kazさんの日々彩々2

どうして花は咲くのだろう?どうして小鳥はさえずるの?
やさしい想いや言葉にふれて、どうして人は泣くのかな?

風と桜とおやじ様

2010年04月05日 | 「春」の彩り
桜満開を迎えた先月末、カミさんの実家伊佐市大口へ。

カミさんと娘は、大口へはちょくちょくと行っているのだが、
僕は1月以来、足を運ぶことが無かったので、
カミさんの父親“おやじ様”の近況伺いということで
訪ねてみることにしたのだ。

着いたのはちょうど昼時だったので、大口にいるカミさんの
妹家族も一緒に集い、おやじ様を囲んでの外食ということになり、
嬉しい時間を共に過ごした。

昼食後は、そのままおやじ様の家へ帰る予定だったのだが
途中、車の中で、「せっかくだ。桜を見に行こう!」と
おやじ様が提案。
言われるままに道案内されて、辿り着いたその場所は、
地元の人でなければ知らない桜の名所。
爛漫満開の桜の花々が待ち受けてくれていた!







穴場的な場所とあってか、他に花見客などもおらず、
穏やかな陽射しの中、時折静かにそよぐ風がハラハラと
桜の花びらを舞い踊らせていた。

今ここにいるのは、僕らと桜の木、そして春の風・・



「あ〜、こうして満開の桜の木の下にいるだけで
私たちは幸せ、満たされているんだ!っていう気持ちになれるわね〜。」と、
カミさんが笑顔でそう言った。
それを聞いてなんだか僕は、カミさんのその言葉の裏に、
『この桜の前で、アナタも少しは普段の自分の欲深さ、傲慢さを
反省してみたら?』という思いが潜んでいるように思え、
苦笑いでコクリと頷いて見せた・・。

娘(小5)は、
「風で散って来る、桜の花びらを7枚つかまえることができたら、
幸せになれるんだって!」と、そう言いながら、
しばらくの間、そのことに夢中になっていたけれども、
意外となかなかそれは難しく、
「もういいわ。だって今私は幸せだもん!」とでも思ったのか、
花びらを2、3枚つかえまえたところで、やめてしまった。



おやじ様は咲き乱れる桜に目を凝らし、
そうして優しく吹いて来る風に昔の記憶を見つけたように、
「たしか、この桜は自分がまだ子供だった頃から、
こうして咲いていたはずだ。だから樹齢は100年は超えているだろう。」と、
当時の思い出話しを交えながら、そんな事を話してくれた・・。



あとでカミさんから聞かされた話だが・・

この日の帰り際、僕の知らない所でカミさんがおやじ様に
「お父さん、今日はいろいろとありがとう。」と、そう言うと、
「はいはい。・・まあ俺も、こんなふうにここへ桜を見に来られるのも、
最後かも知れんからなあ・・。」と、そう言ったらしい。
「何を気弱なことを!」と、その話を聞いて一瞬そう思ったが、
でもそれは、気弱さから出た言葉ではなく、
むしろ、“避けられない老い”というものを
正面からしっかり受け止めようと決意しようとしている、
おやじ様の強さから出た言葉なのだと受け止めた。

が、勿論寂しさも有るのだろう・・。

今できる親孝行といえば、会いに行って顔を見せ、
思い出話しを聞かせてもらうことくらいだ。
今年はもっと時間を見つけて足を運ぶようにしたいと思う。

そして勿論、来年の春、

桜の花がまた咲く頃には・・

おやじ様と一緒に、この桜の木の下を

肩を並べて歩くのだ。




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