数年前、乳がんのために他界された佐野洋子さんのエッセイ本に、
その病の中に有りながら書いた、『死ぬ気まんまん』という
遺作となった本が有ることを、今頃になって知った。
“死ぬ気まんまん”。
すごいタイトルだな・・というよりは、それを通り越して
なんだか、おそろしいタイトルだなと思う。
読んでみたいような、読みたくないような・・。
ちょうどそんなことをボンヤリ考えていたある日、カミさんが
「ねえ、庭先の沈丁花の木、あれ、もしかして枯れちゃってるんじゃない?」と
聞いてきた。
庭へ出て見てみると、もう花が咲き出してもおかしくないはずの
沈丁花は、花どころか一枚の葉さえも残さず、
枯れ枝だけを残して立っていた・・。
何が原因だったのかは解らないけれども、
長い間、その花の香りで春の訪れを知らせてくれてたこの木は、
僕が「寒い、寒い!」と言いながら、外へ出て庭を眺めようともしなかった冬の間に、
文句も言わず、ひっそりと枯れ果ててしまったのだ。
その枯れ様は、哀れというよりも、むしろ見事!
そう言ってやりたい・・。
“枯れる気まんまん”、
まさか、そんなつもりでいたんじゃ、ないだろけれど・・。
枯れ果てた沈丁花の隣では、
“生きる気まんまん”のユキヤナギの木が
「ねえ、見て見て!わたし綺麗でしょ!?」とばかりに、
咲き誇っている・・。
「ああ、綺麗だよ。」と言ってはやるものの、けれども僕の目は、
やっぱり横の枯れ木となった沈丁花を見つめてしまう・・。
見つめながら・・
“今日は、もう引き抜いてしまおうか・・”と、思ったりするのだけれども、
なんだかそのたびに、
あの独特の香りが今も鼻を突いて来るようで、
“まだしばらくは、このままで・・”と、
いまだに抜けずに今日もいる・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます