人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦である 第6章  日本人は

2020-05-15 12:45:29 | 随筆
 日本人は国際的にどんな風に見られているかというと、おおむね「礼儀正しい」「親切」と良い評価が多いのではないでしょうか。現在も、非常事態宣言に従って、外出を控えている人が沢山います。コロナの拡大状況を見ても、収束に向かっている県が多くを占めているのは、自粛に従っている方が多いと考えられます。

 ところが、どうでしょう。それを全くくつがえす行為が増えています。それが想像を絶することなのです。外出を控えることに伴って国同士が交流を止めました。そして国内では、県外に超えることも自粛してほしいと要望されました。それをあろうことに県外ナンバーの車に被害を及ぼすというのです。今まで物流では全国にわたって行き来していたわけですから、ぴたっと止めるわけにいきません。急に他県の車を見かけても違反とは言えません。それを暴力で被害を与えるのは犯罪であることぐらいわかっている筈です。

 それから、献身的に働いて下さっている医療関係の方々の子弟の入園や交流を断るという差別です。もちろん、コロナ感染元となった場所に行った人や発症した人に対しても、予防のつもりでしょうが差別行為をする人がいるそうです。それが家族にも及ぼすとはなんということでしょう。手の足りないところ命がけで治療にあたる方々に、感謝こそすれ嫌がらせは許されません。

 今までも歴史的に外国の人に差別した記録は残っています。関東大震災の時の在日韓国人に対する差別、戦争中の捕虜の扱いなど、それらは子々孫々に語り継がれ、そいうことを起こさないように教訓として来ました。逆に、ODAなどという団体が後進国の援助を続けているのは国境を越えた人道主義ではないでしょうか。人は本来他人のためになることを喜びとする人が多いです。生まれてそういう心情が育っている筈です。世の中にはそれを持たない人がいるのでしょうか。善悪の区別は基本的な人の心得です。そういう人が大きくなるにつれ犯罪に手を染めるのでしょうか。基本的な隣近所の関係でも、嫌がらせを平気でする人がいます。

 年年歳歳人同じうからずーとよく言います。科学や医学芸術とそれぞれ発展する中で、人の心も荒れないように心から願います。評判通り優しい親切な日本人であってほしいです。