8月5日ー1
二日目も妙心寺内の見学から始めました。最初は、一般観光コースの法堂(はっとう)で、八方にらみの竜と鐘を説明を伺いながら見ました。次に、本坊の中にある新築したばかりの微妙殿の中に入らせて頂きました。古い庫裏から替わった新しい厨房と大集会場、そこには、妙心寺派のすべての寺を展示している所がありました。遠くはアメリカにまでお寺があるのには驚かされました。新築にあたり各寺から寄付された金額が上位から順に書いてありましたが、瑞巌寺はもとより塩釜や宮城県内のお寺の名前が三つも上位を占めていました。古い庫裏は、大きなかまどが並んでいて、上にフードがついていました。さっき見た法堂は、僧たちの修行の場ですが、冬はどんなにか寒さが厳しいのではないかと思いを馳せたのでした。
次の見学地は、妙心寺近辺の洛西方面でした。初めは金閣寺で、あの写真でしか見たことのない
金のお寺にとうとう来れたと感慨深く見あげました。栄華の名残がきれいに池に映えて目の前に開けました。池の周りを歩きながら、遠景、アップと写真に収めました。丁度手入れの時期かどうか、枝下ろしや池の中の藻を取る人々が出ていました。
次は、石庭で有名な竜安寺へ行きました。ここも妙心寺派の禅寺だそうです。絵葉書で見ていた印象ではとても広々とした所だと思っていましたが、実際に入ってびっくり、普通のお寺ぐらいの佇まいでした。塀は中国風の古ぼけたところが歴史の古さを物語っているのでしょうか。これこそ正真正銘の昔の京都そのもので、その時代の人々が過ごした日々の面影でした。普通のお寺の廊下も三々五々観光客が座って瞑想に耽ったり、きれいな箒の目の模様を眺めたりする文化遺産なのです。我が家の庭の管理に悩んでいる俗人の私は、このように砂と石にしたら手間が省けるかなどと雑念が過ぎるのですが、実は、プロの念入りな管理が人々の羨望を持続させているのだろうと考えさせられました。
昼近くなったので、嵯峨野のうどんやさん権太呂を探しました。狭い田舎道をやっとのことで探し当てたら、休業中の看板が出ていました。仙台ではとても考えられない野原の真ん中で、ちょっと小高い所にありましたが、まわりがあまりにも閑散とした感じを受けたので、長い休業かとさえ思われました。しかしそこから戻って嵯峨野付近の店を見たところ、皆休業日で、その日が、嵯峨野の定休日に当たっていたのだとわかりました。
仙台のようなところでも、こんな道の細い田舎が観光地になっている所は見当たりません。嵯峨野と言う名そのものが全国的に知られている観光地で、昔の人が住んだままを残し続ける、それも、観光客に媚びることなくさりげなく残し続けているのです。そうでなければ、嵯峨野の嵯峨野らしさがなくなるのかも知れません。
次は戻って大覚寺へ行きました。大覚寺は、宸殿、御影堂などの建物を次々に廻り、最後に大沢の池に出ました。観光客を受け入れているためか傷みが進んでいる感じがする木造の佇まいで、その中にも歴史上の貴重な遺品が陳列されていました。池には白鳥もいて、秋には、十五夜に観月の船が出るそうですが、昔の面影がそのまま残っている広い自然の池でした。
そこから化野(あだしの)の念仏寺へ行きました。ここも特に車の往き来があるわけでもない何気ない所に駐車場があって、そこから半信半疑で歩きながらやっと見つけるという具合なのです。普段は観光バスに乗り、ガイドさんの誘導になれて自主性に欠けているせいがあるかも知れません。化野というと地名から不気味な印象が感じられますが、果たして、無縁仏の石が一面に並んで香が立ち込めていました。ここでは、八月の二十三、四日に供養の燈明が全墓石の前に立つということです。昔、死者を風葬にした場所で、八千体の石塔石仏があるそうです。
二日目も妙心寺内の見学から始めました。最初は、一般観光コースの法堂(はっとう)で、八方にらみの竜と鐘を説明を伺いながら見ました。次に、本坊の中にある新築したばかりの微妙殿の中に入らせて頂きました。古い庫裏から替わった新しい厨房と大集会場、そこには、妙心寺派のすべての寺を展示している所がありました。遠くはアメリカにまでお寺があるのには驚かされました。新築にあたり各寺から寄付された金額が上位から順に書いてありましたが、瑞巌寺はもとより塩釜や宮城県内のお寺の名前が三つも上位を占めていました。古い庫裏は、大きなかまどが並んでいて、上にフードがついていました。さっき見た法堂は、僧たちの修行の場ですが、冬はどんなにか寒さが厳しいのではないかと思いを馳せたのでした。
次の見学地は、妙心寺近辺の洛西方面でした。初めは金閣寺で、あの写真でしか見たことのない
金のお寺にとうとう来れたと感慨深く見あげました。栄華の名残がきれいに池に映えて目の前に開けました。池の周りを歩きながら、遠景、アップと写真に収めました。丁度手入れの時期かどうか、枝下ろしや池の中の藻を取る人々が出ていました。
次は、石庭で有名な竜安寺へ行きました。ここも妙心寺派の禅寺だそうです。絵葉書で見ていた印象ではとても広々とした所だと思っていましたが、実際に入ってびっくり、普通のお寺ぐらいの佇まいでした。塀は中国風の古ぼけたところが歴史の古さを物語っているのでしょうか。これこそ正真正銘の昔の京都そのもので、その時代の人々が過ごした日々の面影でした。普通のお寺の廊下も三々五々観光客が座って瞑想に耽ったり、きれいな箒の目の模様を眺めたりする文化遺産なのです。我が家の庭の管理に悩んでいる俗人の私は、このように砂と石にしたら手間が省けるかなどと雑念が過ぎるのですが、実は、プロの念入りな管理が人々の羨望を持続させているのだろうと考えさせられました。
昼近くなったので、嵯峨野のうどんやさん権太呂を探しました。狭い田舎道をやっとのことで探し当てたら、休業中の看板が出ていました。仙台ではとても考えられない野原の真ん中で、ちょっと小高い所にありましたが、まわりがあまりにも閑散とした感じを受けたので、長い休業かとさえ思われました。しかしそこから戻って嵯峨野付近の店を見たところ、皆休業日で、その日が、嵯峨野の定休日に当たっていたのだとわかりました。
仙台のようなところでも、こんな道の細い田舎が観光地になっている所は見当たりません。嵯峨野と言う名そのものが全国的に知られている観光地で、昔の人が住んだままを残し続ける、それも、観光客に媚びることなくさりげなく残し続けているのです。そうでなければ、嵯峨野の嵯峨野らしさがなくなるのかも知れません。
次は戻って大覚寺へ行きました。大覚寺は、宸殿、御影堂などの建物を次々に廻り、最後に大沢の池に出ました。観光客を受け入れているためか傷みが進んでいる感じがする木造の佇まいで、その中にも歴史上の貴重な遺品が陳列されていました。池には白鳥もいて、秋には、十五夜に観月の船が出るそうですが、昔の面影がそのまま残っている広い自然の池でした。
そこから化野(あだしの)の念仏寺へ行きました。ここも特に車の往き来があるわけでもない何気ない所に駐車場があって、そこから半信半疑で歩きながらやっと見つけるという具合なのです。普段は観光バスに乗り、ガイドさんの誘導になれて自主性に欠けているせいがあるかも知れません。化野というと地名から不気味な印象が感じられますが、果たして、無縁仏の石が一面に並んで香が立ち込めていました。ここでは、八月の二十三、四日に供養の燈明が全墓石の前に立つということです。昔、死者を風葬にした場所で、八千体の石塔石仏があるそうです。