前回、自然観察会の大切さについてお話しました。
これは当然のことではあるのですが、自然は大切なものという大前提に基づいています。
私たちは経済という人間社会でのシステムの中で、お金を稼ぎ、企業の作った商品やサービスを購入するという形で生活しています。
こうした中でばかり過ごしていると、そういう視点でしか物事を見れなくなってきてしまうものです。
しかし、世界は経済だけで成り立っているわけではありません。
たとえば、広い空、その空を流れる雲、雲から降る雨、地球を覆う大気、上空を流れる気流・・・。
誰かがサービスとして用意し、動かしているものですか?
ちがいますね?
経済というのは人間社会の中だけでの話。
朝がきて、夜がくる。太陽が照り、星が耀く。風が吹き、雲が流れ、雨が降る。
雨は大地を潤し、野の草花や木々が芽吹き、花を咲かせ、実らせ、葉を落とす。
緑の森や草原の中で昆虫や小鳥たち、獣たちも育つ。
こうした自然の働き、恵みがあるからこそ、私たちも生きることができる(生命を維持することができる)のだということを忘れてはなりません。
農業や水産業も、この自然の恵みを享受して成り立っています。
一番元となっているのは、こうした自然の恵みで、それは人間が作っているのではなく、自然から享受しているのです。
生き物たちは、それぞれ陽光や小川の流れといった生き物でない自然環境や他の生きものたちと関わりを持たなければ、生きていくことはできません。単独で生きることなどできないのです。
それは私たち人間も同じです。
自然(自然環境)は、生きものたちに命を保ち育つための恵みを与えてくれるもの。
だから大切なのです。
そして生きものたちは、例え一匹の昆虫でも、限りある命を一生懸命に生きている。
だから大切にしたいと感じるものです。
こうした自然の恵みは私たちのすぐ身の回りにもあり、その恵みを受けて、身近にいる自然の生きものたちも生きています。
その様子をその現場で体感することでしか、私たちは、自然環境が私たち人間はもちろん全ての命あるものを生かす働きを持っているということ、そして命あるものを大切しようとする気持ちを本当に理解することはできないでしょう。
だからこそ、その現場である、身近な自然が大切なのです。
これは当然のことではあるのですが、自然は大切なものという大前提に基づいています。
私たちは経済という人間社会でのシステムの中で、お金を稼ぎ、企業の作った商品やサービスを購入するという形で生活しています。
こうした中でばかり過ごしていると、そういう視点でしか物事を見れなくなってきてしまうものです。
しかし、世界は経済だけで成り立っているわけではありません。
たとえば、広い空、その空を流れる雲、雲から降る雨、地球を覆う大気、上空を流れる気流・・・。
誰かがサービスとして用意し、動かしているものですか?
ちがいますね?
経済というのは人間社会の中だけでの話。
朝がきて、夜がくる。太陽が照り、星が耀く。風が吹き、雲が流れ、雨が降る。
雨は大地を潤し、野の草花や木々が芽吹き、花を咲かせ、実らせ、葉を落とす。
緑の森や草原の中で昆虫や小鳥たち、獣たちも育つ。
こうした自然の働き、恵みがあるからこそ、私たちも生きることができる(生命を維持することができる)のだということを忘れてはなりません。
農業や水産業も、この自然の恵みを享受して成り立っています。
一番元となっているのは、こうした自然の恵みで、それは人間が作っているのではなく、自然から享受しているのです。
生き物たちは、それぞれ陽光や小川の流れといった生き物でない自然環境や他の生きものたちと関わりを持たなければ、生きていくことはできません。単独で生きることなどできないのです。
それは私たち人間も同じです。
自然(自然環境)は、生きものたちに命を保ち育つための恵みを与えてくれるもの。
だから大切なのです。
そして生きものたちは、例え一匹の昆虫でも、限りある命を一生懸命に生きている。
だから大切にしたいと感じるものです。
こうした自然の恵みは私たちのすぐ身の回りにもあり、その恵みを受けて、身近にいる自然の生きものたちも生きています。
その様子をその現場で体感することでしか、私たちは、自然環境が私たち人間はもちろん全ての命あるものを生かす働きを持っているということ、そして命あるものを大切しようとする気持ちを本当に理解することはできないでしょう。
だからこそ、その現場である、身近な自然が大切なのです。