春地蔵 泉福寺にて
セザンヌは新しい写真という表現技術の登場を意識しながら
これからの絵画はもっと独自の表現をめざして自立しなければ.....
そのためには再現ではなく再構成だ!
作家の「考え」や 対象に迫る「姿勢」を表現すべきだ!
と 考えたのではないか.......
この辺りから「難しい.....」が始まったんではないでしょうかね。
あるがまま 見たままに近い表現を楽しむのではなく
画家の「考え」を分析的に見なければならないのですから
ちょっと面倒くさくなってきました。
(残念ながら 画像を掲載出来ないので セザンヌの再構成された
一連の静物画や セント・ビクトワール山 水浴する女達など
教科書に載っていた写真を思い浮かべてみて下さい)
さらに私の独断漫談はつづきます。
Being aware of the photograph that innovated in the existing method of reproduction,
Cezanne might’ve thought
” The pictures in the future must have their different styles for their independence.
For that, Artists must do reconstruct not reproduce an object.
We should represent own thought or attitude toward an object…”
Thus, “ hard to understand “ has begun….
Not enjoying seeing a picture as it is, but analyzing artist’s thought…what a bother!
(Unfortunately, I can’t post his images. Please remember the photos in the old fine art
text book.. a series of Still Life, Mont Sainte-Victoire, Bathers and so on )
日本とは思えない我が家の庭も少しづつ春めいてきました