新型コロナウィルスのワクチン接種が大幅に遅れている。諸外国に比べても遅れている。感染しているかの判定のPCR検査も広く行き渡っていない。昨年いや一昨年暮れから発生して長い。小生の記憶でもこれほど長期の緊急事態は無い
欧米では都市封鎖などしたが、日本ではそれほどの感染者数は増加しなかった。都市封鎖に至る手前で止まっていた。その理由はマスクで口元を隠すことが、欧米に比べて習慣化されていたこともあろう。また衛生管理も感覚的にあったかも知れない。しかし、医療機関は逼迫してきた。欧米では感染に際し、PCR検査と並行してワクチン接種を早期に達成すべく動いていた
わが国の指導者は、PCR検査も広まらずワクチン接種にはのんびりと構えていた。安倍晋三・菅義偉政権では新型コロナウィルスを単なる風邪ぐらいだと考えていたのだろうな。従ってアベノマクスと報道機関から喝采され、また民主主義国と言うことで私権の制限は抑えていた。然れども、商売優先上Go To トラベルなどを推進していた
ここに来てワクチン接種とオリンピック開催は菅義偉政権の命綱であろうな。医療関係者へのワクチン接種が完了してない中、65歳以上の高齢者のワクチン接種の予約が始まった。当初は自治体に任せていたが、遅々として進まないのに業を煮やして東京都大阪で大規模接種会場を決めて自衛隊に任せた
トランプもそうだったが、大統領や首相の権限は強いし大きなものであるな。いかに民主主義国家と雖も、民の選挙で選ばれた指導者であっても一国のトップなれば、その権限は大きい。人事権も持ってるし、調査の権限も、実行の権限は大きいものがある。ただその権限は、責任を伴うのが民主主義国であろうが、肝心要の責任はおざなりである。ただ権力者は責任よりも快楽の享受の方がおおきいいんだな。たとえ裸の王様と言われようが、王様である限り、王様の快楽は人民の快楽よりもはるかに大きいんだな
田村正和が亡くなったと。4月3日に亡くなっていたことが報道されている。俳優で私生活は表に出さなかったと。父親はバンツマこと坂東妻三郎。数少ない私生活をテレビで放映されている。私生活を表に出さないために余計にベールに包まれている。まさに役者、昔の俳優だったな。私生活を表に出すと役柄が壊れると
松島トモ子がいた。猛獣に2度も襲われた。永六輔の土曜ワイドで語っていた。子役から芸能界に入っただけあって、特殊な芸能界であるだけに世間とか異なる世界観を自覚していたと。子役で鞍馬天狗でアラカンこと嵐寛寿郎主演に杉作で出ていたと。アラカンは撮影が終わると芸妓に会うためお茶屋に直行すると。亡くなった葬儀にアラカンの自宅を訪れたが粗末な家だったと。アラカンは映画で稼いだ金をすべて芸妓につぎ込んだと。映画とお茶屋しか知らなかったと
田村正和の数少ないプライベートを聞いていて、家族と一緒に食事をするのは年に数回だと。いつもは食膳の前で一人で食すると。池波正太郎も夕食は一人で食すると、その後、妻と母が食すると語っていた。昔の古い俳優や文士はそのようであったのかも知れない。昔の古風な昔気質の人が逝ったな。役者しか俳優しか出来なかったのかも知れない
俳優は、昔は映画で活躍した。銀幕のスターと呼ばれた。今は活躍の舞台をテレビに移した。テレビの出始めは、テレビに出るようになっちゃお終いだと言われたが、今じゃテレビの影響力は恐ろしい。テレビとは画面に出る回数なんだな。それとスポンサーが控えているのでスポンサーの影の影響力は強い。テレビとは報道機関でもあり宣伝媒体でもある。田舎の餓鬼でもテレビが全国放送化されているのでお笑い人の顔や名前を知っている。テレビとは映像であるのでスポーツかお笑か食い物である
これをやっていれば間違い無い。それとツイッターのように短い気を引く言葉だな。変態と言われた小泉純一郎のように短い言葉が良い。短い時間で短い言葉が良い。昔の役者は容貌が整っていた。今のテレビじゃ容貌はむしろ悪い方が視聴者に親しみがあるんだな。だから食い物を鱈腹食ってデブが多い
歩きながらの食う姿など昔は考えられなかった。しかしテレビの映像では大口を開けて食うお笑い人が受ける。アナウサーも新人ではテレビ場面の前で大口を開けて食う。食えなかったらアナウサーに成れない。ある法律事務所では面接場所を酒場でやると。飲んだり食ったりすると本音が出る、人柄が現れる。しかし、カメラの前で食う場面は酷であろうな
変態と言えば、テレビ朝日の従業員であるグッドモーニングに玉川徹がレギュラーで出演している。的を得た発言が多いが、長年サラリーマンだけあって素直なんだな。変態とは、ひねくれた人でなく、意外と素直な人間が多いな。それに比べ弁護士なぞはテレビであろうな、賛否を明らかにしない。玉川徹は自らの主張と同調すると首振り人形のようだな。小生は玉川徹を首振りの玉川君と称している
河野太郎規制改革相がワクチン接種の担当を担うことになった。ワクチン接種が地方自治体主導で始まっている。予約の方法はインターネットか電話であり、先着順である。それ故殺到して混乱している。河野太郎がそれを称して「自治体が公平性や平等性に重きを置いていることに気付かなかったのは失敗だった」と述べたと。半ば羨望、半ば皮肉であろうな。権力者から見れば、公平性や平等性に重きを置いていないことを暴露したな。しかも迅速性にも欠けるんだな
公平性や平等性とは何であろうな。難しいな。先着順、抽選、年齢順、地域制等色々な方法があろうが、何せワクチン数が少ないために混乱することは避けられない。しかも高齢者にとってはパソコンやスマートホンは無理である。10年ひと昔と言うが、この数年の技術進歩は恐ろしい
電子計算機(コンピュータ)は古くからあったらしいが、マイクロソフトがwindouws95を発売したのが1995年(平成7年)である。今からほんの20数年前である。その前は文書の作成はワープロでやっていた。windouws95が普及してもインターネットはまだまだ接続が限定的であった。現在のように四六時中の接続は21世紀に入ってからである。平成も後半になってインターネットも普及して、電子計算機がパーソナルコンピュータ(パソコン)と呼ばれ一人一人がパソコンを持つようになってきた
それに伴って電話機も黒い固定電話機から携帯電話、スマートホンと進化してきた。従って高齢者がパソコンやスマホに馴染が無いのは自然である。ましてや機会均等と言われる教育の分野でも電算機の教育を受けていなかった。義務教育では接しなかったので、独学で学ぶしかなかった
インンターネットを平等性や公平性の手段で使用するのは無理と言うものである。それほど社会の進化、動きは速いと言える。今じゃ電気製品でも購入しても取扱説明書は製造元のホームページに格納されている。インターネットに接しない老人は生きていくのが難しい世の中になってきた。またキャッシュレスの流れにより、インターネットでの購入はクレジットカードを使用していないと購入できない状態である
今の義務教育がどうなっているか知らない。若年層はパソコンに詳しい者もいる。小生もパソコンで行き詰った時には専門家の遠隔操作に委ねる。パソコンは多くの電気製品と異なりソフトのバージョンアップがつきものである。バージョンアップしないと、パソコンをうまく使えない
マイクロソフトは19日に、パソコン向けのネット閲覧ソフト「インターネット・エクスプローラ(IE)のサポートを来年6月15日で終了すると発表した。今でもIEを開くと以前はバージョンは10とか11であったが、記載方法も変わった。これからはマイクロソフト・エッジが後継ソフトになると。インターネットの場も日々変わっていく
菅野完がいる。モリカケに反対して国会前でハンガーストライクをした男である。その菅野完が「月刊日本」で【極めて醜悪な「令和の公共事業」の正体】として面白いことを語っていた
昭和から平成にかけて、国会議員から地方議員まで土建業が営んでおり公共事業の利権構造に食い込んでいた。公共事業の予算で商売をする土建屋の社長本人が、公共事業の予算配分に携わる議会の議員をやっているのだから、本業の土建業が儲からないわけはない。逆もまた然りである。しかし、その権力はまたたく間に瓦解し、彼らは没落することになる。バブルの崩壊が原因ではない。彼らのコンチェルンが瓦解し、彼らが没落し去ったのは、小泉内閣の登場によるところが大きい。公共事業がなくなったのだ。おそらくここ30年、これと同じような物語が日本全国のあちこちで展開されたはずである。そして同時にこれは、自民党の権力基盤の変遷の物語でもある。小泉純一郎は、自民党党内政局における宿敵ともいうべき田中派=竹下派を葬り去るために、この流れに棹を差した。「自民党をぶっ潰す」という彼の政治姿勢は、こうした公共事業の分配を背景とした田中派=竹下派的な権力基盤の否定に他ならない。そして小泉はそれに成功し、その成功が現在の自民党における「清和会専横」の最大の原因となっている。土建屋政治家が土建公共事業の予算配分の議論をするのだ。それはすなわち、行政の出す予算案の議論に携わる人々がみな、行政の出す見積資料を読む能力のある人々ばかりだということである。つまり、その工事がどのような内容であり、どの工法でなされ、どれぐらいの期間がかかり、どれほどの金額が必要か、見積書の内容がわかる人々が予算議論に参加していたのだ。行政の誤魔化しやミスが通用する余地などあろうはずがない。
今年度予算の特色は、菅内閣の目玉の一つが「デジタル庁の創立」であることもあり、各省庁とも、いわゆる「行政のIT化」に向けたIT投資をふんだんに盛り込んでいる点にある。ありとあらゆる省庁がそれぞれの分野で「AI連携」「DX推進」などという美辞麗句を散りばめて、システム開発予算を財務省に要求している。その様子は、システム開発予算があたかも「令和の公共事業」となったかのようだ。しかし、令和の公共事業であるシステム開発予算が、昭和の公共事業のインフラ予算とは、大きく違うところがある。昭和の公共事業と違い、令和の公共事業には、政治の側にその要求予算の根拠となった見積資料を読む能力のある政治家がほとんどいないのだ。予算の概算を書く人間も、その予算を審議する人間も、その予算の根拠となった技術的基盤がどれぐらいの値段のものなのか、どのような技術でどれほどの難易度のものなのか、市中価格はいかほどかなどという基礎知識がないまま、予算が要求され、審議されていく。確かに、政界は〝清潔〟にはなったのかもしれない。昭和の公共事業のように、予算の使途を受ける当事者や利害関係者が実際に議席に座って予算を配分するという〝不潔さ〟はなくなったのかもしれない。しかし、令和の公共事業では、〝清潔〟なまま腐敗が進んでいる。そして誰も気づかないまま、動かないシステム、必要でないデーターベースに巨額の予算が注ぎ込まれ続けている。検査ではなく接触者管理という戦略を採用した我が国のコロナ対策にとって最終兵器であったはずの、濃厚接触者感知アプリ「COCOA」が全く機能していないなどという無様な様子を、政治家も官僚も指を咥えて見ているだけである。 今年度も数兆円規模の国家予算がドブに捨てられるかのように、令和の公共事業に消えた。そのツケを払わせられるのは、有権者・納税者であることを忘れてはならない。
以上が菅野完の文章を抜粋した。この指摘は、主張は的を得ている。文脈も論点も疑問点もただ平伏すのみである
新型コロナウイルスワクチン接種の大規模接種センターの予約に関して、「AERA dot.(アエラドット)」と毎日新聞の記者が架空の接種券番号で予約できるか検証したら入力出来たとする報道について、安倍晋三と岸信夫防衛大臣は悪質な妨害愉快犯であり法的措置も辞さないと語ったと
安倍晋三と岸信夫防衛大臣は実の兄弟だと。兄弟でも性格が違うのもいるが、この兄弟は同じようであるのを窺える。安倍家、岸家、佐藤家と政治家一家と言えるも影響しているのかもしれない。同じような気質であろうな。システムの欠陥を気付いていれば事前に公表するのが筋である。政府当局の説明がなされないので報道機関が色々検証しなくちゃならなくなる。民の検証など無用と思ってるんだな
IT用語辞典 e-Wordsによると
IT 【Information Technology】 情報技術とは、情報を取得、加工、保存、伝送するための科学技術。特に、電気、電子、磁気、電磁波などの物理現象や法則を応用したコンピュータなどの機械や器具、および、その内部で動作するコンピュータプログラム(ソフトウェア)を用いて情報を扱う技術のこと。と
ここまでは分かるんだな。ひと昔前は情報収集とか情報処理とか言っていた
デジタル 【digital】 とは、機械で情報を扱う際の表現方法の一つで、情報をすべて整数のような離散的な値の集合として表現し、段階的な物理量に対応付けて記憶・伝送する方式のこと。対義語は「アナログ」(analog)で、情報を連続した物理量で表現する方式を意味する。
特に、現代のコンピュータのようにデータをすべて0と1の組み合わせ(二進数の数値の羅列)に置き換え、これをスイッチのオン・オフや電圧の高低など明確に区別できる二状態の物理量に対応させて保存・伝送する方式のことを意味する場合が多い(三値以上の系を用いる場合もあるが各状態は離散的に区別される)。
2進数【binary number】二進法とは、数を書き表す方法(記数法)の一つで、基数を2(二)とした表記法のこと。通常、アラビア数字の「0」と「1」の二つの数字を用いてすべての数を表現する。2進数の値の連なりとして表現されたデータ形式を「バイナリ」(binary)という。
2進数では桁が一つ左へ移動する毎に値の重みが2倍に、右へ移動するごとに1/2倍になる。すなわち、整数の右端の桁は1(20)の位、その左は2(21)の位、その左は4(22)の位、その左は8(23)の位、といった具合に各桁の重みが決まる。例えば、2進数の「1101」は、我々が普段用いている10進数(十進数)では 1×8 + 1×4 + 0×2 + 1×1 で「13」となる。
デジタルや二進法となると皆目理解できない。日本語とは縦書きであった。筆で文字を書いたので縦書きが都合よく、横書きでも右から書いた。電算機の台頭により、縦書きが横書きになった。英文字など外国語は横書きである。外国語の渡来により、当時は明治の初期は外来語を日本語に当てはめた。思想、哲学、倫理、思惟、産業、革命など言葉を日本語を作っていった。西周など学者冥利に尽きただろうな
しかし、ここ数年役所を筆頭にして外来語はカタカナ書きに、横文字になった。日本語に造語する余裕が無くなった。従ってIT用語辞典のデジタル 【digital】の意味も長ったらしくなり理解に苦しむ
昨今の義務教育を筆頭にして、教育ではデジタルや二進法はどのように教えているのだろうか。大学でも総合政策学部、環境情報学部、果ては情報コミュニケーション学部やキャリアデザイン学部とか国際コミュニケーション学部やネットワーク情報学部やグローバル・メディア・スタディーズ学部やコミュニティ人間科学部やコミュニティ福祉学部や新しい学部が創設されている
二進法もヘーゲルの唱えた正反合合の弁証法とは違うようである。電算機の移入によりゲーム機械が流行した。インベ-ダーゲ-ムなどは二進法とはこうゆうものかと感覚的には理解できても論理は分からない
芥川賞を受賞したら大阪を脱して、東京圏内に転出した開高健に比べ小松左京は終生大阪を離れなかったと。その小松左京に日本沈没がある。小林桂樹扮する地球物理学者・田所雄介博士は科学者に必要な物は何かと問われた時に、「直感」だと。一理あるんだな。しかし、デジタルには論理が理屈が大事だな・・・・。科学に裏打ちされた直感かな。如何せんその入り口だけでも覘いてみたいな
欧米では都市封鎖などしたが、日本ではそれほどの感染者数は増加しなかった。都市封鎖に至る手前で止まっていた。その理由はマスクで口元を隠すことが、欧米に比べて習慣化されていたこともあろう。また衛生管理も感覚的にあったかも知れない。しかし、医療機関は逼迫してきた。欧米では感染に際し、PCR検査と並行してワクチン接種を早期に達成すべく動いていた
わが国の指導者は、PCR検査も広まらずワクチン接種にはのんびりと構えていた。安倍晋三・菅義偉政権では新型コロナウィルスを単なる風邪ぐらいだと考えていたのだろうな。従ってアベノマクスと報道機関から喝采され、また民主主義国と言うことで私権の制限は抑えていた。然れども、商売優先上Go To トラベルなどを推進していた
ここに来てワクチン接種とオリンピック開催は菅義偉政権の命綱であろうな。医療関係者へのワクチン接種が完了してない中、65歳以上の高齢者のワクチン接種の予約が始まった。当初は自治体に任せていたが、遅々として進まないのに業を煮やして東京都大阪で大規模接種会場を決めて自衛隊に任せた
トランプもそうだったが、大統領や首相の権限は強いし大きなものであるな。いかに民主主義国家と雖も、民の選挙で選ばれた指導者であっても一国のトップなれば、その権限は大きい。人事権も持ってるし、調査の権限も、実行の権限は大きいものがある。ただその権限は、責任を伴うのが民主主義国であろうが、肝心要の責任はおざなりである。ただ権力者は責任よりも快楽の享受の方がおおきいいんだな。たとえ裸の王様と言われようが、王様である限り、王様の快楽は人民の快楽よりもはるかに大きいんだな
田村正和が亡くなったと。4月3日に亡くなっていたことが報道されている。俳優で私生活は表に出さなかったと。父親はバンツマこと坂東妻三郎。数少ない私生活をテレビで放映されている。私生活を表に出さないために余計にベールに包まれている。まさに役者、昔の俳優だったな。私生活を表に出すと役柄が壊れると
松島トモ子がいた。猛獣に2度も襲われた。永六輔の土曜ワイドで語っていた。子役から芸能界に入っただけあって、特殊な芸能界であるだけに世間とか異なる世界観を自覚していたと。子役で鞍馬天狗でアラカンこと嵐寛寿郎主演に杉作で出ていたと。アラカンは撮影が終わると芸妓に会うためお茶屋に直行すると。亡くなった葬儀にアラカンの自宅を訪れたが粗末な家だったと。アラカンは映画で稼いだ金をすべて芸妓につぎ込んだと。映画とお茶屋しか知らなかったと
田村正和の数少ないプライベートを聞いていて、家族と一緒に食事をするのは年に数回だと。いつもは食膳の前で一人で食すると。池波正太郎も夕食は一人で食すると、その後、妻と母が食すると語っていた。昔の古い俳優や文士はそのようであったのかも知れない。昔の古風な昔気質の人が逝ったな。役者しか俳優しか出来なかったのかも知れない
俳優は、昔は映画で活躍した。銀幕のスターと呼ばれた。今は活躍の舞台をテレビに移した。テレビの出始めは、テレビに出るようになっちゃお終いだと言われたが、今じゃテレビの影響力は恐ろしい。テレビとは画面に出る回数なんだな。それとスポンサーが控えているのでスポンサーの影の影響力は強い。テレビとは報道機関でもあり宣伝媒体でもある。田舎の餓鬼でもテレビが全国放送化されているのでお笑い人の顔や名前を知っている。テレビとは映像であるのでスポーツかお笑か食い物である
これをやっていれば間違い無い。それとツイッターのように短い気を引く言葉だな。変態と言われた小泉純一郎のように短い言葉が良い。短い時間で短い言葉が良い。昔の役者は容貌が整っていた。今のテレビじゃ容貌はむしろ悪い方が視聴者に親しみがあるんだな。だから食い物を鱈腹食ってデブが多い
歩きながらの食う姿など昔は考えられなかった。しかしテレビの映像では大口を開けて食うお笑い人が受ける。アナウサーも新人ではテレビ場面の前で大口を開けて食う。食えなかったらアナウサーに成れない。ある法律事務所では面接場所を酒場でやると。飲んだり食ったりすると本音が出る、人柄が現れる。しかし、カメラの前で食う場面は酷であろうな
変態と言えば、テレビ朝日の従業員であるグッドモーニングに玉川徹がレギュラーで出演している。的を得た発言が多いが、長年サラリーマンだけあって素直なんだな。変態とは、ひねくれた人でなく、意外と素直な人間が多いな。それに比べ弁護士なぞはテレビであろうな、賛否を明らかにしない。玉川徹は自らの主張と同調すると首振り人形のようだな。小生は玉川徹を首振りの玉川君と称している
河野太郎規制改革相がワクチン接種の担当を担うことになった。ワクチン接種が地方自治体主導で始まっている。予約の方法はインターネットか電話であり、先着順である。それ故殺到して混乱している。河野太郎がそれを称して「自治体が公平性や平等性に重きを置いていることに気付かなかったのは失敗だった」と述べたと。半ば羨望、半ば皮肉であろうな。権力者から見れば、公平性や平等性に重きを置いていないことを暴露したな。しかも迅速性にも欠けるんだな
公平性や平等性とは何であろうな。難しいな。先着順、抽選、年齢順、地域制等色々な方法があろうが、何せワクチン数が少ないために混乱することは避けられない。しかも高齢者にとってはパソコンやスマートホンは無理である。10年ひと昔と言うが、この数年の技術進歩は恐ろしい
電子計算機(コンピュータ)は古くからあったらしいが、マイクロソフトがwindouws95を発売したのが1995年(平成7年)である。今からほんの20数年前である。その前は文書の作成はワープロでやっていた。windouws95が普及してもインターネットはまだまだ接続が限定的であった。現在のように四六時中の接続は21世紀に入ってからである。平成も後半になってインターネットも普及して、電子計算機がパーソナルコンピュータ(パソコン)と呼ばれ一人一人がパソコンを持つようになってきた
それに伴って電話機も黒い固定電話機から携帯電話、スマートホンと進化してきた。従って高齢者がパソコンやスマホに馴染が無いのは自然である。ましてや機会均等と言われる教育の分野でも電算機の教育を受けていなかった。義務教育では接しなかったので、独学で学ぶしかなかった
インンターネットを平等性や公平性の手段で使用するのは無理と言うものである。それほど社会の進化、動きは速いと言える。今じゃ電気製品でも購入しても取扱説明書は製造元のホームページに格納されている。インターネットに接しない老人は生きていくのが難しい世の中になってきた。またキャッシュレスの流れにより、インターネットでの購入はクレジットカードを使用していないと購入できない状態である
今の義務教育がどうなっているか知らない。若年層はパソコンに詳しい者もいる。小生もパソコンで行き詰った時には専門家の遠隔操作に委ねる。パソコンは多くの電気製品と異なりソフトのバージョンアップがつきものである。バージョンアップしないと、パソコンをうまく使えない
マイクロソフトは19日に、パソコン向けのネット閲覧ソフト「インターネット・エクスプローラ(IE)のサポートを来年6月15日で終了すると発表した。今でもIEを開くと以前はバージョンは10とか11であったが、記載方法も変わった。これからはマイクロソフト・エッジが後継ソフトになると。インターネットの場も日々変わっていく
菅野完がいる。モリカケに反対して国会前でハンガーストライクをした男である。その菅野完が「月刊日本」で【極めて醜悪な「令和の公共事業」の正体】として面白いことを語っていた
昭和から平成にかけて、国会議員から地方議員まで土建業が営んでおり公共事業の利権構造に食い込んでいた。公共事業の予算で商売をする土建屋の社長本人が、公共事業の予算配分に携わる議会の議員をやっているのだから、本業の土建業が儲からないわけはない。逆もまた然りである。しかし、その権力はまたたく間に瓦解し、彼らは没落することになる。バブルの崩壊が原因ではない。彼らのコンチェルンが瓦解し、彼らが没落し去ったのは、小泉内閣の登場によるところが大きい。公共事業がなくなったのだ。おそらくここ30年、これと同じような物語が日本全国のあちこちで展開されたはずである。そして同時にこれは、自民党の権力基盤の変遷の物語でもある。小泉純一郎は、自民党党内政局における宿敵ともいうべき田中派=竹下派を葬り去るために、この流れに棹を差した。「自民党をぶっ潰す」という彼の政治姿勢は、こうした公共事業の分配を背景とした田中派=竹下派的な権力基盤の否定に他ならない。そして小泉はそれに成功し、その成功が現在の自民党における「清和会専横」の最大の原因となっている。土建屋政治家が土建公共事業の予算配分の議論をするのだ。それはすなわち、行政の出す予算案の議論に携わる人々がみな、行政の出す見積資料を読む能力のある人々ばかりだということである。つまり、その工事がどのような内容であり、どの工法でなされ、どれぐらいの期間がかかり、どれほどの金額が必要か、見積書の内容がわかる人々が予算議論に参加していたのだ。行政の誤魔化しやミスが通用する余地などあろうはずがない。
今年度予算の特色は、菅内閣の目玉の一つが「デジタル庁の創立」であることもあり、各省庁とも、いわゆる「行政のIT化」に向けたIT投資をふんだんに盛り込んでいる点にある。ありとあらゆる省庁がそれぞれの分野で「AI連携」「DX推進」などという美辞麗句を散りばめて、システム開発予算を財務省に要求している。その様子は、システム開発予算があたかも「令和の公共事業」となったかのようだ。しかし、令和の公共事業であるシステム開発予算が、昭和の公共事業のインフラ予算とは、大きく違うところがある。昭和の公共事業と違い、令和の公共事業には、政治の側にその要求予算の根拠となった見積資料を読む能力のある政治家がほとんどいないのだ。予算の概算を書く人間も、その予算を審議する人間も、その予算の根拠となった技術的基盤がどれぐらいの値段のものなのか、どのような技術でどれほどの難易度のものなのか、市中価格はいかほどかなどという基礎知識がないまま、予算が要求され、審議されていく。確かに、政界は〝清潔〟にはなったのかもしれない。昭和の公共事業のように、予算の使途を受ける当事者や利害関係者が実際に議席に座って予算を配分するという〝不潔さ〟はなくなったのかもしれない。しかし、令和の公共事業では、〝清潔〟なまま腐敗が進んでいる。そして誰も気づかないまま、動かないシステム、必要でないデーターベースに巨額の予算が注ぎ込まれ続けている。検査ではなく接触者管理という戦略を採用した我が国のコロナ対策にとって最終兵器であったはずの、濃厚接触者感知アプリ「COCOA」が全く機能していないなどという無様な様子を、政治家も官僚も指を咥えて見ているだけである。 今年度も数兆円規模の国家予算がドブに捨てられるかのように、令和の公共事業に消えた。そのツケを払わせられるのは、有権者・納税者であることを忘れてはならない。
以上が菅野完の文章を抜粋した。この指摘は、主張は的を得ている。文脈も論点も疑問点もただ平伏すのみである
新型コロナウイルスワクチン接種の大規模接種センターの予約に関して、「AERA dot.(アエラドット)」と毎日新聞の記者が架空の接種券番号で予約できるか検証したら入力出来たとする報道について、安倍晋三と岸信夫防衛大臣は悪質な妨害愉快犯であり法的措置も辞さないと語ったと
安倍晋三と岸信夫防衛大臣は実の兄弟だと。兄弟でも性格が違うのもいるが、この兄弟は同じようであるのを窺える。安倍家、岸家、佐藤家と政治家一家と言えるも影響しているのかもしれない。同じような気質であろうな。システムの欠陥を気付いていれば事前に公表するのが筋である。政府当局の説明がなされないので報道機関が色々検証しなくちゃならなくなる。民の検証など無用と思ってるんだな
IT用語辞典 e-Wordsによると
IT 【Information Technology】 情報技術とは、情報を取得、加工、保存、伝送するための科学技術。特に、電気、電子、磁気、電磁波などの物理現象や法則を応用したコンピュータなどの機械や器具、および、その内部で動作するコンピュータプログラム(ソフトウェア)を用いて情報を扱う技術のこと。と
ここまでは分かるんだな。ひと昔前は情報収集とか情報処理とか言っていた
デジタル 【digital】 とは、機械で情報を扱う際の表現方法の一つで、情報をすべて整数のような離散的な値の集合として表現し、段階的な物理量に対応付けて記憶・伝送する方式のこと。対義語は「アナログ」(analog)で、情報を連続した物理量で表現する方式を意味する。
特に、現代のコンピュータのようにデータをすべて0と1の組み合わせ(二進数の数値の羅列)に置き換え、これをスイッチのオン・オフや電圧の高低など明確に区別できる二状態の物理量に対応させて保存・伝送する方式のことを意味する場合が多い(三値以上の系を用いる場合もあるが各状態は離散的に区別される)。
2進数【binary number】二進法とは、数を書き表す方法(記数法)の一つで、基数を2(二)とした表記法のこと。通常、アラビア数字の「0」と「1」の二つの数字を用いてすべての数を表現する。2進数の値の連なりとして表現されたデータ形式を「バイナリ」(binary)という。
2進数では桁が一つ左へ移動する毎に値の重みが2倍に、右へ移動するごとに1/2倍になる。すなわち、整数の右端の桁は1(20)の位、その左は2(21)の位、その左は4(22)の位、その左は8(23)の位、といった具合に各桁の重みが決まる。例えば、2進数の「1101」は、我々が普段用いている10進数(十進数)では 1×8 + 1×4 + 0×2 + 1×1 で「13」となる。
デジタルや二進法となると皆目理解できない。日本語とは縦書きであった。筆で文字を書いたので縦書きが都合よく、横書きでも右から書いた。電算機の台頭により、縦書きが横書きになった。英文字など外国語は横書きである。外国語の渡来により、当時は明治の初期は外来語を日本語に当てはめた。思想、哲学、倫理、思惟、産業、革命など言葉を日本語を作っていった。西周など学者冥利に尽きただろうな
しかし、ここ数年役所を筆頭にして外来語はカタカナ書きに、横文字になった。日本語に造語する余裕が無くなった。従ってIT用語辞典のデジタル 【digital】の意味も長ったらしくなり理解に苦しむ
昨今の義務教育を筆頭にして、教育ではデジタルや二進法はどのように教えているのだろうか。大学でも総合政策学部、環境情報学部、果ては情報コミュニケーション学部やキャリアデザイン学部とか国際コミュニケーション学部やネットワーク情報学部やグローバル・メディア・スタディーズ学部やコミュニティ人間科学部やコミュニティ福祉学部や新しい学部が創設されている
二進法もヘーゲルの唱えた正反合合の弁証法とは違うようである。電算機の移入によりゲーム機械が流行した。インベ-ダーゲ-ムなどは二進法とはこうゆうものかと感覚的には理解できても論理は分からない
芥川賞を受賞したら大阪を脱して、東京圏内に転出した開高健に比べ小松左京は終生大阪を離れなかったと。その小松左京に日本沈没がある。小林桂樹扮する地球物理学者・田所雄介博士は科学者に必要な物は何かと問われた時に、「直感」だと。一理あるんだな。しかし、デジタルには論理が理屈が大事だな・・・・。科学に裏打ちされた直感かな。如何せんその入り口だけでも覘いてみたいな