人は、考える葦である。天は自ら助けるものを助ける。

戦後の混乱から立ち上がり、文化的平和な国に成長した日本が、近頃反対の方向を向き始めた。偉人の言葉を考え直して見たい。

人は考える葦である  第6章   麥飯と とろろ

2020-12-26 15:46:36 | 随筆
 この施設では、クリスマスに楽しいイベントがあったそうですが、今年はコロナ予防のため、職員の熱演ハンドベルのコンサートになりました。そのあと、力のこもったクリスマスランチが出、それに対してアンケートを求められました。私は来て間もない新米ですが、感じたことが沢山あるので書かせて頂きました。

 最初に、今日使ったエネルギーの半分でも日常の食事に払って欲しいということです。入室者でも、普段利用している人はごくわずかです。しかしこのようなイベントとなると利用者は増えます。しかしそのうちの何人がアンケートに答えるでしょう。無記名とはいっても数少ないことは予想されますが、代価を払っていることでもありますから出させて頂きました。前回書いたようにワンパターンのローテーションというあまり喜びを感じないメニューにもう一工夫が欲しいと思ったのです。
 
 小鉢やデザートなどで品数はあっても、内容は必ずしも栄養を満たしているかどうか疑問も湧いてきます。もちろん毎回ではなく満足できることもあります。又数の不足のため代替品が出ることがありますが、これは栄養的にもってのほかと言わざるを得ません。予約なしの予想数調理なので、フードロスは考えられますが、逆に欠品というのはどうかと不快になります。

 大体は、代替品ですみませんと言われることもありますが、何も言われずに置いて行かれることもあります。私が夫と同じメニューを頼んだ時、同じものを受け取りましたが、何も言われません。しかし、メニューは麦ごはんとトロロだった筈がトロロはなくて納豆になっていました。たまたま通りかかった係の人にその旨を言ったら、メニューが変わりましたというのです。麦にトロロは戦中のご馳走だった思い出のご飯ですので、私のお気に入りでした。いつも量が少なく残念な思いで食べていたのに、納豆とはがっかりといった気がします。

 ところが、納豆を食べ始めた時に、上司がとろろの小鉢を持ってきて下さったのでした。えつ
ダブルでいいのですかと思わず言ってしまいました。このトロロは、誰のためにとってあったのでしょうか。そして納豆に変わりましたといった係の人は、自分の判断ではなく、コックさんとの打ち合わせではなかったのでしょうか。うれしいやらほろにがいやらの食事でした。

 ワンパターンのローテーションだと栄養士は栄養の計算の手数から逃れられます。コックさんも作る手数を簡単に済ませられます。しかし、一旦栄養のことを考えると、実の少ないお澄まし、缶詰のフルーツ、盛り付けの少ない一品など見ると栄養が満たされているのかと心配になります。見た目を重視して旅館のご馳走をイメージするのでしょうが、そういう時は、品数は多くいると思うし、大盛りの時は、老人向けの量(おでん、スパゲティ)に配慮して欲しいと思いますが、若い方々にはご理解いただけないかも知れません。栄養の無視は、体づくりにも影響する老若男女すべての問題と考えます。






人は考える葦である 第6章  地上の楽園

2020-12-17 20:56:17 | 随筆
 私が逃げ込んだ施設は生活支援付きマンションでした。でも入居の時は自立していることが大事な条件です。しかし、入居したその日から生活支援に対する高額な費用を支払うことも条件となっています。介護が主となる施設は、それなりの生活のできる部屋が準備されていますが、マンションは、しっかりしたマンションの形態ですから、家賃も高額ですし、自室のほかの利用施設にも恵まれています。

 ところが私の最も期待した食事の内容は、今迄経験した病院の食事に比べると、価格では高額にも関わらず、それに似あったものでないことに落胆させられました。誰もが複数の施設を経験できるわけでないので、同じような老人向け施設の食事を知る由もありません。もちろん調理している人の費用も含まれますが、それが、生活支援をしている方々全体を含むように考えられます。

 食堂に行くと、杖をつく人、押し車を押してくる人、車いすで運んでもらう人が目立ちました。元気な方もいらっしゃいますが、お部屋に膳を運んでもらう人もいます。私は自立しているので、その方々よりは、係の方の手は煩わしませんが、多くの元気な方は食堂を使わず自炊をなさっているようです。自炊をするしないで大きな負担の違いがあります。

 食堂の入り口にあるロビーでくつろいでいると、人の動きが多いことに気が付きます。車を押して歩いている人が、お迎えの人の車で出かけます。デイサービスか病院などでしょうか。元気な人は近隣を巡回するマンションのバスで出かけます。週二回は遠くのショッピングセンターに行けるので、自炊している人の良い足になっているようですが人数に制限があり、早々と申し込まないと行けません。

 その他掃除をする人、看護師さんの動きもあります。ほんとに世話を受けている人が多いのだと感じますが、その方々は、入居の時は自立していたのだろうか、いつからあのようなお世話を受けているのだろうかと思わせられます。ご夫婦で食事し、どちらかが認知症なのかと感じる人もいます。一人で認知症の方は特別食を調理してもらっているようです。看護師さんはまだ利用しないのでわかりませんが家に訪問して仕事をしているようです。

 いろいろサービスがあるようなのですが、コロナの影響か、集まって楽しむ事は殆どなくなって、実際にあるのは日曜の映画、簡単な運動タイム、温泉水の浴場、送迎バスぐらいです。この時期に入ったのが、たまたま世の沢山の方々のコロナによる不運との遭遇同様に諦めることなのかもしれません。突然の降雪でも、雪かきの心配はないし、外出の制約で家にいることが多い生活だと知人との交流も途絶えて感染の予防にもなります。もちろん、食堂でも友達はできませんし黙々と食べているような状態です。

 さて食事ですが、入って間もなく、すぐ飽きてしまったので、食事の統計を取ってみました。初めに感じたのは、魚の切り身が、調理を変えて何回も出てくることでした。肉は鶏肉が多く牛肉はないに近い位です。ごはんは常に白いご飯で、炊き込みや混ぜご飯など、手間がかかるせいか頂けません。麦ごはんととろろが昔懐かしいメニューです。だから炒飯はとてもおいしかったです。もう2か月近くなりこれから年末年始を迎えますが、どういったメニューになるのか、あまり期待はしない方がいいのかと思います。メニューで感じるのは、調理のパターンが決まっていることです、見ただけで「あ、これはこの間も出た」というようなサンプル化していることです。サンプルを組み替えて忘れないうちに出すのは、調理の工夫ではなくサンプルのローテーションではないかと考えてしまいます。これでは、飽きるのが当たり前です。しかし、出されるものに文句を言うのは不遜だろうと言われそうにも思います。戦時中、欲しがりません勝つまではというスローガンで老いも若きも苦労した時代を思い出します。一寸の虫にも五分の魂ということもあります。作る人の苦労や働く人の手当てなど必要とは思いますが、値段にあった、新鮮な野菜を食べたい思いです。品物がなくなると冷凍と思われる同じ代替品がその度出ます。栄養のことを考えると残念です。他にも冷凍の加工品と感じることもあります。食べる側で、作る方の栄養士さんコックさんの言い分は分かりませんが、ものの言えない立場の弱さをひしひしと感じます。

 建ててから18年経っていますので、同じ栄養士さんコックさんでやっているとすればマンネリ化も視野に入ってきますし能率優先で利用者軽視ということもあるかもしれないと思います。時々一斉に交代するという例もあるのではないでしょうか。入居してからまだ少しなのですが、お互いにざっくばらんに話すことがないので、この場を借りて感想を述べました。入居者の集まりもコロナでなくなったというし、施設にとっては思い通りに進められるのではないでしょうか。




















 


人は考える葦である 第5章 アラカルト 国の行方から3か月

2020-12-10 20:58:07 | 随筆
 今年の9月、前総理の退任により次期総理を選出することに懸念する文を書きました。現在の政権は自由にものが言える党であるという理念が昔あったそうですが、いつの間にかそうではない党に成り下がったようです。

 以前から党の考えやり方に意見、苦言を言っていた党首候補が支持者が地方に大勢いるにも拘わらず党内では支持者数を増やせずにいました。その方は、客観的に見た党内の方向をまともな方向に修正しようと努力していました。評論家のいうことも、国民の考えもその考えに賛同していました。ところが、その候補者に票が行くのを意図的に阻止し国民から見ると姑息な方法で次期総理を決めました。

 当選した新総理はまるで自分の力で選ばれたと勘違いし、私のような政治歴でも総理になれるのだと挨拶しました。周りの側近が機械的に操作して対立候補が当選するのを見え見えの方法で阻止したにもかかわらずです。つまり正義や道義は考慮にいれず、党議党略に沿って党員を動かしたのです。

 その結果、大臣の不祥事での退任やコロナ対策についての専門分野との意思疎通、学術会議のことでは俯瞰して決めたというパロディにまで使われる言葉で返答したり鋭い政治手腕とは考えにくい状態です。

 官房長官の時代は長いこと木を鼻で括るような答えをしたというふうに言われています。またこともあろうに同じ考えの人にはいいけれど、自分と意見が違うとわかると冷遇するという今迄上に立つ人にない怖い面を持っているということを知りました。

 このように、党利に有利に作られた人事は、ここまで地に落ちてしまいます。世にいじめが跋扈していますが、学校、職場あらゆるところにハラスメントが絶えません。人は生まれながらに悪い考えを持っていません。世の犯罪を考える知恵は持っていません。教育では、道徳で倫理観を育てます。それで正義は何故育たないのでしょうか。戦争の悪夢を忘れない年代が、このような価値観の人が増えていくことをどう思っているでしょうか。前総理の恩師が教え子の前総理に送った手紙に私は同感感激しました。しかしその前総理の路線を継ぐとはっきり言われると国民は希望が持てるでしょうか。みなさんはどうお考えになりますか?国の行方は必ずしもクリーンなデモクラシーは望めないのではないでしょうか。