円空
(えんくう、1632年〜1695年)は、江戸時代前期の修験僧(廻国僧)・仏師・歌人。
各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫り仏像を残したことで知られる。
円空は一説に生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定され、現在までに
約5,300体以上の像が発見されている。円空仏は全国に所在し、北は北海道
南は三重県、奈良県までおよぶ。多くは寺社、個人所蔵がほとんどである。
その中でも岐阜県、愛知県をはじめとする各地には、円空の作品と伝えられる
木彫りの仏像が数多く残されている。北海道、東北に残るものは初期像が多く、
多作だが作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっている。
円空は、北海道でも広尾町・伊達市・寿都町の円空仏に記される「寛文六年」の
年号などから1666年35歳の時、北海道に渡って仏像を残したとされています。
北海道の円空仏は、観音坐像を中心に40数体が確認され、慈悲に満ちあふれ
微笑みをたたえるその表情から人々の心を和ませ信仰に導いたといわれています。〜
・・・というような人物ですが、大体人間加齢してくると円空に惹かれる。
わたしもまったくご多分に漏れません。
各地で円空仏を見てきたり、あるいは国立博物館の展示などで
たくさん見ておりますが、写真はわたしの撮影した有珠善光寺の「神棚」。
こちらの神棚はごくなにげに撮影したのですが、
善光寺というお寺なのに、こんなふうに神棚があって、
真ん中には般若の面が鎮座し、金ピカの仏像あり神鏡ありと豪華絢爛(笑)。
なぜ鬼の面が中央に鎮座しているのか、まことにフシギ。
これは「神棚」ではなく、神仏、魔界大集合というシルシなのかもしれない。
まことにキッチュな光景で、日本でしかあり得ない多神教の世界であります。
後述のような自然災害頻発で、宗派の違いを超え衆生救済に立ち上がったか。
江戸期の「神仏習合」のさまをまざまざと見せつけられる思い。
で、この左右に円空仏とおぼしき2体が鎮座されています。
左側の仏像の右隣の座像もそれっぽい。
円空が訪れたころの北海道・有珠は、1640年駒ヶ岳噴火津波、
1663年有珠山噴火など自然災害が頻発の頃とされている。
あるいは自ら志願して蝦夷ヶ島に渡り、自然災害に苦しむ人を助けたいという
かれとしての祈りをこめたのかもしれません。
コロナという現代の阿鼻叫喚のなかで、円空さんの仏たちの表情に
なにかつたわってくるモノがあるのではと、写真整理して見ました。