風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

師匠の卓袱台

2015-09-24 20:13:40 | 日記
ブログも何とか記載できるようになった

吉川英治は我以外皆我師と言っていた。グ-のブログに接触する教室があった。
小生は参加の意思を表し参加した。電子計算機がパ-ソナルコンピュ-タになりパソコンの名は定着した。今じゃ会社の机の上には、ノ-ト代わりにパソコンが置いてある。

パソコンの師匠のパソコンという機械は卓袱台のよう。昔の家庭の居間には卓袱台があった。
食事の時あるいは勉強も卓袱台の上でやることもあった。

今じゃ、家庭の各自に部屋を与え、団欒が少なくなった。テレビのチャンネル争いのようにパソコンも一人一台になりつつある。しかし、教室の先生のパソコンは子どもと兼用のようである。子どもがパソコンをいじった形跡が残る。親と子の交流がパソコンを通して、接点にしている。こういう現象は面白いんだな

先生や師匠は教えもそうだが、なにげない無駄話で人柄が表れてくる。余談、司馬遼太郎の言葉を借りるなら余禄なんだな。あるいは話の枕なんだな。

小三治だったかな。枕で落語の前に本題の前に終わってしまったとか

しかし、家庭とはうまい訳だな。ドメスティックだな

卓袱台が家庭だけでなく、家庭の外、あるいは村落に一台置いておくのも面白いがの