はてさて 気がつくともう12月になってしまいました。
このブログを見ていただいている皆様には 更新が滞って 申し訳なく思っています。
実は 師走というのに我が家は引っ越しをしなければならなくなりまして......
この最近 落ち着かず かと言って 仕事は待ったなし 従来通りこなしつつ
27年間溜まった ほとんどゴミに近いものを片付けたり.......
いやはや気の休まらない日をおくっています。
ただ 片付けたり整理したりしていると 思いがけないものが出てきたりして
それを眺めたりして また時間がどんどん過ぎてしまいます。
そんな中に 面白い写真がありました。
前回は NORIKO先生の夕張関連のお話でしたが
今から54年前の夕張炭坑の写真が出てきたのです。
こちら
これは私が小学校4年の時 社会科見学で夕張を訪れた折の集合写真です。
この中に10歳の私もいるんですねぇ......
1961年というと 夕張の最盛期で人口も11万7千人(現在は1万人を割る)
記憶では街を流れる川が真っ黒で 沢山の長屋が立ち並び 多くの人や車が行き交って賑やかだったのを覚えています。
前回の画像で 昔とは随分変わってしまったと驚きましたね。
(業務連絡 泰子ちゃん必要でしたら大判の写真 メールで送りますよ)
さて 今回もNORIKO先生の画像をお送りします。
沢山ありますので スライドショウにしてみました。
まず 大夕張鉄道 です。
当時の客車なんか 懐かしいです。
大夕張鉄道
画像に出てくる「オハ」「スハニ6」は客車を
「キI」は業務用貨車 ここではラッセル式雪かき車を示す記号だそうです。
客車の板張りの床の ワックスの臭いまで思い出す画像です。
「ここで興味深かったのは夏冬で定員が異なる事で
着膨れのせいか あるいは 冬の燃料消費量が多いからか 正解は解りません」先生談
次は美唄と北炭清水沢火力発電所
発電所は完全な廃墟になっています。
美唄もやはり閉山した炭鉱町として裏淋しい情景です。
美唄と北炭清水沢火力発電所
さて いかがでしたでしょうか。
「廃墟」と「遺跡」って どう違うんでしょうね。
廃墟と言われた長崎の「軍艦島」は遺跡として世界遺産になりましたが......
人々が生活した場所が打ち捨てられ 荒れ果てて 朽ちていく様子は
何らかのドラマを感じさせます。
そこに歴史としての価値が認められると遺跡になるのかもしれません。
どちらにしても
栄華と衰退の痕跡は 人間の喜びと悲しみを憶わせて 多くの人の心を引くんでしょうね 「夢の跡」として......
NORIKO先生 ありがとうございました。
次回は 出来たら引っ越しの前に 久し振りにお酒のアテのお話を と思っています。
(出来るかな...... 更新しないと来年になってしまう......)