HAYASHI-NO-KO

雑草三昧、時々独り言

KUCWV創部50周年

2024-06-30 | 【独り言】

▲ 舞子ビラから、明石海峡大橋を望む図 ▲

右端の建物(移情閣(舞子六角堂・孫文記念館*↓)は、橋の完成前は画面左端にあり、海岸トレーニングの場所だった。
(* 大正時代に神戸で活躍した華僑の貿易商、呉錦堂が建てた別荘「松海別荘」の一部 六角堂と呼ばれているが実際には正八角形の三階建)

 


KUCWV 50年もの遠い昔に誕生した山仲間のクラブ
神戸商科大学ワンダーフォーゲル部。
その創部50周年記念の集まりが神戸で開催された。
今は、兵庫県立大学・神戸学園都市キャン パス ワンダーフォーゲル部の名前に改編・改称されているけれど、OB54名、現役14名(52期になる)が集った。
昭和39年当時入部した私たちは、創立8期生、
同期の仲間たちは、総勢12名で8名が宮城・東京からも参加した。
前後の回生には既に物故者もいるけれど、8期は全員元気だし
少しばかりの病気と仲良くしている。
ここ数年は、毎年の同期会を欠かさないし、学生時代ほどには体力は失せてはいても、弁舌は殆ど変わらない。



四回生当時の新人・一回生辺りまでしか面識はない。
話を繋ぎ合わせると、何日山に入っていたのか解からない程だったことがわかる。
昔話はやはり中央アルプス全山縦走と、前年の黒部湖を挟んだ秋合宿に尽きた。
それぞれの社会生活にも、時折は「なせば成る」の気力が役に立って来た筈だ。
体育会系の上下関係は、時には激しい対立もあったけれど、
それにも耐える気力、長期合宿の完遂にかけた滾りだけは、
今以って記憶の端に鮮明に焼き付いている。

会場に使った舞子ビラのすぐ下の道は、舞子の海から歌敷山を経由して、
学舎のあった高丸丘に続くトレーニング・コース。
今は、海岸も埋め立てられて遠くなり、眼の前に明石海峡大橋が架かっている。
気の遠くなるような時間が経ってしまってはいても、
山に記した足跡と一つ一つの断片は鮮明だった。

 
▲ 創部50年記念の折、8期として参加した面々  右は恒例になっている8期一泊例会 神谷の幹事で浜松に20080518 集まった。▲

▲ 45年前、山に憧れて山に入った仲間 創部15年蓼科・横岳 1973.09 
この古い画像に写っている内の7名は、今も春・秋に月二度程度、一緒に低山歩きしている。
打田(10期)、前田(9期)、渡辺(7期)、中谷(8期)、林(8期)、山本(15期)、名倉(11期)▲

 




【ブログサービス廃止で画像はリンク切れの為に後年追加した】
   三回生の秋(昭和42年)、黒部湖を挟んだ合宿の折に使った5万図
ルートは、富山側から電車・バスを乗り継ぎ美女平からケーブル、そこから室堂まではバス。
室堂から歩き始め、雷鳥荘裏の沢を渡って、ジグザクの雷鳥坂を詰め剣御前小屋まで登り
一旦劔沢に下って剣山荘小屋前で幕営。
翌日は剱岳往復で剣山荘小屋前でもう一晩幕営。
三日目は新雪の中を別山、真砂岳、立山三山(富士の折立・大汝山・雄山)を踏んで一の越に下り
予定ではそこで幕営だったけれど、稜線を東一の越まで歩いてタンボ平に下って幕営。
翌日、黒四ダムまで。
この当時使っていた地図では劔の標高は3003m、黒部ダムは地図上には反映されていない。
もちろんだけれど、立山・黒部アルペンルートなどと言う環境破壊はどこにもない。
劔から立山三山を歩き、一の越に下って、途中の東一の越からタンボ平でテント(赤丸印)を張った。
既にアルペンルートの工事が始まっていたから、発破の音が響いていた。

この年の夏合宿は、今でも【無謀な中央アルプス全山縦走】として語り継がれている。
記憶を基に書いた「ロマンチストの独り言-17」に詳しい。

  OCNブログ人 2008-10-19 20:44:51

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