人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦である 第5章 アラカルト 国の行方から3か月

2020-12-10 20:58:07 | 随筆
 今年の9月、前総理の退任により次期総理を選出することに懸念する文を書きました。現在の政権は自由にものが言える党であるという理念が昔あったそうですが、いつの間にかそうではない党に成り下がったようです。

 以前から党の考えやり方に意見、苦言を言っていた党首候補が支持者が地方に大勢いるにも拘わらず党内では支持者数を増やせずにいました。その方は、客観的に見た党内の方向をまともな方向に修正しようと努力していました。評論家のいうことも、国民の考えもその考えに賛同していました。ところが、その候補者に票が行くのを意図的に阻止し国民から見ると姑息な方法で次期総理を決めました。

 当選した新総理はまるで自分の力で選ばれたと勘違いし、私のような政治歴でも総理になれるのだと挨拶しました。周りの側近が機械的に操作して対立候補が当選するのを見え見えの方法で阻止したにもかかわらずです。つまり正義や道義は考慮にいれず、党議党略に沿って党員を動かしたのです。

 その結果、大臣の不祥事での退任やコロナ対策についての専門分野との意思疎通、学術会議のことでは俯瞰して決めたというパロディにまで使われる言葉で返答したり鋭い政治手腕とは考えにくい状態です。

 官房長官の時代は長いこと木を鼻で括るような答えをしたというふうに言われています。またこともあろうに同じ考えの人にはいいけれど、自分と意見が違うとわかると冷遇するという今迄上に立つ人にない怖い面を持っているということを知りました。

 このように、党利に有利に作られた人事は、ここまで地に落ちてしまいます。世にいじめが跋扈していますが、学校、職場あらゆるところにハラスメントが絶えません。人は生まれながらに悪い考えを持っていません。世の犯罪を考える知恵は持っていません。教育では、道徳で倫理観を育てます。それで正義は何故育たないのでしょうか。戦争の悪夢を忘れない年代が、このような価値観の人が増えていくことをどう思っているでしょうか。前総理の恩師が教え子の前総理に送った手紙に私は同感感激しました。しかしその前総理の路線を継ぐとはっきり言われると国民は希望が持てるでしょうか。みなさんはどうお考えになりますか?国の行方は必ずしもクリーンなデモクラシーは望めないのではないでしょうか。













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