水上勉が平成16年(2004年)に亡くなった時に、民放テレビはミナカミ ツトムと伝えたがNHKはミズカミ ツトムと言っていた。さすがNHKと妙に感心したことを覚えている。
天下のNHKは思想や主義主張に疑問符があるが、言語、日本語に関しては訓練と言おうか基本がしっかりとされている。民放は広告主次第、スポンサ-が了解すれば良い。片や日本放送協会は国家が了解すれば良い。
水上勉は85歳でこの世を去った。病を抱えた割には長生きした。いわゆる芸術家は、去る落語家が言ったように、長生きするのも芸の内だろうな。長生きするのも一つ、短命なのも一つだな。息子の窪島誠一郎は画商。夭折した画家を追っている。いわゆる夭折画家の作品を収集している。
夭折した画家は、名が知れた画家だと、作品が少ない。従って、需要と供給の関係で、高価で取引される。窪島誠一郎は居酒屋で財をなした。従って名も無い名が出ない低廉な画家の作品を集めたのだろうな。
父 水上勉は白水社から、平成25年(2013年)に出版された。著者 窪島誠一郎は上田市に昭和54年(1979年)信濃デッサン館、平成9年(1997年)に無言館を設立した。
その前、昭和52年(1977年)父が水上勉であったことで、朝日新聞が特ダネとして提供した。戦争を境にして、生き別れた父と子と言うことで、片や直木賞作家、今をときめく流行作家の生き別れた父と子、マスコミは飛びつくわな。
小生は、その当時の新聞を読んでいない。当時とすれば戦後30余年、まだまだ戦争の影を引きずっていた時代である。
父 水上勉は父と子を超えて、良く水上勉の作品を読んで、水上勉の事を調べている。かって札幌の生命保険会社の社員だったかな、その男が山口瞳のことを調べて本を出した。その時も山口瞳の作品から経歴まで調べて良く調べ上げたなと思ったが、窪島誠一郎の父 水上勉も、良いにつけ悪しきにつけ、なかなかの作品である。
冒頭に、「虚と実」の中で、ただ、これはわたしの持論なのだが、人間というものは一面において潔癖無垢であっても、もういっぽうでは不純であったり、不正直であったり、ときに卑怯であったりするのが自然なのではなかろうか。それが、人間というものなのではなかろうか。
わたしが専門にしている絵の世界でもそうで、世間からいくら人間的にすぐれていると人望を評価されている画家であっても、描く作品を好きになれるとはかぎらない。聖人君子のような曲がったことが大嫌いな人格者の画家が、万人の心を奪う名作を描けるとはかぎらない。
逆に、とんでもない女たらしでカネにも汚なく、ズル賢く、およそ近寄りたくないと思うような絵描きが、たまらなく心を惹きつける魅力的な作品を描くことがある。
いや、わたしの体験からいうと、むしろ絵描きの世界では、そっちのほうが多い気さえする。しかし、それが人間であり、画家であり、作家であるといわれれば仕方ない。
と記している。
芸術家が生み出す作品と、その作者の人格、思想、信条とは一致しない。あるいは無関係のような感がするな。芸術とはある意味、狂気をもったものであろうな。善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、かな。
小生は、水上勉の作品は晩年の随筆を少々と、飢餓海峡の映画だな。飢餓海峡は標題も良く、内容も良いな。舞台設定は戦後の一時期、監督は内田吐夢、役者は三國連太郎、左幸子、伴淳三郎だな。松本清張のゼロの焦点も舞台は戦後の一時期
段々、戦争の影あるいは傷跡あるいは痛みの感覚が日と共に薄くなってくるな。60年安保を境にしても安前派、安中派、安後派と叫ばれたが、闘争とは痛みが伴なってくる。その影は喪われつつあるな
無言館は、小高い丘にある。小生が訪れた頃は入場料は500円から1,000円だったかな。入場者の意思に任されていた。小生は500円を投入して、気が引けるので、本を購入した記憶がある。あのあたりは水溜りと言おうか池と言おうか貯水池が多い。地元の人に聞くと、雨が少ないので農業用水としてため池があると。
窪島誠一郎と水上勉 親子を読んでみたが、品性は窪島誠一郎の方が上かな。もっとも著者だからな。
最後に母のことも記している。母は自殺したと。窪島誠一郎にとっては一人だけの母であったが、水上勉にとっては、妻でありが数多くの女の一人だったかも知れない。
古典芸能はお茶にしても舞踊にしても、能にしてもまず身体を動かして、身体で覚えていく。理論は後からついてくる。
しかし、電子計算機とは機能が違うな。習い事には様々ある。しかし、パソコンは丁か半だな。二者択一しかない。その思考方法が身についてしまったら、手で、身体で覚えてしまったら、もう後戻りはできない。
社会、経済、政治、言論界でさえも戦争の影を喪って、イエスかノ-の世になってきた。ことに政界では端的には小泉純一郎からだろな。簡潔な言葉でイエスかノ-と。それは橋の下も踏襲している。
戦後はあるいは戦争の影は、恩讐の彼方にかな
天下のNHKは思想や主義主張に疑問符があるが、言語、日本語に関しては訓練と言おうか基本がしっかりとされている。民放は広告主次第、スポンサ-が了解すれば良い。片や日本放送協会は国家が了解すれば良い。
水上勉は85歳でこの世を去った。病を抱えた割には長生きした。いわゆる芸術家は、去る落語家が言ったように、長生きするのも芸の内だろうな。長生きするのも一つ、短命なのも一つだな。息子の窪島誠一郎は画商。夭折した画家を追っている。いわゆる夭折画家の作品を収集している。
夭折した画家は、名が知れた画家だと、作品が少ない。従って、需要と供給の関係で、高価で取引される。窪島誠一郎は居酒屋で財をなした。従って名も無い名が出ない低廉な画家の作品を集めたのだろうな。
父 水上勉は白水社から、平成25年(2013年)に出版された。著者 窪島誠一郎は上田市に昭和54年(1979年)信濃デッサン館、平成9年(1997年)に無言館を設立した。
その前、昭和52年(1977年)父が水上勉であったことで、朝日新聞が特ダネとして提供した。戦争を境にして、生き別れた父と子と言うことで、片や直木賞作家、今をときめく流行作家の生き別れた父と子、マスコミは飛びつくわな。
小生は、その当時の新聞を読んでいない。当時とすれば戦後30余年、まだまだ戦争の影を引きずっていた時代である。
父 水上勉は父と子を超えて、良く水上勉の作品を読んで、水上勉の事を調べている。かって札幌の生命保険会社の社員だったかな、その男が山口瞳のことを調べて本を出した。その時も山口瞳の作品から経歴まで調べて良く調べ上げたなと思ったが、窪島誠一郎の父 水上勉も、良いにつけ悪しきにつけ、なかなかの作品である。
冒頭に、「虚と実」の中で、ただ、これはわたしの持論なのだが、人間というものは一面において潔癖無垢であっても、もういっぽうでは不純であったり、不正直であったり、ときに卑怯であったりするのが自然なのではなかろうか。それが、人間というものなのではなかろうか。
わたしが専門にしている絵の世界でもそうで、世間からいくら人間的にすぐれていると人望を評価されている画家であっても、描く作品を好きになれるとはかぎらない。聖人君子のような曲がったことが大嫌いな人格者の画家が、万人の心を奪う名作を描けるとはかぎらない。
逆に、とんでもない女たらしでカネにも汚なく、ズル賢く、およそ近寄りたくないと思うような絵描きが、たまらなく心を惹きつける魅力的な作品を描くことがある。
いや、わたしの体験からいうと、むしろ絵描きの世界では、そっちのほうが多い気さえする。しかし、それが人間であり、画家であり、作家であるといわれれば仕方ない。
と記している。
芸術家が生み出す作品と、その作者の人格、思想、信条とは一致しない。あるいは無関係のような感がするな。芸術とはある意味、狂気をもったものであろうな。善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや、かな。
小生は、水上勉の作品は晩年の随筆を少々と、飢餓海峡の映画だな。飢餓海峡は標題も良く、内容も良いな。舞台設定は戦後の一時期、監督は内田吐夢、役者は三國連太郎、左幸子、伴淳三郎だな。松本清張のゼロの焦点も舞台は戦後の一時期
段々、戦争の影あるいは傷跡あるいは痛みの感覚が日と共に薄くなってくるな。60年安保を境にしても安前派、安中派、安後派と叫ばれたが、闘争とは痛みが伴なってくる。その影は喪われつつあるな
無言館は、小高い丘にある。小生が訪れた頃は入場料は500円から1,000円だったかな。入場者の意思に任されていた。小生は500円を投入して、気が引けるので、本を購入した記憶がある。あのあたりは水溜りと言おうか池と言おうか貯水池が多い。地元の人に聞くと、雨が少ないので農業用水としてため池があると。
窪島誠一郎と水上勉 親子を読んでみたが、品性は窪島誠一郎の方が上かな。もっとも著者だからな。
最後に母のことも記している。母は自殺したと。窪島誠一郎にとっては一人だけの母であったが、水上勉にとっては、妻でありが数多くの女の一人だったかも知れない。
古典芸能はお茶にしても舞踊にしても、能にしてもまず身体を動かして、身体で覚えていく。理論は後からついてくる。
しかし、電子計算機とは機能が違うな。習い事には様々ある。しかし、パソコンは丁か半だな。二者択一しかない。その思考方法が身についてしまったら、手で、身体で覚えてしまったら、もう後戻りはできない。
社会、経済、政治、言論界でさえも戦争の影を喪って、イエスかノ-の世になってきた。ことに政界では端的には小泉純一郎からだろな。簡潔な言葉でイエスかノ-と。それは橋の下も踏襲している。
戦後はあるいは戦争の影は、恩讐の彼方にかな