HAYASHI-NO-KO

雑草三昧、時々独り言

昔、鉄ちゃんがいました。私鉄編1

2004-12-15 | 番外編 鉄道など

中学時代に新聞を作っていた話。
神戸・大丸で土門拳の写真展を見た話。
高校に入って、写真部に入った話。
町の写真屋のオヤジさんに教えて貰った話。
『おもろい写真撮るなぁ~、そやけど狙い外れとる。子供に写真機意識させたらあかん。まだまだやなぁ~』
その言葉に励まされたのに、偉そうに写真展の常連が口走った一言、
『我流ばかりじゃ、賞は貰えないよ…』、その言葉がきっかけで、子供の写真も撮らなくなり、写真教室にも参加しなくなった話。

手持ち無沙汰に、暫くは風景ばかりを撮っていたけれど、いわゆる絵はがき写真には興味は無かった。
だから、被写体に鉄道が登場したけれど、殆ど今では撮らない。
それでも、自由奔放に暮らした高校時代のもう一つの趣味、思い出も多く
残念ながら、経年変化も手伝って、記憶同様色褪せてはいるけれど、印画紙画像をスキャナーで取り込み始めた。
ピンボケも混じっているし、構図など何処かへ飛んでしまっているけれど、
大袈裟に言えば青春の一時期、鉄道写真にのめり込んでいた証しには変わりない。
幾つかに分割されるだろうけれど、当面は、国鉄編と私鉄編に分割しておこうと思う。          


旧宇治電時代のポール車を改造した200形車両。
種車は単車だったから、二両連結されても車両間には貫通路は設置出来なかった。
連結面の運転台は撤去され、3扉改造はされていたけれど、15メートル車の悲哀。
とにかく横揺れと騒音、板張りの床は古色蒼然だった。
それでも、この車両が高校時代の通学時には、現役だった。
【追記】 最初、上の記述だった。 しかし、古いメモでは200形のうち、
200~211は確かに宇治川電気から山陽電鉄になってからの改造車だが、
種車は旧兵庫電軌1形・22形の更新車。
212~は山陽電鉄として初めての新造車となっている。
212(111)~214(113)の3両が昭和16年、
215(114)~224(123)が昭和18年、
225(124)~227(126)は兵庫電軌の6、30、33を種車として昭和19年に
228(127)、229(128)、230(131)は昭和20年に製造された。
旧番号129、130、132が飛んでいるのは、戦災を受け、そのまま廃車されたためである。
231~233は戦後に作られた切り妻形車両で、従来の半流線形とは異なった外観となった。


国鉄が高架化される以前、昭和36年からの3年間、
この駅から 緩やかな坂道を20分近く上がった先にある学校に通った。
林崎駅からの各駅停車は明石駅で特急の通過を待ち、次の人丸前に着く。
併走して走る国鉄は複々線、山陽は複線。
朝のラッシュ時には、かなりの本数の電車が走り、貨物列車も通り過ぎたから、
踏切で待たされることは始業に間に合う為には大きな問題だった。
だから、最初にこの駅の踏切を猛ダッシュで通り抜けるのが朝の日課になっていた。
二階建ての駅舎だったけれど、二階部分が何だったかは知らないし、
今はこの駅前広場も踏切も無くなって高架化されている。


山陽250形 1950年登場の新造車850形車体をベースにした15m車。
旧神姫電鉄系100形の電動部分、台車を流用した250形は2編成4両(250+251、252+253)が1951年i登場。
同様の更新で、254+255が1952年に登場した。
この256+257は1954年製造、先の3編成とは車長も17m車となり、
張り上げ屋根を採用された為に、外観は全く異なり、次の270系に引き継がれることになる。
(種車は107、1003)


山陽電車270系 270+271 272+273 274+275の三編成が作られた。
戦前型の改造車200系の増備として登場した車両群。
改造200系も、この270系登場の後にボディを新造、一部を流用した300系に再改造されている。
大蔵谷駅下りホームからの撮影。
国鉄山陽本線が併走する区間で、画像には旧型国電73系車両が中心の各停電車が写っている。


山陽電車270系+820系 
上り各駅停車 林崎駅西方 277(Mc)+823(Tc)+822(Mc)
820系は、2000系登場まで神戸・姫路間を疾走していた 山陽の代表的な高速車両。
二両固定の5編成が作られた。 二扉転換クロスシートは憧れだった。


山陽300系 302(Mc)+303(Mc)
旧200形の電装部分を流用し、車体のみ新造された300系。
基本は2連運用だったが、3000系登場の頃から2連x2の4連運用になった。
この画像はまだ2連運用当時のもの。


山陽電車700形 国鉄からの譲渡車
戦災で打撃を受けた私鉄への国鉄譲渡車は、 名古屋鉄道、近畿日本鉄道、
東武鉄道、東京急行(小田急線用)と、山陽電鉄5社で116両だった。
大手私鉄4社と並んで、山陽電車にも63800-63819の20両が譲渡された。
戦前の名車63形が、そのまま戦後の山陽電車線路を走った。


山陽電車700形 国鉄からの譲渡車両。
旧番号は、モハ63800-63819の20両
配属直後は形式の63をはずして800-819が使われていたが、後に形式は700形に改番された。
800+801(旧63800+63801)の形で偶数番号はクモハ、奇数番号はクハとして運用された。
この形式が入線直後、山陽として戦後初の新造車が生まれたが、車番は820からの追番となった。
通学時間帯の多くはこの車両だったから、食パンと呼んでいた。
さすがに20メートル車、4扉だったせいもあって、混雑緩和には役立っていたかも知れない。


山陽電車700系 旧700形の面影を残す改造車。
戦前製造の国鉄63形で、車体の老朽化が進んだために 一部の部品流用、車体を新造した702+709
その為、食パンとあだ名された外観はそのまま残っているし 4扉形式もそのまま引き継がれている。
この改造の後は、2700形として外観も異なったものになり
この一編成だけが旧国鉄の面影を伝えていた。
林崎駅下りホームからの画像。
この駅には、高校時代の朝の喧噪の記憶が残されて居る。
ただ、ホームの行き来は地下通路になってしまっている。


山陽電車820系 戦後登場の特急用車両。
国鉄譲渡車が、当初は800~819と採番されたために、 820から始まっている。
ドア間に転換クロスシートを採用した国内最初の私鉄車両。
後に、ロングシート化、前面貫通扉化された。
神戸方 278+820+821 姫路方


 山陽820系 826(Mc)+827(Tc)+287(Mc)
戦後登場の特急用車輛。
国鉄からの譲渡車63系は20メートル車だが、 新造された820形は17メートル車として登場した。
後年、前面貫通扉改造され三連運用となった。 須磨駅上り待避線に進入する上り各停。
 

山陽820系 252(Mc)+830(Mc)+831(Tc)
戦後登場の820系は、偶数車がMc、奇数車がTcで合計10両、5編成が作られた。
台車はボールドウィンタイプだったが、最後の830+831は、川崎車輛のOK-3形をはいた。
現在は二両固定編成で走ることはなく、250形などとの併結になっている。


 山陽850系 
戦後、特急用として新造された820系の後継車輛。
854(Mc)+855(Tc)は、完成の翌年に火災に遭ったため、 車体を新造したが、
2000系登場まで特急運用車として走り続けた。 昭和56年に廃車。


昭和32年登場の2000系第2編成。
2001+2002の第1編成はロングシートだったが、
第2編成以降、2010+2500+2011のステンレス1次までは転換クロスだった。
当初は二両固定で登場し、ステンレスカー増備の時に 中間車2500形式が作られ以降は三両編成としなった。
中間車を挟んだ、2003+2507+2002  垂水駅下りホームから。
後ろは、神戸で最大規模を誇っていた総合家電店の看板。


山陽電車2000系
830+831形に次いで登場した、特急・急行用車輛。
2009+2507+2008が基本編成だったが、一時期ステンレス車の2500を挟んで運用されたこともある。
3000系の登場以降は各停運用になった。
2000系の3編成は、3000系サハに改造され3550形として車体が流用され、
残った電装部品は3200系として使われた。


2000系ステンレス車両第一陣。
神戸方 2010+2500+2011 姫路方 正面部分が幾つか改造され、原型からはかなり違った印象になった。
前照灯形状、灯数変更(二灯化)、正面行き先表示装置設置。
従来の手差しの行き先板も使われていた。


山陽電車2000系アルミカー
5編成作られた2000系の増備は、 第一次増備として2010+2500+2011のステンレス・カー
第二次増備として2012+2505+2013 がアルミカーで登場した。
ステンレスカーに次いで登場したアルミカーは全国区にもなって、
鉄道ファンで作る団体から賞も受けている。


山陽電車2000系ステンレスカー
2000系増備車 昭和31年から5編成作られた2000系。
昭和35年には、第一次増備として2010+2500+2011のステンレスカー
昭和37年には、第二次増備として2012+2505+2013がアルミカーで、
この2014+2506+2015がステンレスカーとして登場した。
この三編成以降、2000系の新造は無く、3000系の登場後は
一部部品を流用した3200系に改造されている。
画像は、西新町駅西方から駅方面を望む。
線路の北側にあった広大な電車区はその後東二見に移転。
跡地には立派なマンションが建っている。 駅舎は無人化されてしまっている。


山陽電車2700形 神戸方 2701+2700+2708 姫路方 
国鉄譲渡車の広軌63形の改造車。
電装機器、DT-13台車、吊掛式MT-40(140kW)電動機x4基を積んでいた。
改造前は700形として、旧国鉄63形そのままの姿で走っていた。
山陽入線時は、国鉄時代の原番63800-63819の下3桁を流用して800形とされた為に
後年自社製造の800形(正式には820形と称されている)は、
その追番が振られて、 車両番号は820から始まっている。
直後の昭和24年に、旧800形は700形に改番されている。
700形の改造は2000形車両の新造車体に、700形の足回りを流用する形で進められた。 2700+2701は、西代車庫で消失した712+713を種車としたもので、昭和32年入線。
二扉転換クロスシートだった。
その後、順次改造されたが、2702以降は三扉ロングシート車となった。
この画像では改造当初の前照灯から、二灯シールドビーム化されて優しい顔になっている。 
その後、神戸高速開通後は、阪神・阪急に乗り入れる唯一の吊掛車だったが 3000系機器に変更し、2300系に改造されている。


山陽電車2700形 旧国鉄払い下げ63形の改造車700系の電気部品を流用した。
1次改造では702+709が製造された。
2次改造では2701+2700+2708が登場したがいずれも2扉。
3次改造以降、3扉化された。
2707+2706+2712は、種車の形式をそのまま引き継いだ Tc+Mc+Mc編成である。
明石側橋梁の西新町側からの画像で、後方は国鉄線路。
走っているのは、二段式電車寝台として昭和43年に登場した581系。


山陽電車2700形 旧国鉄払い下げ車両63型の広軌改造車700系を さらに改造した車両群。
部分改造程度だった702+709 二両固定編成とは違った改造となって、
2714+2704+2705の三両固定編成として運用されていた。
国鉄三ノ宮駅山側ホームから、阪急電車・六甲までの相互乗り入れ時代の画像。
阪急・三ノ宮駅は震災で壊滅したし、山陽・阪急の相互乗り入れも無くなっている。


山陽電車・明石駅 高架化前の明石駅。
下り待避線進入の山陽電車2700型 旧国鉄払い下げ車両63系改造車700型の再改造車両。 2705+2704+2714 後方は線路南に沿って、東仲ノ町商店街が続いていた。
工事中の建物は、人丸堂。
高架化でこの景色は無くなっているし、人丸堂も別の場所に移っている。
高架化後に周辺は再開発されて、商店街はなくなり総合テナントビル・アスピアが聳えている。


山陽電車3000系 高架化前の明石駅。
下りホーム西端から、公園前踏切方を望む。
3000系の登場は昭和44年。
国鉄は高架化されていたけれど、山陽側との境部分には まだまだ旧設備が残されていた。


山陽電車3000系 姫路←3607+3015+3014→神戸 原型タイプ。 
  行き先表示板の設置に伴い、車両番号は左手に移動された。
車両基地が整備された、東二見駅。
以前から、特急停車駅だったが古い駅舎のままになっていた。
車両基地が移転した後、駅舎も改築され橋上駅となった。


山陽電車3000系 
3000系最初の3000+3001+3500+3600と、
3002+3003+3501+3601の2編成は、アルミカーとして登場した。
完成当時、正面行先表示幕は無く、車番が中央部分にあった。
神戸高速鉄道経由の、阪急・阪神相互乗り入れに合わせて、順次改造された。


山陽電車3000系 3054+3055+3532+3632
増備が続く3000系は、一時期サハ不足で2000系改造3550形(3550-3558 9両)が組み込まれたり、
3600形が代用されたが順次3530形が製造された。


山陽電車3000系 
旧塗色(いわゆる山陽色と言われていた、黄と濃紺の組み合わせ)時代の3000系。
2000系以降、新造車の無かった山陽に登場。
最初の2編成はアルミカーとして登場している。
 2000系の部品流用で3050系も改造車として登場し、100両を越える所帯になったと聞く。
現在は、その後登場した5000系が運用の主流。


山陽電車60形
旧型車改造が多かった山陽だが、レールなどの長物輸送に使う目的で
昭和45年に新造された制御無蓋貨車、ボギー式長物車で 60・61の二両が作られた。
70形・80形のホッパー車も新造されている。
旧型の電動貨車(車番は1、3,5、6)と組んで運転される。

このアルバムはOCN「ブログ人」に収録していたアルバムから抜粋、再編成したもの。
ポジからのスキャン画像なので、不鮮明な画像も含まれている。
画像下のコメントは原文のまま、撮影順にはなっていない。
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昔、鉄ちゃんがいました 私鉄編 -1 -2 -3 -4 -5 -6

昔、鉄ちゃんがいました 国鉄編 -1 -2 -3 -4


【その後に纏めた画像】



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