2019年3月の終わりから昨日にかけて、三ツ池公園、四季の森公園、篠原園地の自然散策にでかけました。
個人で自然観察会の下見として行なったものです。
歩きながら目についたものを観察しましたが、色々な野草たちが花を咲かせ、野鳥たちがさえずっていました。
このように戸外、野外に出れば、そこには色々な生きものたちがいるもので、それが健全な環境といえます。
なぜなら大地はつながっていて、そこが町なかであっても、どこか自然環境のあるところから、植物の種子も、鳥たちも、昆虫たちも移動してくるからです。
また、住宅密集地となった町なかでも、人間が自然を壊して建物や道路を建設してきたことによって都市的な環境になったのであって、始めから住宅地だったわけではないのです。
だから、私たちの身の回りにはいろいろな生きものたちが見られ、それが自然な姿、健全な姿なわけです。
このような形で町なかに残った自然をさらに壊わしたり、草木を切ったり抜いたり、生えなくしてしまったら、こうした生きものたちは次第に見られなくなっていくでしょう。
それを望んでいる人たちもいることは大変残念なことですが、身近な自然を慈しむ人々、慈しもうとする人々がいることが救いとなっています。
個人で自然観察会の下見として行なったものです。
歩きながら目についたものを観察しましたが、色々な野草たちが花を咲かせ、野鳥たちがさえずっていました。
このように戸外、野外に出れば、そこには色々な生きものたちがいるもので、それが健全な環境といえます。
なぜなら大地はつながっていて、そこが町なかであっても、どこか自然環境のあるところから、植物の種子も、鳥たちも、昆虫たちも移動してくるからです。
また、住宅密集地となった町なかでも、人間が自然を壊して建物や道路を建設してきたことによって都市的な環境になったのであって、始めから住宅地だったわけではないのです。
だから、私たちの身の回りにはいろいろな生きものたちが見られ、それが自然な姿、健全な姿なわけです。
このような形で町なかに残った自然をさらに壊わしたり、草木を切ったり抜いたり、生えなくしてしまったら、こうした生きものたちは次第に見られなくなっていくでしょう。
それを望んでいる人たちもいることは大変残念なことですが、身近な自然を慈しむ人々、慈しもうとする人々がいることが救いとなっています。