近年にない面白い本である。面白いと言うか痛快だな。テレビやラジオは広告主で成り立っている。新聞も多くはスポンサ-の意向に反することはできない。出版ならではだろうな。出版しかなし得ないだろうな。
2007年(平成19年)に講談社から刊行された。現在は講談社文庫に収められている。
冒頭に、永六輔が語っている。
役者バカ・藤山寛美。
版画バカ・棟方志功。
野球バカ・長嶋茂雄。
こういったバカたちは実は尊敬されている。
同じバカがついても、改革バカ・小泉純一郎となると・・・・・・。
そして、この本で対談している二人は・・・・・。
ラジオバカ・永六輔。
編集バカ・矢崎泰久
ハッキリ言って、バカまるだしである。
バカといっても「馬鹿」と「莫迦」。
サンスクリット語のあて字が「莫迦」、さらに馬と鹿の力を借りている。
この対談のテ-マはひとつ。戦争反対だ。
平和バカもいれば戦争バカもいる日本。
「美しい国バカ」にこの本を捧げたい。
永六輔
冒頭から面白い。昔「面白半分」という雑誌があった。編集長は色々変わったが、「四畳半襖の下張」で名を馳せた。
もう一つ「話の特集」という雑誌があった。こちらは矢崎泰久が編集長であった。編集長であったから、作家や漫画家や挿絵家を数多く発掘した。著書の「あの人をみよ」では深沢七郎と少年の頃近所に過ごしていて、その頃のペンネ-ムは桃原青二であった。その後本名の深沢七郎になったが、日劇ミュ-ジックホ-ルで出演したり、後の「風流夢譚」の件も描いていた。中央公論も出版社としての矜持のカケラすらなかったな。
この対談では、永六輔は一応マスコミの人であるので、抑えている。矢崎泰久は随所に言いたい放題であろうな。それも活字にのせるほどであるが。永六輔も最初に矢崎泰久と会ったときは、「怪しいヤツだ」と思ったが、やっと最近になって心が許せるようになったとか
テレビで顔が売れると、いつのまにか「善」になっちゃうと。テレビが悪人を善人に変えてしまうと。そう言う面がある。朝から晩まで電波を流されればそうなっちゃうな
「国のお褒めを辞退する会」っていいじゃない。杉村春子は文化功労者には選ばれているけど、その後の文化勲章は辞退している。岸田今日子はたしか、文化功労者も辞退しているはずだ。
矢崎泰久が「話の特集」をやっている頃、篠田正浩に紀元節復活反対の原稿をかいてもらって、イラストレ-ションに横尾忠則。若い女性が菊の紋章にオシッコをかけていたと。案の定、刀を持った右翼が乗り込んできたと。「編集長はいるか」と、そしたら皆、一斉に矢崎泰久の顔を見たと。恐ろしかったと。
とっさに思い出したのが、ガキの頃に叩き込まれた歴代天皇の名前だと。神武、緌靖、安寧、懿徳、考昭、考安・・・と124代全部言ったと。ついでに、難しい漢字も書いて、「私はあなたよりも皇室のことに詳しい、そうじゃありませんか」と言ったら、右翼が「恐れ入りました」って。でもほんとに怖かったと。
五木寛之も、かって語っていたな。飲み屋で旧軍人に絡まれて、キサマ軍人勅語を言ってみろと言われたと。五木寛之は一つ 軍人はと滔々と話したと。旧軍人は舌をまいたと。
教育とは恐ろしい。昔の教育は暗証だな。そして一度覚えたら忘れようとしても忘れられない。教育の恐ろしさだな。そして教育とは国家が握っている。
こないだ相撲部屋の稽古風景を若い女の子と見ていたら、「鉄砲注意」って張り紙が写っていたと、それを見た彼女が、「九州場所だから鉄砲を持って来る人がいるんですか?」と、
モンゴルへ行ったとき、朝青龍が土俵入りするときに、縄を締めているのはなぜだっていう質問。つまり、横綱の注連縄が不思議だと
あの注連縄って、神道では「標 しめ」といって、神様のいる場所とそうじゃない場所とを分けるものだと。つまり、神棚と同じで、あの向こう側に神様がいるわけだと。
横綱の場合は、オチンチンだと。昔からある男根信仰からきていると。
戦時中の遥拝(明治神宮前を通ると臨時停車して、全員直立不動でお辞儀をする)の話でも、若いヤツに「チンチン電車に乗って・・・・」なんて話しても、そのチンチン電車が通じない。
昔、ビニ本を作っていた時代があった。取締りは厳しいけど、飛ぶように売れたと。ところが、取締りがゆるくなると、全然売れないと
矢崎泰久が、田中角栄の秘書の早坂茂三にすごく褒められたと。彼に日本のジャ-ナリストで、こいつだけはすごいと思ったヤツが一人いる、矢崎泰久だと
ある日、早坂を通じて、田中角栄が会いたいと、田中角栄は嫌いだったけど、ジャ-ナリストだから会った方が良いと思って、会ったと。魅力的な男だったと。ここで親しくなったら危ないと思ったと。
しかし、自分でもダメなヤツだと思ったけど、ご馳走になった。帰りに、お車代って包まれた。ズシリと重い。見ていいかと聞いたら、どうぞと早坂が言ったと。見たら百万円くらい入っていたと
今から考えれば惜しい事をしたと思うけど、きっぱり断った。そしたら、早坂が雑誌の座談会かなんかで、そのことをしゃべったの。「矢崎はすごいヤツだ。他のジャ-ナリストはみんなもらった」と
算盤の五つ玉は、博奕ばくちと深い関係がある。博奕の理屈でいうと、「張った、張った、丁目半目揃いました、ハイ、できました、どうぞ」とやるでしょう。あれは算盤の上と下の玉と同じ理屈ですよ
胴元は半目丁目に合わせる。つまり、客が張るでしょ。丁に張った客と半に張った客と、どっちか足りないときがある。そこで胴元が足りない方につくか、誰かを誘って数を合わせるか、乗せるか、それが胴元の腕なんです。
いまはどうか知らないけど、昔は、新聞では使いものにならないヤツがテレビジャ-ナリズムの世界に入ってきた。要するにレベルが低いんですよ
憲法の本来の正しい形は、聖徳太子の17条憲法だと。三波春夫に聞いたが、17条憲法は国民宛じゃない。大和政府の役人宛てなんです。役人の規範を書いている。市民は関係ない。本来、一般市民は憲法なんて気にしなくてもいい。憲法はあくまでも国の舵取りをする政治家や役人、つまり為政者を縛るための法律なんであって、国民は憲法に縁がなくても、幸せならそれでいいんですよ。
マッカ-サ-は相当の日本通だった。彼は若い時に日本に来ているし、新婚旅行も日本だった。マッカ-サ-のお父さんが、日露戦争の観戦武官だった。その後、二度目に結婚した奥さんと、新婚旅行で横浜のホテルニュ-グランドに泊まっている。
マッカ-サ-は10回も天皇と会っているが、日本側の通訳が残した会見録というのは3回分しか公開されていない。それ以外は、マッカ-サ-と何を話したかは、全部秘密なんだ。戦後の「菊のカ-テン」はそこから始まっていると
「旅行」ってもともと、旅に出る「行ぎょう」です。つまり、「リョギョウ」なんです。旅がなんで「行」かというと、「旅」という字は、旗の下に多くの人が集まるって意味、つまり軍隊のことだからね。軍隊の編成で「旅団」ってあるじゃないですか。あれは、そこからきているわけです。
だから、「ひとり旅行」とは言わない。あくまで「行」のつかない、気楽な「旅」で良い
最後に矢崎泰久が記している
私はこの本のタイトルが嫌いである。なにしろ「バカまるだし」では自分に突き刺さってかなわない。その通りだからだ。
何をしても、何を言っても、「ああ、オレは何てバカなのか」と、しみじみ思いながら齢70余になった。その点、永六輔は利口そのものである。読んでいただければわかるが、私というバカを相手にノビノビとしている。悔しいが事実だから仕方がない。
この本は、「本音まるだし」とすべきだった。日本社会の仕組みは「タテマエ」だらけであって、「ホンネ」は通用しにくい。嘘ではないかと思われるほどに、本音でものを言っている。いっそ、「嘘ばっかり」というタイトルにするべきだった。
正反対の位置に鎮座ましましているのが、この国の権力者たちである。腹が立つがどうにもならない。
庁を省に格上げした人が、憲法を変えようと主張する。はっきりと「9条廃止」となぜ言わないのか。衣の下に刃を隠して再び戦争への道を進もうとしている。世界平和を求めるならば、核だけでなく、あらゆる武器を捨てよ、と言いたい。
矢崎泰久
2007年(平成19年)に講談社から刊行された。現在は講談社文庫に収められている。
冒頭に、永六輔が語っている。
役者バカ・藤山寛美。
版画バカ・棟方志功。
野球バカ・長嶋茂雄。
こういったバカたちは実は尊敬されている。
同じバカがついても、改革バカ・小泉純一郎となると・・・・・・。
そして、この本で対談している二人は・・・・・。
ラジオバカ・永六輔。
編集バカ・矢崎泰久
ハッキリ言って、バカまるだしである。
バカといっても「馬鹿」と「莫迦」。
サンスクリット語のあて字が「莫迦」、さらに馬と鹿の力を借りている。
この対談のテ-マはひとつ。戦争反対だ。
平和バカもいれば戦争バカもいる日本。
「美しい国バカ」にこの本を捧げたい。
永六輔
冒頭から面白い。昔「面白半分」という雑誌があった。編集長は色々変わったが、「四畳半襖の下張」で名を馳せた。
もう一つ「話の特集」という雑誌があった。こちらは矢崎泰久が編集長であった。編集長であったから、作家や漫画家や挿絵家を数多く発掘した。著書の「あの人をみよ」では深沢七郎と少年の頃近所に過ごしていて、その頃のペンネ-ムは桃原青二であった。その後本名の深沢七郎になったが、日劇ミュ-ジックホ-ルで出演したり、後の「風流夢譚」の件も描いていた。中央公論も出版社としての矜持のカケラすらなかったな。
この対談では、永六輔は一応マスコミの人であるので、抑えている。矢崎泰久は随所に言いたい放題であろうな。それも活字にのせるほどであるが。永六輔も最初に矢崎泰久と会ったときは、「怪しいヤツだ」と思ったが、やっと最近になって心が許せるようになったとか
テレビで顔が売れると、いつのまにか「善」になっちゃうと。テレビが悪人を善人に変えてしまうと。そう言う面がある。朝から晩まで電波を流されればそうなっちゃうな
「国のお褒めを辞退する会」っていいじゃない。杉村春子は文化功労者には選ばれているけど、その後の文化勲章は辞退している。岸田今日子はたしか、文化功労者も辞退しているはずだ。
矢崎泰久が「話の特集」をやっている頃、篠田正浩に紀元節復活反対の原稿をかいてもらって、イラストレ-ションに横尾忠則。若い女性が菊の紋章にオシッコをかけていたと。案の定、刀を持った右翼が乗り込んできたと。「編集長はいるか」と、そしたら皆、一斉に矢崎泰久の顔を見たと。恐ろしかったと。
とっさに思い出したのが、ガキの頃に叩き込まれた歴代天皇の名前だと。神武、緌靖、安寧、懿徳、考昭、考安・・・と124代全部言ったと。ついでに、難しい漢字も書いて、「私はあなたよりも皇室のことに詳しい、そうじゃありませんか」と言ったら、右翼が「恐れ入りました」って。でもほんとに怖かったと。
五木寛之も、かって語っていたな。飲み屋で旧軍人に絡まれて、キサマ軍人勅語を言ってみろと言われたと。五木寛之は一つ 軍人はと滔々と話したと。旧軍人は舌をまいたと。
教育とは恐ろしい。昔の教育は暗証だな。そして一度覚えたら忘れようとしても忘れられない。教育の恐ろしさだな。そして教育とは国家が握っている。
こないだ相撲部屋の稽古風景を若い女の子と見ていたら、「鉄砲注意」って張り紙が写っていたと、それを見た彼女が、「九州場所だから鉄砲を持って来る人がいるんですか?」と、
モンゴルへ行ったとき、朝青龍が土俵入りするときに、縄を締めているのはなぜだっていう質問。つまり、横綱の注連縄が不思議だと
あの注連縄って、神道では「標 しめ」といって、神様のいる場所とそうじゃない場所とを分けるものだと。つまり、神棚と同じで、あの向こう側に神様がいるわけだと。
横綱の場合は、オチンチンだと。昔からある男根信仰からきていると。
戦時中の遥拝(明治神宮前を通ると臨時停車して、全員直立不動でお辞儀をする)の話でも、若いヤツに「チンチン電車に乗って・・・・」なんて話しても、そのチンチン電車が通じない。
昔、ビニ本を作っていた時代があった。取締りは厳しいけど、飛ぶように売れたと。ところが、取締りがゆるくなると、全然売れないと
矢崎泰久が、田中角栄の秘書の早坂茂三にすごく褒められたと。彼に日本のジャ-ナリストで、こいつだけはすごいと思ったヤツが一人いる、矢崎泰久だと
ある日、早坂を通じて、田中角栄が会いたいと、田中角栄は嫌いだったけど、ジャ-ナリストだから会った方が良いと思って、会ったと。魅力的な男だったと。ここで親しくなったら危ないと思ったと。
しかし、自分でもダメなヤツだと思ったけど、ご馳走になった。帰りに、お車代って包まれた。ズシリと重い。見ていいかと聞いたら、どうぞと早坂が言ったと。見たら百万円くらい入っていたと
今から考えれば惜しい事をしたと思うけど、きっぱり断った。そしたら、早坂が雑誌の座談会かなんかで、そのことをしゃべったの。「矢崎はすごいヤツだ。他のジャ-ナリストはみんなもらった」と
算盤の五つ玉は、博奕ばくちと深い関係がある。博奕の理屈でいうと、「張った、張った、丁目半目揃いました、ハイ、できました、どうぞ」とやるでしょう。あれは算盤の上と下の玉と同じ理屈ですよ
胴元は半目丁目に合わせる。つまり、客が張るでしょ。丁に張った客と半に張った客と、どっちか足りないときがある。そこで胴元が足りない方につくか、誰かを誘って数を合わせるか、乗せるか、それが胴元の腕なんです。
いまはどうか知らないけど、昔は、新聞では使いものにならないヤツがテレビジャ-ナリズムの世界に入ってきた。要するにレベルが低いんですよ
憲法の本来の正しい形は、聖徳太子の17条憲法だと。三波春夫に聞いたが、17条憲法は国民宛じゃない。大和政府の役人宛てなんです。役人の規範を書いている。市民は関係ない。本来、一般市民は憲法なんて気にしなくてもいい。憲法はあくまでも国の舵取りをする政治家や役人、つまり為政者を縛るための法律なんであって、国民は憲法に縁がなくても、幸せならそれでいいんですよ。
マッカ-サ-は相当の日本通だった。彼は若い時に日本に来ているし、新婚旅行も日本だった。マッカ-サ-のお父さんが、日露戦争の観戦武官だった。その後、二度目に結婚した奥さんと、新婚旅行で横浜のホテルニュ-グランドに泊まっている。
マッカ-サ-は10回も天皇と会っているが、日本側の通訳が残した会見録というのは3回分しか公開されていない。それ以外は、マッカ-サ-と何を話したかは、全部秘密なんだ。戦後の「菊のカ-テン」はそこから始まっていると
「旅行」ってもともと、旅に出る「行ぎょう」です。つまり、「リョギョウ」なんです。旅がなんで「行」かというと、「旅」という字は、旗の下に多くの人が集まるって意味、つまり軍隊のことだからね。軍隊の編成で「旅団」ってあるじゃないですか。あれは、そこからきているわけです。
だから、「ひとり旅行」とは言わない。あくまで「行」のつかない、気楽な「旅」で良い
最後に矢崎泰久が記している
私はこの本のタイトルが嫌いである。なにしろ「バカまるだし」では自分に突き刺さってかなわない。その通りだからだ。
何をしても、何を言っても、「ああ、オレは何てバカなのか」と、しみじみ思いながら齢70余になった。その点、永六輔は利口そのものである。読んでいただければわかるが、私というバカを相手にノビノビとしている。悔しいが事実だから仕方がない。
この本は、「本音まるだし」とすべきだった。日本社会の仕組みは「タテマエ」だらけであって、「ホンネ」は通用しにくい。嘘ではないかと思われるほどに、本音でものを言っている。いっそ、「嘘ばっかり」というタイトルにするべきだった。
正反対の位置に鎮座ましましているのが、この国の権力者たちである。腹が立つがどうにもならない。
庁を省に格上げした人が、憲法を変えようと主張する。はっきりと「9条廃止」となぜ言わないのか。衣の下に刃を隠して再び戦争への道を進もうとしている。世界平和を求めるならば、核だけでなく、あらゆる武器を捨てよ、と言いたい。
矢崎泰久