kazさんの日々彩々2

どうして花は咲くのだろう?どうして小鳥はさえずるの?
やさしい想いや言葉にふれて、どうして人は泣くのかな?

人を支える

2006年10月02日 | 「想」の彩り

昨日、娘の小学校の運動会でひょんなことから、ある方(以下Aさんとします)と知り合いになった。

“地域の世話役係”みたいな人は、まあ、どの地域にも一人くらいはいるものだけど、この方もそんなひとりで、地域に移住・移転して来た人達に対し、早く地域に溶け込めるようにと、BQ大会やソーメン流しなどを行い、子供を中心に大勢の人をそれに招き、みんなから自分の家族のように親しまれているような方だ。

運動会のこの日も、ご自分のお孫さんのために駆け付けたのは勿論のことだが、その地域の一人ひとりの子供たちに応援の言葉を投げかけてあげるのだそうだ。それも、このお孫さんがいる小学校だけに限らず、幼稚園や保育園にまで“掛け持ち”で廻るのだと聞いて頭が下がる思いがした。

自分と話しをしている間にも、何人かの父兄の方がAさんを見つけて、にこやかに挨拶をして来られてその人望ぶりがよくわかった。中には「Aさん、私たちお昼のお弁当の席はあそこに取ったから食べに来てね~!」と、その場所を指さしながら声をかける若い主婦の方などもいた。


話をしているうちに、このAさんは、あるボランティア団体の副会長もされている事がわかった。
孤児院施設の子供たちのための活動団体で会員の方は300名ほどいるらしい。

こちらの仕事を尋ねられ「印刷物関係のデザイン製作業」と答えたら、目を丸く輝かせて「もし良かったら一つだけボランティアでお仕事をやってもらえませんか?」と言われ、取りあえず内容を聞いてみた。
「3年に1度ほど、会のパンフレットを一部分作り直さなければいけないのだが、それをやって頂ける方がいたらと思っていた」との事。お人好しに思われるかもしれないけれど、そんなに大変そうな仕事でもないので承諾させていただいた。今日この日に出会い、こんな依頼を受けたのは偶然のようにも思えず、むしろこの方と縁を結べることが嬉しくさえ思えた。

そのあと、Aさんが少し意外な質問をしてきた。
「ところで、孤児院という所はどんな所だと思いますか?」
「どんなって・・・、何かの事情で両親を失ってしまった子供たちがいる所では?」
Aさんは首を振りながらこう言った。
「私もこのボランティアを始めるまでは、そう思っていました。ところが今の孤児院というのは、そうではないんです。60人ほどいる、この孤児院の子供たちのほとんどが、親からの虐待などが原因でやって来た子供たちなんです。この間もお腹を包帯でぐるぐる巻きにした子供がいました。親から熱湯風呂に無理矢理入らされ、やけどを負った子供さんでした・・・」
「・・・そういった親は、その後子供たちに会いにやって来たりする事もあるのですか?」
「会いに来る親もいれば、そのまま全く会いに来ない親もいます」

運動会の競技は進み、昼食時間になった。
午前の部を終えて子供たちが解散すると、父兄のみんなが我が子の元へそれぞれ駆け寄って、弁当を置いた場所へと連れて行く。どこの家庭の弁当も華やかで美味しそうだ。子供たちはみんなニコニコ笑っている。
こんな当たり前の光景を見ながら、ふと、さっき聞いたばかりのAさんの話しを思い出し、孤児院の子供たちの事を考えると、いたたまれない気分になって仕方がなかった。

“人を支える”とういう事は、“こんな現実が有る”と言う事を、しっかりと知ることから始まるのかも知れない。