風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

風になった しいある

2016-02-16 16:34:56 | 文藝
図書館に行き、ふとしたことで書籍を手にした。題名が「風になったしいある」副題として「軽井沢病院産婦人科医療事故 遺族の手記」著者が鈴木美津子、発行所が㈱マガジンランド、2008年12月15日が初版である。

副題の通り、産婦人科での産婦の死亡について、遺族が記している。遺族だから感情がはいるのは自然の成り行きである。人が行動を起こす場合は、論理よりの感情が大きい。発端はパトスだな。そのパトスが走り出す。

裁判までいった、あるいは裁判を起こさざるを得なかったが、書かれてあることは、何だな。世間一般の常識とは余りにかけ離れているな。

事が起こったのは、2003年10月5日、今から13年ほど前、舞台は避暑地で名高い軽井沢町、その地にある町立とも言える軽井沢病院。10年一昔と言うがの
 
今も、軽井沢町は存在するし、軽井沢病院も存在している。軽井沢は避暑地と言われる。ちなみに軽井沢には様々なキリスト教会がある。その結婚式で商売として売り出している。しかし、ショ-記念礼拝堂にしても軽井沢高原教会にしても、牧師、つまりプロテスタントなんだな。

西欧で宗教革命が行われ、当時腐敗しきったキリスト教に変わってプロテスタントが台頭した。日本に来た宣教師は旧来のカソリックが多い。そして日本に伝道に来たカソリックはどういう訳か不思議なほど清廉潔白な者であったと。

軽井沢町のカソリックは聖パウロカトリック教会だけである。従って山の中だけあって町としてあるいは避暑地としては新しいと言える。

小生はいつも枕が長い。当時の軽井沢病院では信じられないことが行われていたようだ。医者とは人の命を救うことが大前提である。その間には事故あるいは合併症も起こるだろう。交通事故もどんなに注意しても事故は起こり得る。
医療の現場でも、予期せぬ合併症とかも起こるであろう。しかし、この「風になったしいある」では医者の倫理観がひとかけらもないんな

医業とは専門分野の分散化が激しい。内臓ひとつとっても、呼吸器、消化器、腎臓、心臓と分かれている。消化器の専門医は肝臓を知らない、腎臓は感知しないでまかり通ることもあり得る。昔の医者は機械の医療機器の進歩がさほどでなかったので、医者の経験や患者の状態で判断することもあった。今じゃ機器とパソコンとにらめっこで、患者に接する時間は短くなった。

軽井沢病院産婦人科の医療事故は当時、新聞やマスコミでも大々的にとりあげられたと。しかし裁判、法律ともなると、客観的な証拠、100%の証拠がないと駄目なようである。そして医療事故は起きてから、だいぶ経て発覚する。

論理の世界は難しい。釈迦は30にしてたつ、すべて論理的に解明できたと言ったが、それは神であろうから

人の世では100%とはあり得ない。善悪でも100%はあり得ない。盗人にも三分の理と言う言葉もある。

昨今では医者の倫理は落ちたようだな。忙しいこともあろうが、医者だけでなく誠実さに欠けてきたようであろうな。

この本を読んで、これだけ軽井沢町、あるいは軽井沢病院が書かれているが、いまだ存在している。あるいは存在し得ている事は首を傾げざるを得ない。あるいは当時とは状況が変わった、変えたのであろうか。