキをしたそうです。男性は、どんなにか不自由な思いをさせられたか想像にあまりあります。全女性が立ち上がるということは、人口の少ない国故のパワーなのでしょうか。それからの変化は10年も続く記録に現れているではありませんか。男性が如何に平等意識に目覚め実行してきたか、男性が如何に女性の権利主張を理解したかが分かります。

 これを日本に置き換えて考えて見ましょう。日本の戦前は男女を通して人権はありませんでした。「産めよ増やせよ」というスローガンは、戦争要員としてありました。健康な男性はすべて兵士になり、出征を強いられたのです。戦地に赴いた人は勿論、海外勤務だった人も生命の危険に晒されました。そして本土が焦土と化し、沖縄を失い、原爆いう最悪の兵器が使われてやっと敗戦を受け入れたのです。

 国民の国に尽くす時代が終わり、折角一人一人が大切にされる良い憲法が出来たのに、それを消化して実行することの難しさは、現在の男女平等率110位というデータが物語っています。重要な部署は男性も虎視眈々と狙うことから女性の入る余地は険しく、殆どの部署での女性の地位が低いのが影響しているようです。又、時々女性の家事を有料にして計算したらどの位の報酬に換算されるかというデーターも出て、家事育児の労働価値を示したこともありましたが、男性の家事参加率は、未だに依然として低いのが実態です。男は職場、女性は家庭という固定観念が根強く、中には育児うつなどから、子供いじめになってしまう事例も起きています。高齢化になって育児の他に介護問題にも当たれば、男性の協力はますます当然のことになります。女性の家事負担を大切にする平等感のある男性は、戦前の封建時代にもいらっしゃったと聞いています。時代を問わず人間として人を尊重する考えの人は存在すると思います。

 時も時、残念なことに悲しい事件が起きてしまいました。28歳の女性が、男性に飲まされたお酒のせいで命を失ってしまったのです。非常に無防備な場所で、しかもメールでその疑いを友人に送信したあと一生を終えるなどということは、人であるならば、だれも想像つかない非情極まりないことです。相手の男性は、女性の弱さを逆手にとって非道の事件を犯してしまいました。最近は尊属殺人など想定外の事件が起きて国民を驚かせています。国会でも、あまり正当とは思えない事案の決定法が多く見られ、国民の不信をよそに進んで行く政治が国民の価値観に影響していないとは言えないのではないでしょうか。
 
 この世は男女の区別だけでなく、人としてその命の大切さをそれぞれ尊重する意識を各自持たなければいけないと思います。男女差、年齢差、学歴差、人種・・・様々な違いがある中で一人一人の人権はすべて平等であり、見下げたり、いじめたりする権力をなくすことを考えるべきではないでしょうか。人権というと難しいという人もいるかもしれませんが、人の幸せを犯す権利は誰にもないと言ってもいいと思います。自然の大きな災害に驚きながら、人がその災害で命を落とすことのない防災を大きく叫んでいる時、人同士が○○ハラスメントといった記事・報道を見ない日はありません。政治家は勿論のこと国民も人の幸せを根底にした考えで良い未来を築いて行くべきではないでしょうか。