人類が未だ多くなかった時代にあったお互いの争いが、未だに続くのはどういうことだろうかと申し上げたが、「考える葦」の「考える」は、言語や文化スポーツとあらゆるジャンルでの考えるではなく、人と人の人間関係で、動物とは違う高度な繋がりを保つための「思慮深さ」である。
動物界でも、人間には及ばないながらも種族の保存上の繋がりはあるものの、生活の殆どは生存競争でありサバイバルの恐怖の中で生きている。人は、大勢の人の社会を作り上げ、よりよい暮らしへの規則を決めてお互いの暮らしやすい環境を作ってきている。長年の間には、イデオロギーや主義主張の相違を互いに調整することで争いを避けて生きる道を選びつつ発展してきた。
世界の多くの国の歴史を互いに理解しながら、経済協力や芸術の交流、医学を始めとする科学の発展に国境を越えて協力し合い、世界の垣根がない時代を送りつつある。ところが、最近このよい時代に暗雲が立ち込めてきたと感じない人はいないのではないかと思う。この平和な国際交流を十分に享受している人々はたくさんいるのは確かであるが、文化の進歩が遅れている国や天候の異常で国民の生存もおぼつかない国も多いことは看過できないことである。
先進国では、過度と思えるほどの物の生産、食料の無駄がある一方、地球の異常現象のため被害を受けているところがあり、国民の一人一人が望まない国家間のせめぎあいは、地球の存続にはマイナスの要因として歓迎されない筈である。それが当たり前に考えられる常識として理解されることなのに難しいのは、思慮深さの欠如に他ならない。
地球上の国々が、夫々自国の利益、国民の幸福を考えて政治をするのは当然だが、科学、芸術、医学、スポーツでは世界が1つになって協力し、人類の発展を期しているわけで、政治面で反目するのは理不尽と言わざるを得ない。人は長い年月をかけて進歩してきているので、考え方も、誰でもが理解でき、お互いの立場を理解する広い考えが育まれなければならないと思う。自国の利益を優先に考え、世界一の国をお互いが競い合っていたら、信頼関係のうすい疑心暗鬼の方向に向いて行くのは目に見えている。経済が強く、国民の生活水準が高い国でも格差は見られるし、後進国は勿論、政治の無能が国民を苦しめている所が見られるのは世界のバランスからいっても不条理と言わざるを得ない。国の政治が、他国との競争にばかり焦点を当てていれば、国民の倫理観もそちらの方向に強くなり、世界の国々の協力的な助け合い、平等な幸福の享受にも排他的考えが多くなるのではないだろうか。
それで、国民一人一人が本当に人間らしく、お互いを思いやる関係を築く社会を構成するために
今疎かになって来ている「思慮深さ」とはどういうことかを考えて行きたいと思う。
動物界でも、人間には及ばないながらも種族の保存上の繋がりはあるものの、生活の殆どは生存競争でありサバイバルの恐怖の中で生きている。人は、大勢の人の社会を作り上げ、よりよい暮らしへの規則を決めてお互いの暮らしやすい環境を作ってきている。長年の間には、イデオロギーや主義主張の相違を互いに調整することで争いを避けて生きる道を選びつつ発展してきた。
世界の多くの国の歴史を互いに理解しながら、経済協力や芸術の交流、医学を始めとする科学の発展に国境を越えて協力し合い、世界の垣根がない時代を送りつつある。ところが、最近このよい時代に暗雲が立ち込めてきたと感じない人はいないのではないかと思う。この平和な国際交流を十分に享受している人々はたくさんいるのは確かであるが、文化の進歩が遅れている国や天候の異常で国民の生存もおぼつかない国も多いことは看過できないことである。
先進国では、過度と思えるほどの物の生産、食料の無駄がある一方、地球の異常現象のため被害を受けているところがあり、国民の一人一人が望まない国家間のせめぎあいは、地球の存続にはマイナスの要因として歓迎されない筈である。それが当たり前に考えられる常識として理解されることなのに難しいのは、思慮深さの欠如に他ならない。
地球上の国々が、夫々自国の利益、国民の幸福を考えて政治をするのは当然だが、科学、芸術、医学、スポーツでは世界が1つになって協力し、人類の発展を期しているわけで、政治面で反目するのは理不尽と言わざるを得ない。人は長い年月をかけて進歩してきているので、考え方も、誰でもが理解でき、お互いの立場を理解する広い考えが育まれなければならないと思う。自国の利益を優先に考え、世界一の国をお互いが競い合っていたら、信頼関係のうすい疑心暗鬼の方向に向いて行くのは目に見えている。経済が強く、国民の生活水準が高い国でも格差は見られるし、後進国は勿論、政治の無能が国民を苦しめている所が見られるのは世界のバランスからいっても不条理と言わざるを得ない。国の政治が、他国との競争にばかり焦点を当てていれば、国民の倫理観もそちらの方向に強くなり、世界の国々の協力的な助け合い、平等な幸福の享受にも排他的考えが多くなるのではないだろうか。
それで、国民一人一人が本当に人間らしく、お互いを思いやる関係を築く社会を構成するために
今疎かになって来ている「思慮深さ」とはどういうことかを考えて行きたいと思う。