風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

デジタル---ワクチン接種

2021-05-21 16:34:10 | 世評
新型コロナウィルスのワクチン接種が大幅に遅れている。諸外国に比べても遅れている。感染しているかの判定のPCR検査も広く行き渡っていない。昨年いや一昨年暮れから発生して長い。小生の記憶でもこれほど長期の緊急事態は無い

欧米では都市封鎖などしたが、日本ではそれほどの感染者数は増加しなかった。都市封鎖に至る手前で止まっていた。その理由はマスクで口元を隠すことが、欧米に比べて習慣化されていたこともあろう。また衛生管理も感覚的にあったかも知れない。しかし、医療機関は逼迫してきた。欧米では感染に際し、PCR検査と並行してワクチン接種を早期に達成すべく動いていた

わが国の指導者は、PCR検査も広まらずワクチン接種にはのんびりと構えていた。安倍晋三・菅義偉政権では新型コロナウィルスを単なる風邪ぐらいだと考えていたのだろうな。従ってアベノマクスと報道機関から喝采され、また民主主義国と言うことで私権の制限は抑えていた。然れども、商売優先上Go To トラベルなどを推進していた

ここに来てワクチン接種とオリンピック開催は菅義偉政権の命綱であろうな。医療関係者へのワクチン接種が完了してない中、65歳以上の高齢者のワクチン接種の予約が始まった。当初は自治体に任せていたが、遅々として進まないのに業を煮やして東京都大阪で大規模接種会場を決めて自衛隊に任せた

トランプもそうだったが、大統領や首相の権限は強いし大きなものであるな。いかに民主主義国家と雖も、民の選挙で選ばれた指導者であっても一国のトップなれば、その権限は大きい。人事権も持ってるし、調査の権限も、実行の権限は大きいものがある。ただその権限は、責任を伴うのが民主主義国であろうが、肝心要の責任はおざなりである。ただ権力者は責任よりも快楽の享受の方がおおきいいんだな。たとえ裸の王様と言われようが、王様である限り、王様の快楽は人民の快楽よりもはるかに大きいんだな

田村正和が亡くなったと。4月3日に亡くなっていたことが報道されている。俳優で私生活は表に出さなかったと。父親はバンツマこと坂東妻三郎。数少ない私生活をテレビで放映されている。私生活を表に出さないために余計にベールに包まれている。まさに役者、昔の俳優だったな。私生活を表に出すと役柄が壊れると

松島トモ子がいた。猛獣に2度も襲われた。永六輔の土曜ワイドで語っていた。子役から芸能界に入っただけあって、特殊な芸能界であるだけに世間とか異なる世界観を自覚していたと。子役で鞍馬天狗でアラカンこと嵐寛寿郎主演に杉作で出ていたと。アラカンは撮影が終わると芸妓に会うためお茶屋に直行すると。亡くなった葬儀にアラカンの自宅を訪れたが粗末な家だったと。アラカンは映画で稼いだ金をすべて芸妓につぎ込んだと。映画とお茶屋しか知らなかったと

田村正和の数少ないプライベートを聞いていて、家族と一緒に食事をするのは年に数回だと。いつもは食膳の前で一人で食すると。池波正太郎も夕食は一人で食すると、その後、妻と母が食すると語っていた。昔の古い俳優や文士はそのようであったのかも知れない。昔の古風な昔気質の人が逝ったな。役者しか俳優しか出来なかったのかも知れない

俳優は、昔は映画で活躍した。銀幕のスターと呼ばれた。今は活躍の舞台をテレビに移した。テレビの出始めは、テレビに出るようになっちゃお終いだと言われたが、今じゃテレビの影響力は恐ろしい。テレビとは画面に出る回数なんだな。それとスポンサーが控えているのでスポンサーの影の影響力は強い。テレビとは報道機関でもあり宣伝媒体でもある。田舎の餓鬼でもテレビが全国放送化されているのでお笑い人の顔や名前を知っている。テレビとは映像であるのでスポーツかお笑か食い物である

これをやっていれば間違い無い。それとツイッターのように短い気を引く言葉だな。変態と言われた小泉純一郎のように短い言葉が良い。短い時間で短い言葉が良い。昔の役者は容貌が整っていた。今のテレビじゃ容貌はむしろ悪い方が視聴者に親しみがあるんだな。だから食い物を鱈腹食ってデブが多い

歩きながらの食う姿など昔は考えられなかった。しかしテレビの映像では大口を開けて食うお笑い人が受ける。アナウサーも新人ではテレビ場面の前で大口を開けて食う。食えなかったらアナウサーに成れない。ある法律事務所では面接場所を酒場でやると。飲んだり食ったりすると本音が出る、人柄が現れる。しかし、カメラの前で食う場面は酷であろうな

変態と言えば、テレビ朝日の従業員であるグッドモーニングに玉川徹がレギュラーで出演している。的を得た発言が多いが、長年サラリーマンだけあって素直なんだな。変態とは、ひねくれた人でなく、意外と素直な人間が多いな。それに比べ弁護士なぞはテレビであろうな、賛否を明らかにしない。玉川徹は自らの主張と同調すると首振り人形のようだな。小生は玉川徹を首振りの玉川君と称している

河野太郎規制改革相がワクチン接種の担当を担うことになった。ワクチン接種が地方自治体主導で始まっている。予約の方法はインターネットか電話であり、先着順である。それ故殺到して混乱している。河野太郎がそれを称して「自治体が公平性や平等性に重きを置いていることに気付かなかったのは失敗だった」と述べたと。半ば羨望、半ば皮肉であろうな。権力者から見れば、公平性や平等性に重きを置いていないことを暴露したな。しかも迅速性にも欠けるんだな

公平性や平等性とは何であろうな。難しいな。先着順、抽選、年齢順、地域制等色々な方法があろうが、何せワクチン数が少ないために混乱することは避けられない。しかも高齢者にとってはパソコンやスマートホンは無理である。10年ひと昔と言うが、この数年の技術進歩は恐ろしい

電子計算機(コンピュータ)は古くからあったらしいが、マイクロソフトがwindouws95を発売したのが1995年(平成7年)である。今からほんの20数年前である。その前は文書の作成はワープロでやっていた。windouws95が普及してもインターネットはまだまだ接続が限定的であった。現在のように四六時中の接続は21世紀に入ってからである。平成も後半になってインターネットも普及して、電子計算機がパーソナルコンピュータ(パソコン)と呼ばれ一人一人がパソコンを持つようになってきた

それに伴って電話機も黒い固定電話機から携帯電話、スマートホンと進化してきた。従って高齢者がパソコンやスマホに馴染が無いのは自然である。ましてや機会均等と言われる教育の分野でも電算機の教育を受けていなかった。義務教育では接しなかったので、独学で学ぶしかなかった

インンターネットを平等性や公平性の手段で使用するのは無理と言うものである。それほど社会の進化、動きは速いと言える。今じゃ電気製品でも購入しても取扱説明書は製造元のホームページに格納されている。インターネットに接しない老人は生きていくのが難しい世の中になってきた。またキャッシュレスの流れにより、インターネットでの購入はクレジットカードを使用していないと購入できない状態である

今の義務教育がどうなっているか知らない。若年層はパソコンに詳しい者もいる。小生もパソコンで行き詰った時には専門家の遠隔操作に委ねる。パソコンは多くの電気製品と異なりソフトのバージョンアップがつきものである。バージョンアップしないと、パソコンをうまく使えない

マイクロソフトは19日に、パソコン向けのネット閲覧ソフト「インターネット・エクスプローラ(IE)のサポートを来年6月15日で終了すると発表した。今でもIEを開くと以前はバージョンは10とか11であったが、記載方法も変わった。これからはマイクロソフト・エッジが後継ソフトになると。インターネットの場も日々変わっていく


菅野完がいる。モリカケに反対して国会前でハンガーストライクをした男である。その菅野完が「月刊日本」で【極めて醜悪な「令和の公共事業」の正体】として面白いことを語っていた

昭和から平成にかけて、国会議員から地方議員まで土建業が営んでおり公共事業の利権構造に食い込んでいた。公共事業の予算で商売をする土建屋の社長本人が、公共事業の予算配分に携わる議会の議員をやっているのだから、本業の土建業が儲からないわけはない。逆もまた然りである。しかし、その権力はまたたく間に瓦解し、彼らは没落することになる。バブルの崩壊が原因ではない。彼らのコンチェルンが瓦解し、彼らが没落し去ったのは、小泉内閣の登場によるところが大きい。公共事業がなくなったのだ。おそらくここ30年、これと同じような物語が日本全国のあちこちで展開されたはずである。そして同時にこれは、自民党の権力基盤の変遷の物語でもある。小泉純一郎は、自民党党内政局における宿敵ともいうべき田中派=竹下派を葬り去るために、この流れに棹を差した。「自民党をぶっ潰す」という彼の政治姿勢は、こうした公共事業の分配を背景とした田中派=竹下派的な権力基盤の否定に他ならない。そして小泉はそれに成功し、その成功が現在の自民党における「清和会専横」の最大の原因となっている。土建屋政治家が土建公共事業の予算配分の議論をするのだ。それはすなわち、行政の出す予算案の議論に携わる人々がみな、行政の出す見積資料を読む能力のある人々ばかりだということである。つまり、その工事がどのような内容であり、どの工法でなされ、どれぐらいの期間がかかり、どれほどの金額が必要か、見積書の内容がわかる人々が予算議論に参加していたのだ。行政の誤魔化しやミスが通用する余地などあろうはずがない。

今年度予算の特色は、菅内閣の目玉の一つが「デジタル庁の創立」であることもあり、各省庁とも、いわゆる「行政のIT化」に向けたIT投資をふんだんに盛り込んでいる点にある。ありとあらゆる省庁がそれぞれの分野で「AI連携」「DX推進」などという美辞麗句を散りばめて、システム開発予算を財務省に要求している。その様子は、システム開発予算があたかも「令和の公共事業」となったかのようだ。しかし、令和の公共事業であるシステム開発予算が、昭和の公共事業のインフラ予算とは、大きく違うところがある。昭和の公共事業と違い、令和の公共事業には、政治の側にその要求予算の根拠となった見積資料を読む能力のある政治家がほとんどいないのだ。予算の概算を書く人間も、その予算を審議する人間も、その予算の根拠となった技術的基盤がどれぐらいの値段のものなのか、どのような技術でどれほどの難易度のものなのか、市中価格はいかほどかなどという基礎知識がないまま、予算が要求され、審議されていく。確かに、政界は〝清潔〟にはなったのかもしれない。昭和の公共事業のように、予算の使途を受ける当事者や利害関係者が実際に議席に座って予算を配分するという〝不潔さ〟はなくなったのかもしれない。しかし、令和の公共事業では、〝清潔〟なまま腐敗が進んでいる。そして誰も気づかないまま、動かないシステム、必要でないデーターベースに巨額の予算が注ぎ込まれ続けている。検査ではなく接触者管理という戦略を採用した我が国のコロナ対策にとって最終兵器であったはずの、濃厚接触者感知アプリ「COCOA」が全く機能していないなどという無様な様子を、政治家も官僚も指を咥えて見ているだけである。  今年度も数兆円規模の国家予算がドブに捨てられるかのように、令和の公共事業に消えた。そのツケを払わせられるのは、有権者・納税者であることを忘れてはならない。

以上が菅野完の文章を抜粋した。この指摘は、主張は的を得ている。文脈も論点も疑問点もただ平伏すのみである


新型コロナウイルスワクチン接種の大規模接種センターの予約に関して、「AERA dot.(アエラドット)」と毎日新聞の記者が架空の接種券番号で予約できるか検証したら入力出来たとする報道について、安倍晋三と岸信夫防衛大臣は悪質な妨害愉快犯であり法的措置も辞さないと語ったと

安倍晋三と岸信夫防衛大臣は実の兄弟だと。兄弟でも性格が違うのもいるが、この兄弟は同じようであるのを窺える。安倍家、岸家、佐藤家と政治家一家と言えるも影響しているのかもしれない。同じような気質であろうな。システムの欠陥を気付いていれば事前に公表するのが筋である。政府当局の説明がなされないので報道機関が色々検証しなくちゃならなくなる。民の検証など無用と思ってるんだな

IT用語辞典 e-Wordsによると

IT 【Information Technology】 情報技術とは、情報を取得、加工、保存、伝送するための科学技術。特に、電気、電子、磁気、電磁波などの物理現象や法則を応用したコンピュータなどの機械や器具、および、その内部で動作するコンピュータプログラム(ソフトウェア)を用いて情報を扱う技術のこと。と
ここまでは分かるんだな。ひと昔前は情報収集とか情報処理とか言っていた

デジタル 【digital】 とは、機械で情報を扱う際の表現方法の一つで、情報をすべて整数のような離散的な値の集合として表現し、段階的な物理量に対応付けて記憶・伝送する方式のこと。対義語は「アナログ」(analog)で、情報を連続した物理量で表現する方式を意味する。
特に、現代のコンピュータのようにデータをすべて0と1の組み合わせ(二進数の数値の羅列)に置き換え、これをスイッチのオン・オフや電圧の高低など明確に区別できる二状態の物理量に対応させて保存・伝送する方式のことを意味する場合が多い(三値以上の系を用いる場合もあるが各状態は離散的に区別される)。

2進数【binary number】二進法とは、数を書き表す方法(記数法)の一つで、基数を2(二)とした表記法のこと。通常、アラビア数字の「0」と「1」の二つの数字を用いてすべての数を表現する。2進数の値の連なりとして表現されたデータ形式を「バイナリ」(binary)という。
2進数では桁が一つ左へ移動する毎に値の重みが2倍に、右へ移動するごとに1/2倍になる。すなわち、整数の右端の桁は1(20)の位、その左は2(21)の位、その左は4(22)の位、その左は8(23)の位、といった具合に各桁の重みが決まる。例えば、2進数の「1101」は、我々が普段用いている10進数(十進数)では 1×8 + 1×4 + 0×2 + 1×1 で「13」となる。

デジタルや二進法となると皆目理解できない。日本語とは縦書きであった。筆で文字を書いたので縦書きが都合よく、横書きでも右から書いた。電算機の台頭により、縦書きが横書きになった。英文字など外国語は横書きである。外国語の渡来により、当時は明治の初期は外来語を日本語に当てはめた。思想、哲学、倫理、思惟、産業、革命など言葉を日本語を作っていった。西周など学者冥利に尽きただろうな

しかし、ここ数年役所を筆頭にして外来語はカタカナ書きに、横文字になった。日本語に造語する余裕が無くなった。従ってIT用語辞典のデジタル 【digital】の意味も長ったらしくなり理解に苦しむ

昨今の義務教育を筆頭にして、教育ではデジタルや二進法はどのように教えているのだろうか。大学でも総合政策学部、環境情報学部、果ては情報コミュニケーション学部やキャリアデザイン学部とか国際コミュニケーション学部やネットワーク情報学部やグローバル・メディア・スタディーズ学部やコミュニティ人間科学部やコミュニティ福祉学部や新しい学部が創設されている

二進法もヘーゲルの唱えた正反合合の弁証法とは違うようである。電算機の移入によりゲーム機械が流行した。インベ-ダーゲ-ムなどは二進法とはこうゆうものかと感覚的には理解できても論理は分からない

芥川賞を受賞したら大阪を脱して、東京圏内に転出した開高健に比べ小松左京は終生大阪を離れなかったと。その小松左京に日本沈没がある。小林桂樹扮する地球物理学者・田所雄介博士は科学者に必要な物は何かと問われた時に、「直感」だと。一理あるんだな。しかし、デジタルには論理が理屈が大事だな・・・・。科学に裏打ちされた直感かな。如何せんその入り口だけでも覘いてみたいな


弁えない公務員 内閣官房参与

2021-05-12 10:36:19 | 世評
今年の冬は緩かった。春の訪れも早かった。桜の開花もことのほか早かった。然れども5月の声を聴くと季節の進行は足踏みしている。ここ数年は気候温暖化の影響を受けてゴールデンウィークは蒸し暑さが漂っていたが、今年は久しぶりに爽やかなんだな。5月に生まれ、5月に逝った寺山修司を彷彿させる5月だな

弁える、わきまえるとは物事の違いを見分ける。区別する。弁別する。物事の道理をよく知っていることだと。最近では東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗前会長が臨時評議員会で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言し、「#わきまえない女」がワッと広がった

内閣官房参与を務める高橋洋一喜悦大教授が5月9日にツイッターで、諸外国と日本の新型コロナウィルスの感染状況を比較した上で『日本はこの程度の「さざ波」。これで五輪中止とかいうと笑笑』と発信したと。この言について、加藤勝信官房長官は10日の記者会見で「個人としての発言で、政府としてコメントは従来差し控えている」と説明したと。また菅義偉首相は10日の参院予算委員会で「高橋さん個人の主張について私から答弁することは控えるべきだろうと思う。五輪のことについては全く相談していない」と

内閣官房参与とはどういうものかインターネットで検索してみる。内閣官房ホームページや内閣府ホームページには内閣官房参与の名簿は公表されていないし役割も記載されていない。調べてみると各省庁の幹部名簿にも国会議員要覧にも記載されていない。困った時のウィキペディアである。内閣官房参与とは首相の諮問に答え、意見を述べ非常勤の国家公務員で独自の部屋も与えられていると。菅義偉内閣では4人が安倍内閣から再任され、7人が新任されたが、農林水産業振興担当の西川公也が2020年12月8日で辞任して、現在10名だと

2020年10月13日午前の加藤勝信官房長官の記者会見では内閣総理大臣辞令として内閣官房参与6人が任命されている。その6名の中で高橋洋一、経済・財政政策担当、主な経歴は喜悦大学ビジネス創造学部教授となっている。結局名簿名は一覧では発表されていないが、前任者や辞任した者や新任された者を繋ぎ合わせて現在の名簿が分かるようである

ベールに包まれているが、首相のブレーンであるようである。いつしか高橋洋一と同じく任命された外交担当の宮家邦彦がテレビで話していたが、菅義偉と二人で会ってちょっと話をして、首相は時間を気にしていたのでまた誰かと会う予定があるのかなと思ったが、翌日内閣官房参与の任命があったと

要は首相の権限で責任で任命して、表には出なくて、首の差し替えは首相次第であろう。担当が何々とは決まっているが、内閣官房参与には変わりはないであろう。電子計算機がパソコンと言われ、携帯電話がスマホになり発信は自由に出きるようになった。発信が自由に気ままに発信出来るようになったことは、取りも直さず受信も自由であることである

ツイッターとは和訳すると(小鳥の)さえずりだと。言ってみれば呟きなんだな。人とは感情の動物だから喜怒哀楽もある。感情だけでなく、智に働けば角が立つ、情に掉させば流される、意地を通せば窮屈だと。しかし、ツイッターとは単なる呟きなんだな。思いまでいかない、結論まで到達しない、入口だけで出口の見えない発信だな。短い言葉で、こんなかな、あんなかなと疑問だけ発して後は野となれ山となれだな。様子見にもなるし、悪いことには公私の別なく公私と混同させるから責任がない状態である。ツイッターとはアメリカ大統領だったトランプが頻繁に使っていたが、日本の政治家やその周辺も使い出しているようである。トランプの場合は大統領として発信していたが、大統領の独善の考え、思考、方向も見えたが政治家周辺が使い出したら、公的なのか私的なのか分からなくなってくる

いつしか、靖国神社参拝は公的か私的かと問われていたが、石っ原慎太郎は馬鹿なことを聞くんじゃない、と言っていたが政治家が日中参拝するのは公式なのに決まっているんだな。いや、政治家なら私的か公式などは無い。すべて為すことは公的になるだろうな。石っ原慎太郎は一定の支持者も抱えていたので、そういう意味ではまともであった

平成天皇と言われたヒロヒトも、天皇には私的は無いと、すべてが公務であると言っていたな。例えば私的な冠婚葬祭でも公的になっちゃうんだな。そういう意味では当たり前の考えであった。戦国の一国の武将でも厠の中だけが一人であったな。高橋洋一の名で発信することは、内閣官房参与が発信することだな。それには個人的なことなど無い。そんな当たり前の事が分からないとは。菅義偉も年だな。いや30年も公務員を続けてきたことは、選挙で当選してきたので、当たり前の事が分からなくなってくるか

助平はいいんだ。人とは様々である。色んな人がいる。助平なら助平で良い。ただ助平ったらしいのは駄目だ。ましてや公務員ならもうアウト。何、日本学術会議会員の任命拒否について、NHKの番組で説明できることと出来ないことがあると。それを言っちゃお終いよ。山田風太郎はこれでお終いと逝ったが、総理が説明できないことがある?。それでは総理は務まらない。説明できないのは感情、阿吽と言うか論理の世界ではないな。論理では説明出来ないことは往々にしてある。それは私的なことだな。総理とは公なことだな

菅義偉は助平ったらしい。胡散臭いんだな、年を取ると地が出てくるんだな。しかし特別な国家公務員だな。公務員である限りは私的なことは無い。これは極論であるがな。少なくても臣民の前では、主権者である国民の前では私的なことは無い。断じてない。すべて公だな

菅義偉にはこの基本的な事が分からない。隠蔽する。だから助平ったらしい男と映る。総理なら指針を示せ。そして大衆から支持者から反対されたら退くのみだな。昔は侍、士はいたと。今のご時世では少なくなったが公務員なら全体の奉仕者になれと言いたい。そして総理とは望んでなれるものでは無いが、総理に成ったら、横綱と同じだな、崖っぷちだな。思いを思考をめぐらし、動いてそれで駄目なら退くのみ

今の政治屋は総理を退いても議員を続ける。と言うことは総理になってもやり足りないことがあるんだろうな。あのあしたのジョーのように燃え尽きることが無かったんだろうな。公務員だから、真面目に思いっ切りやれよと言いたいな。あの変態と言われた小泉純一郎でさえも、最後に往年の主張であった郵政民営化を遂げて、退いた。二代目に地盤を世襲させたが、原発反対に転じた。政治屋をやめて民間に転じて原発反対だと

ぼったくり男爵と、アメリカ有力紙ワシントン・ポストはIOCのトーマス・バッハ会長を記載したと。ワシントン・ポストはオリンピックのスポンサー(パートナー)には入ってないな。ワールドワイドパートナー14社、ゴールドパートナー15社、オフィシャルパートナー32社、オフィシャルサポーター20社、には入っていないようだ

日本のマスコミ、新聞社、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、ニッケイはオフィシャルパートナーに名を連ねている。マスメディアは柵をもっては書けないな。このコロナの一件でオリンピックとは商売、商業イベントであることをさらけ出してしまった。商売とは売り手と買い手、片方だけでは成立しない。さてどうしたものやら、池江瑠璃子ではないが、どうしたものやら

政治屋で催事、イベントに反対する者はいないな。むかし引退の会見で新聞記者を締め出して、テレビが好きだと言った総理が居た。テレビ局は言われても素直に従っていたがな。テレビも商売だのう。佐藤栄作、Aサク、佐藤B作もいたな

高橋洋一内閣官房参与は経済・財政政策担当である。統計によると諸外国に比べて日本の新型コロナウィルスの感染状況を比較すると、圧倒的に低い。感染率は低いが病床の逼迫のグラフは添付していない。西欧やアメリカに比べて圧倒的に公立病院が少ないんだろうなと思うが、どうなんだろう

経済だけ考えれば、国家から考えれば菅義偉政権は五輪をやりたいだろう。中止などお笑ものであろうな。国会でも国民を守るとは言うが建前なんだな。菅義偉内閣は安倍晋三を引き継いだが、真髄を引き継いだ。安倍晋三の場合は胸を張って国会で虚偽答弁をしたが、菅義偉にはそこまでの開き直りはないな

菅義偉は官房長官時代から方々の民間人と会っていたと。そして話をしていたと。どんな人と会って、何の話をしていたのであろうな。公務で人と会っていたんだな。反自民でない、半分自民、半自民の田原総一朗が菅義偉を評してこんなに話が出来なかった男とは知らなかったと。その一点では同感だな

考えてみれば、高橋洋一内閣官房参与の笑笑は俺から見れば弁えない公務員であるが、政権から見ればおおいに、わきまえた発信であるな。愛知県西尾市のスギ薬局会長のワクチン接種、中日新聞だな。世論は新聞次第とも言えるな。新聞はニュースペーパーだな。週刊誌に負けずに迅速に事実を報道してもらいたいな

今日12日の朝日新聞のかたえくぼ、「1日100万回」、笑笑―国民、と、(苫小牧・オリーブ)素早い反応だな、才能だな、作者も選者もまさに旬を掴んでいる。笑いには色々あるな。昔の教育とは人に笑われないようにだったが、今じゃ人から笑われるのを業とする者もいるな。いや笑いを彷彿するものもいる




じゃないでしょうか

2021-03-13 14:49:51 | 世評
山田真貴子が特別職の国家公務員であった内閣広報官を3月1日に退職したと。内閣広報官とは内閣府にある大臣官房内の政府広報室とは別で、内閣官房内の内閣広報官であった。従って内閣官房のホームページを開けると、幹部の紹介で経歴も紹介してある。山田真貴子の後を引き継いだ小野日子はまだ、間に合わなかったか経歴は載っていない

菅義偉に引き立てられた内閣総理大臣補佐官(政策評価、検証担当)の柿崎明二も掲載されている。生年月日、出身地、職歴略歴も掲げてある。厚生労働省独立行政法人評価委員会臨時委員もやってるし、平成31年(2019年)4月には法政大学法学部兼任講師もしている。菅義偉との接点はあるんだな

安倍晋三を屋台骨で支えた杉田和博は内閣官房副長官で生年月日は昭和16年(1941年)4月22日、出身地は埼玉県とある。今年4月で80歳である。東京大学法学部の卒業後警視庁に入所した。その後ずっと警察畑である。定年退官して平成17年(2005年)7月に財団法人世界政経調査会会長に納まっている。この財団法人は60年安保の翌年、昭和36年(1961年)7月1日設立である。電子公告の令和2年3月31日の貸借対照表によると、正味財産は1億2千万円であるが、その全額は退職給与引当預金になっている

その後平成24年(2012年)12月から安倍政権の下で警察畑で培った本職を生かした職となっている。平成29年(2017年)8月からは内閣人事局長を兼ね、歳を老いてもますます、サツ(警察)能力に磨きがかかってきた

山田真貴子が退職したため、防波堤の山田真貴子がいなくなったため、2月26日の首相会見は「ぶら下がり」になり記者の取材に応じた。珍しく記者達もいつになく活発に質問した。菅義偉は最後には「同じような質問ばっかり」と苛立った。この中でいつものことだが「~じゃないでしょうか」と連発した。3月1日のハーバービジネスオンラインで上西充子は18分の記者会見の答弁で「~じゃないでしょうか」は13回、「~じゃないですか」は2回使われたと。

この「~じゃないでしょうか」は国会答弁でも良く使われた。菅義偉の口癖であるが、違和感があるんだな。耳障りなんだな。郷土の秋田の方言かなとも推察したが、分からない。ふと思ったのが、本人は「しょうか」と敬語と認識しているのかなと思いを馳せた

この前に知人から「送付いただけませんか」と語られた。以前にも別人から「いただけませんか」の用法を思い出した。使っている本人は敬語だと思っているだろうが、命令口調ともとれる。言葉とは伝達の手段である。言葉とか所作は教育や生活してきた環境に負うことが多い。

テレビを見ていて、所謂専門家が玄人が出演している。司会者から問いかけられると、大学の経済学者は経済学の見地から、弁護士は法律家あるいは法律の観点からと良く聞かれる。例えば感染症の医者ならば、感染症学ではとは言える。医学とは科学的知識の積み重ねであろう。コロナワクチンに関してさえ、最初は一瓶で6回とか5回とか取れると言っていたが、徳洲会病院ではインシュリン注射を使えば7回取れると。専門家でさえ新しい局面では異なる見解が出てくる

ましてや社会科学の分野では、色々な見解がある。法律一つとっても解釈により正が反にもなる。質問を振られ、○○学ではと講釈するのは、逃げのようにも見える。俺はお前の見解が聞きたいのに、○○学では云々とは客観的すぎるんだな。もっともテレビとは少しの本音、多くの建前だからしょうがないな。お笑いはお笑いの分野ではとは言わないな。その点お笑いは何でも言えるし、何でも言えて害にならない

本来、藝術とはそうなんだな。加藤唐九郎が舞台の上では藝術では何をやっても良いと話したが、藝術とは幅が広い。裾野が広い。想像力は無限だな。東大を卒業して官僚を希望する者が減少したと。官僚の退職者が増加したと。総務省が東北新社に対して衛星放送事業認定を取り消すと。外資比率が20%以上であったが、チェックが不十分で重大な瑕疵があったと。デジタル改革法案では45カ所の誤りがあり、かつ正誤表にも2カ所の欠落があったと

官僚たちの質が落ちた。お笑いだな。誰が官僚たちの質を落としたか。安倍晋三・菅義偉政権の責任だな。何せ権力の頂点に立って長すぎた。永すぎた春という言葉があるが、頭が腐れば下も腐ってくる。やりたい放題。人事も金もやりたい放題だな。安倍晋三の後には官房長官だった菅義偉が総理大臣になっちゃった

かって自民党をぶっ潰すと言って総理大臣になった男がいた。今は改心して原発反対を叫んでいる男が、その男が総理大臣を射止めた。左派だった田中派を潰し、官邸を強固にして自民党を強くした。派閥に分散していたのを官邸に一点集中した。国民は腐りきった自民党を壊す男が自民党から出て、手を叩いた。原発も従来通り推進した。支持率は急上昇だな。マスコミも絶賛、いや追っかけだな

しかし、今よりはまだましだったかも知れない。安倍晋三になって、決められない政治が決められてしまった。国会でも堂々と噓をついた。噓つきは泥棒の始まりと言われるが、野党が束になって掛かっても、我関せず、堂々と虚偽答弁を貫いた。その挙句には「私の契約者は国民です」と言っていた官僚を殺した

国会の外で弁護士らがようやく腰を上げて、虚偽答弁だと分かった。嘘つきは小説家、いや小説の始まりかな。小説の場合には騙しだな。騙しでも辻褄が最後まで合えば良い。しかし、政治家(周旋屋)の場合には嘘がばれる。週刊誌によってばれちゃう。騙しが効かないからハイそれまでよになる。後は官僚が尻を拭う。官僚たちは紙が何枚あっても拭えない。まるで報道機関のように垂れ流しになっちゃうな

安倍晋三は、菅義偉総理の場合には菅義偉官房長官はいないと。取材でオフレコだったが、表に出ちゃった。安倍晋三はしまったと頭を掻いたそうだが、後の祭りだな。しかし発言は的を得ている。裏の仕事は全部、菅義偉だな。外交は安倍晋三、内政は菅義偉に任せた。菅義偉は総務省を足掛かりにして、人事で官僚を締め上げた。官僚たちは出世したい。官僚とは階級社会なんだな。一歩一歩と上を、政治家を見ながら階段を上って行く

安倍晋三・菅義偉は官僚に対して自分に都合の良いように尻を叩き、首を斬る。統治者とは気持ちが良いだろうな。菅義偉なぞは、官房長官とは楽しいと。やりたいことが出来るから、出来たから、こんな楽しいものはないと。官僚もなめられたものだな。まあ身から出た錆かな

内閣官房報償費がある。俗に内閣官房機密費と言われる。機密費の内訳は、調査情報対策費と活動関係費と政策推進費の3種あると。このうち調査情報対策費と活動関係費は事務補助者が出納管理するが、政策推進費は官房長官にお金が渡った時点で支出完了となると。政策推進費は領収書がいらないと。従って何に使ったかは官房長官が知るのみであると。赤旗の調べでは、安倍晋三内閣時代の8年近くで機密費総額95億4200万円の内、政策推進費は86億8000万円だったと。年間に直すと10億円を超えている

機密費は過去にも問題になった。塩川正十郎は宇野内閣の官房長官時代に議員の外遊の餞別とかマスコミ懐柔とかに使ったと暴露したが、平成13年(2001年)小泉純一郎内閣で論功行賞として財務大臣に就任すると、国会で機密費について質問を受けたら忘れたと。その時横に座っていた扇千景国土交通大臣の呆れた顔が忘れられない。忘れたとは便利な言葉だな

菅義偉は人事で官僚を締め上げ、金で内部外部を操作した。人と金を掌握すれば鬼に金棒であるな。少なくても霞が関内では、シマの中では自由闊達だな。話の特集に矢崎泰久がいる。若い頃、近所にギター弾きの深沢七郎がいたと。いつしか右翼が、話の特集編集室に殴り込んできて編集長を出せと。とっさに、ジンム、スイゼイ、アンネイと口ずさんで、かつ神武、綏靖、安寧と歴代天皇全員の名を漢字で書き、命拾いしたと。昔の教育は暗唱だった。音読で覚えさせられたと。五木寛之も酒場で旧軍人に絡まれて、軍人勅語を言ってみろと。滔々と語ったと。旧軍人は舌を巻いて逃げたと。暗唱とは時として忘れようにも忘れない、頭の底にこびりついて忘れられないこともあると。弊害もあるんだな。政治家(周旋屋)のように「忘れた」とは言えないな

その矢崎泰久が田中角栄に取材したと。木乃伊取りが木乃伊になるのを恐れ、やっと取材したと。取材を終えて帰り際に秘書の早坂茂三から茶封筒を渡されたと。数えても良いかと聞いて数えたら、1万円札が100枚入っていたと。矢崎泰久はタクシー代にしては多すぎると返したら、返したのは貴方が初めてだと

国家とは、国家財政とは歳入は税金が原資である。公表できないものもあるんだな。他国との折衝は公表すると悪影響になる場合もあるかも知れない。しかれども支払い当座はともかく、何年も非公表とは理解できない。国家とは暗部があると言うことだな。せめて10年経たら支払先、目的内容、金額を公表するのが筋だな。それは政権が移っても、民主党に政権が万一移っても同じ扱いにするんだな。過去に民主党でも機密費は公にならなかった。政治家とは立場が変わっても、政治家(周旋屋)であり続けるんだな

菅義偉は総理大臣になって、NHKテレビに出演した折に日本学術会議の会員を任命しないのは何故かと問われたら、ムッとして「説明できることと説明できないことがあると」、思わず本音が出てしまった。翌日には手下である山田真貴子内閣広報官から首相は怒っている、打ち合わせと違うじゃないかと連絡したと報道では言われている

任命拒否とは説明できないことなんだな。任命拒否の理由を述べると、日本学術会議の独立性を侵すことになるから言えないと。説明できない理由を言うと、自らの領域を侵されるから言わないのでなく、言えないのだな。しかし国家が、権限を独占している国家権力者が国民に説明出来ない事があるのは民主主義とはかけ離れているな。機密費も支払い時に説明出来なければ何年か経た後で公表しなければならない

菅義偉はどういう人生を歩んできたのだろう。30年以上政治の世界である。その業界で長く年数が経つと、業界外の世界は知らない。村木厚子や山田真貴子や小野日子を見ても同じ省内での結婚だな。意外と交際範囲は狭いことが窺える

政治家の場合には大衆との接点は選挙の時だけである。それと選挙のために地元の後援会活動だけである。菅義偉は、大臣は総務大臣だけ、後は長い官房長官時代。官房長官時代では国民との接点は無い。仲間の報道関係者に説明、その説明は一方的で曖昧な方が良い。具体的でなく抽象的な方が良いんだな。国民の前に出てきて説明するのは総理になって初めてではないかな。それも原稿を携え、ただ読むだけだな。人事の菅義偉と言われたぐらいだから、命令一本だったのだろう。国民からの印象とかは本人に取れば関係ない。総理になって初めて気にしだしたのだろう。総理とは支持率が大事だと、総理を長くやり続けるのは支持率が重要だと

菅義偉は、雪深い田舎から出てきた苦労人、好々爺の印象で驚くほどの支持率であった。当初順調な滑り出しだったが、コロナの対応で支持率が急落して焦ったな。そして平身低頭謝る、謝れば国民は納得すると踏んでいる。大衆から見ると、謝れば可哀想に思えてくるな。余りいじめないでと。そして案の定支持率は少し盛り返した

しかし、権力者は謝れば済むことではないな。安倍晋三、杉田和博、二階俊博の3人爺が菅義偉、杉田和博、二階俊博の3人爺に代わって支配が続いている。知事とか市町村長が何人もいる。しかし、調査していないが2期8年までは許されるが、3期12年となると多選の弊害が多いように思う。選挙区の区割りも国会で決める。国会議員も選挙区での多選の制限をした方が良いではないかな。神奈川県知事が小池百合子東京都知事に嘘をつかれたと。手玉に取られたと。神奈川県、千葉県、埼玉県の知事は小池百合子に先導されたと。小生から見ると、間抜けだな。間が取れなかったな

「~じゃないでしょうか」は謙譲に変えた命令であろうな。あるいは命令を装った謙譲語であろうと推測する


幇間になれなかった女

2021-02-26 16:11:45 | 世評
総務省HPによると「国家公務員倫理規程違反に関する関係者の処分等について」と令和3年2月24日に11名の処分等を実施した

総務省の前身は、内務省であった。戦前の国家の基幹をなす省庁であった。警察機構や泣く子も黙ると言わしめた特別高等警察(特高)も下部組織であったが、余りに巨大機構で、絶大な権力機構であったため、敗戦後GHQによって解体・廃止された

戦前の特高は解体されたが、その業務は内閣府外局の国家公安委員会に継承されたとも言える。カミソリ後藤田と言われた中曾根康弘内閣で官房長官を務めた後藤田正晴は内務省出身であった。一貫して戦争には反対したが、リクルート事件後竹下内閣が退陣した折に総裁候補に上がったが、私は警察出身者であるため総理にはならない方が良いと、総裁選には立たなかった

しかし、今回の東北新社と総務省幹部との接待は良く表に出た。現職の総理に関わる事件であるため幕引きになるかなとも思ったが、内閣広報官の山田真貴子が高額な接待を受けたとはマスコミの話題にのぼるな

総務省は一人ではなく、幹部軒なき組織ぐるみとも言える。それほど大臣の威光は恐ろしいとも言える。官僚も長くなるとどうしても機構に呑まれる。例えばテレビカメラの前でも上司が訪れると手も両手を横にそろえ頭は下がる。実ほど頭を垂れる稲穂かなと言う言葉があるが、敬意もあろうが昔の軍隊さながらの光景だな。

話は変わるが、厚生労働省に村木厚子がいた。課長時代に凛の会事件の虚偽公文書作成により起訴有罪判決を受け、大阪拘置所に抑留された。部下の犯罪だったので無罪を主張してようやく保釈され、無罪判決を得た。大阪地方検察庁特捜部の証拠改竄事件であったので、冤罪そのものであった。その後村木厚子は厚生労働省に復帰して事務次官になったが、国家により検察により痛めつけられながら、国家機構に戻った

たとえ冤罪にしても、公務員によって公務員による犯罪を受けながら、同じく公務員に戻った。意思が強いとも言えるが、全体の奉仕者である公務員に再度戻った。小生にとっては不可思議な感じがしたな

山田真貴子と村木厚子とは立場や考えが違うにしても、同じ公務員であることには変わりが無い。しかも夫も同じ省庁勤務であり、省庁内の役職は妻の方が高い。夫婦とは気質が同じ、俗に似た者同士と言うが、同じような人が多い。特に公務員同士も多いんだな。産経新聞に司馬遼太郎がいた。生き字引と言われたが妻も同じ産経新聞社でその分野での能力は妻の方が高かったとか。東京藝術大学長に平山郁夫がいた。学生の頃は妻の方が成績は良かったと

総務省のHPの沿革によると、情報流通行政局は2008年(平成20年)7月4日に設立されている。菅義偉は2005年(平成17年)11月から2006年(平成18年)9月まで総務副大臣、その後2007年8月まで総務大臣であった。そして無職だった長男を大臣秘書官に抜擢し、その後、後援者である東北新社に入社させた。菅義偉はその後2012年12月から2020年9月まで官房長官をやっている

今回の総務省の処分等によると情報流通行政局が多い。菅義偉の人事による関与の影が付き纏っている。しかも調査が早い。異常に早いな。誰がどのように調査したか分からない。22日の衆議院予算委員会の理事会で総務省が接待内容を発表したと。1円単位で発表したと。国会の議事録を当たったが無い

総務省のHPによると、24日に武田総務大臣閣議後記者会見の概要が掲示されている。記者の問いに対し、12名延べ38件の倫理法違反があったと、本日までに調査を終え、その結果を国家公務員倫理審査会に報告するとともに、懲戒処分案についても国家公務員倫理審査会に承認申請する予定となっていると

同日、処分を発表した後の記者会見では、記者からの問いかけに対し、今回の調査におきましては、民間企業である東北新社に対して、任意の協力により各種帳票類の提出を受けるなど、強制的な捜査権限を持たない中で、可能な限りの客観的証拠を集めた上で、事実の確認を行ってきたと。そのような中、どうしても当事者の記憶に頼らざるを得ないものもありますけど、職員・事業者双方から一人一人、ヒアリングを行い、双方の陳述内容にそごがないかも含めて検証し、できる限りの客観性というものも確保したと

総務省による総務省のための調査であった。民間相手に任意の調査であった。税務調査なら税務署による調査ならば受けざるを得ない。しかし任意の調査であった。任意で関係者への帳簿や領収書等の調査であった。何で東北新社は調査に応じたのだろう。それは任意とは言っても監督官庁であったからであろう。監督官庁の調査ならば、当初幹部等が利害関係者とは思わなかったと話していたが、総務省や東北新社の双方にとって利害関係者であろうな。身内による監督としての調査であったので、道理で早かった。手心もあったであろうな

しかも接待の的は、情報流通行政局に集中している。総合通信基盤局は通称「電波マフィア」に対して、情報流通行政局は通称「放送マフィア」と言われていると。菅義偉は総務省の利権である電波に加え放送・マスコミを手中に入れようと画策している。総務省とは携帯電話にしてもNHKにしてもその認可権をもっている。それらを考慮して総務省出身の山田真貴子を内閣広報官にすえた

集英社から「幇間の遺言」が出版されている。今は絶版になったであろうが、1995年(平成7年)5月に出版された。語ったのは悠玄亭玉介、それを小田豊二が聞き取って書いたものである。幇間だから、自らが書く事はいない。喋り、語りなんだな。これが読んでも面白い。聞けばもっと面白いだろうが、文で読んでも面白いんだな

幇間とは誰が言いだしたか、太鼓持ち。幇間とは宴席での酒間をたすけるんだな。幇間の幇とは訓読みだとタスケル。昔の男たちは粋だったな。幇間とは芸達者。しかし、客よりも芸を上手くしてはダメなんだな。客より上手くては駄目、人様より教養をひけらかしては駄目。あくまでも控え目、客を喜ばすのが商売だな

文は残る。しかし言葉は、口から出まかせと言う言葉もあるように、口から出て消える事もある。文のように残らない。しかし、余韻は残る。間をとると耳に残るんだな。間が空きすぎると、間が抜けることになってしまうが。言葉は文にはないものがある。お経もそうだな。同じ事を繰り返し、繰り返し使う事もある。文とは構成が違ってくる

人の顔には口よりも耳の方が上にある。何故だか分かるかな。まあ禅問答のようだが
「幇間の遺言」には、耳が口よりも上にあるのは人の話を聞くようにだと。しかも良く聞けるように二つもあると。まず、聴いてから口にすると

年寄りを見ると、見渡してみると、もっとも小生も爺さんが板についてきたが、自己中心になりがちである。どうしても自己をひけらかすんだな。その点、「幇間の遺言」には得るものがある。個性もほどほどに。大阪ではボチボチと言うそうな

帯には
たいこもちってのは、歴史ある由緒正しい芸人だよ。教養があって、芸があって、品がいい。それにこの美貌だ。まさにあたしにぴったりの商売だったよな

幇間とは商売だったな。それも男の職業だった。なんせ正客以下の客を取り持つ。客に快感や快楽を与える商売である。菅義偉は長男に「総務省とは距離を置いて付き合うように」と釘を刺したと。それは表の言葉だな。息子は親のやり方を見ている。息子は裏の言葉として「総務省の利権を大いに貪るように」と聞こえたのだろう

山田真貴子内閣広報官は25日の衆議院予算委員会に参考人として出席した。野党もまさか出てくるとは思っても見なかったであろうな。矛先が鈍ったと言うか上手く逃げられた。頭が良いと言うことは、通例記憶力が良い。テレビでもクイズ番組を見ているとよく知っている。それと記憶力が良い。日本の学力は記憶力に宿っている。特に官僚とは記憶力だけは良い。記憶に無いことは考えられない。理念とか考えを聞いてもすり抜けられる。具体的に聞いていくんだな。馬鹿になっても具体的に聞いていくんだな

菅義偉は昨年10月26日にNHKの「ニュースウォッチ9」に出演した。日本学術会議の会員任命について拒否した件を聞かれて「説明できることと出来ないことってあるんじゃないでしょうか」と本音を言ってしまった。翌日、山田真貴子はNHKに「事前の打ち合わせと違う、総理は怒っている」と電話したとの報道がなされた。それを聞かれたが山田真貴子は電話していないと。NHKの前田晃伸会長も出席していて、電話を受けていないと

報道での話と違うんだな。総理の報道関係者との記者会見がある。山田真貴子内閣広報官は司会をしていた。この国は記者クラブが報道の自由を害しているが、総理の記者会見は記者クラブを生かすなら、せめて記者クラブが主催して記者クラブが司会をして、出席の記者も自由にして、自由な質疑応答をすべきである

現実には山田真貴子内閣広報官が司会をやって、取り仕切って、質問内容も事前に提出させて、質問は一つだけだと。だから菅義偉の回答も眼を下に向き原稿を読むことになっている。マスコミを籠絡させ、政府の情報を手の中の報道関係者にしか流さないと。あるいは情報によってマスコミを競い合わせると

情報とは権力の源泉でもあるし、金になるんだな。ましてやその情報は政府からの発信だな。官庁、省庁とは独占企業のようなものだな。情報の発信局である。飲み会には断らない女・山田真貴子内閣広報官は政府べったり、菅義偉の意向を受けた人物であろう。菅義偉にとっては打って付けの格好の広報官であろう。そこには幇間のように政府・報道機関・国民との間を幇助出来ず、菅義偉にとっての広報官であろうな。広報官でなく告知官であろうな

幇間とは男の職業だと、だったと。山田真貴子は幇間になれなかった女と言えるな


時代おくれ

2021-02-23 11:55:58 | 世評
公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長であった森喜朗が辞任して橋本聖子が新会長になったと。まさにオリンピックのために生まれ、オリンピックのために活躍したオリンピック娘が新会長になったと

評議員会で理事を選出して、理事会で会長を互選する。本来なら会長が辞任したら、理事会で理事の中から会長を選出すれば良いのだが、残りの理事の中では見渡しても会長に足る者がいなかったので、名誉会長の御手洗富士夫(キヤノン株式会社代表取締役会長兼社長CEO)に丸投げして、選考検討委員会を設けて、外部から会長候補を招聘した

森喜朗が「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」とか「女性っていうのは競争意識が強い。誰か一人が手をあげて言うと、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」とか発言したと

JOCの評議員会ではその話を笑って聞き流したと。森喜朗としては女性を蔑視したよりも軽視したんだろうな。軽視が軽蔑と取られ、女性蔑視へと発展していったんだろうな。IOCも当初は軽く考えていたが、広告主、大きな収入源である商人から言われたら万事休すだな

女性蔑視の輪は五大陸を瞬く間に駆け巡った。丁度、日本の総理の息子が総務省の高官との会話が分からない筈であったが、文藝春秋の記者から録音を取られた。国会で逃げられなくなった。従来だと国会なぞは隠蔽改竄で逃げられたが、追い詰められた。あと一歩の詰めであろうが・・・

森喜朗は逃げられなかった。世の流れと共に、「時代遅れ」だと。女性蔑視は疑問がないが、時代遅れの発言は首を傾げる。女性軽視や素人軽視は今に始まったことではないな。昔から女性蔑視の流れはあった。女性蔑視反対を今の流行にしてはいけないんだな

平塚らいてうがいた。時ははるか昔の明治の時代である。明治44年(1911年)雑誌「青鞜」創刊の辞である。小林登美枝・米田佐代子編『平塚らいてう評論集』(岩波文庫)からの引用によると

元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった
今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である
さてここに「青鞜」は初声を上げた
現代の日本の女性の頭脳と手によって始めて出来た「青鞜」は初声を上げた
女性のなすことは今はただ嘲りの笑を招くばかりである
私はよく知っている、嘲りの笑の下に隠れたる或るものを

今から百年以上前に女性たちが産声をあげた。産声なんだな。それから現代までに幾多の時代を超えたが実態は何ら変わりがないな。返って女性蔑視や素人軽視は強くなっている感がするな

話変わって、日本語の名詞には男性名詞と女性名詞がない。名詞の性別が無い。しかし、西欧のフランス語やイタリア語では男性名詞と女性名詞があると。英語も古くは名詞の性別があったが、今はほぼ消滅していると。どうして、仏蘭西語や伊太利語で名詞の性別が出来たからよく分からないと。性別の蔑視でなく区分けのようなもののようだと。従って中性名詞もあると。しかしどうして男性と女性の性別をしたのか疑問である

そんな時代もあったねと 中島みゆきが歌った
あんな時代もあったねと まわるまわるよ時代は回る
今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩きだすよ  と

長身の河島英五がいた
若くして肝臓疾患のため急死した河島英五がいた
自らが作詞作曲した「酒と泪と男と女」を歌った河島英五がいた
その河島英五が歌った歌に、阿久悠作詞、森田公一作曲の「時代おくれ」があった

一日二杯の酒を飲み  さかなは特にこだわらず
マイクが来たなら 微笑んで  十八番を一つ歌うだけ

不器用だけれど しらけずに   一年一度酔っぱらう
目立たぬように はしゃがぬように
時代おくれの男になりたい

時代おくれの男 なんだな
時代遅れの女とは言わないな
男勝りとは言うが、女まさりとは言わないな
女々しいとは言うが、男々とは言わないな

映画の三大映画祭とは、カンヌ国際映画祭とベリリン国際映画祭とヴェネツィア国際映画祭だと。映画祭とは映画に接している者、映画に関して玄人が選定すると。「千と千尋の神隠し」はアニメーションだが、ベリリン国際映画祭で金熊賞を受賞したと

「鬼滅の刃」は興行収入で「千と千尋の神隠し」を抜いたと。素人の見立てでは「鬼滅の刃」を評価しているんだな。良いと見ているのであろうな。しかし、玄人の見方はどうであろうかな。一度映画祭に出品してみたらどうかな

世論調査は色々やっている。オリンピックの開催とか政権の支持率とか様々やっているが、意外とどういうやり方をやっているか分からないが、世評の噂では当たっていると。分からんな