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検証(慰安婦問題) -第279号-

2016年01月12日 18時32分46秒 | ニュース
従軍慰安婦問題を私なりに考えてみた

いろんなデータを紹介します

韓国の従軍慰安婦として有名な「黄錦周(ファン・クムジュ)さん」は、公演するたびに、証言がコロコロと変わり、信憑性が感じられない。
あちらこちらで証言した内容は
(1)生活は貧しく、12歳のときに100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって満州に連行され従軍慰安婦となった
(2)17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき、私は労働者として徴用されたのだと思いました
(3)私は19歳で、学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ
(4)満18歳になったある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました
(5)村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした
(6)14歳のとき、いわゆる「少女出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった

こんな証言で反日マスコミは、このような発言者に飛びついて記事を書き嘘を拡散する傾向がある

「従軍慰安婦」と聞くと、かわいそうな人たちをイメージする方も多いのですが、戦争中は慰安行為(性的なサービス)によって収入を得る女性が多く存在しました。通称「慰安婦」と呼ばれる人たちです。
「文玉珠(ムン・オクス)さん」という従軍慰安婦の女性は、平成4年に日本の郵便局を訪れ、26,145円(当時の金額)の預金返還の訴訟を起こしています。千円もあれば故郷の大邱(テグ)に小さな家が一軒買えると体験記で述べていますが、現在の価値なら、4000万~5000万円程度の金額を、彼女が従軍慰安婦であった約3年間で貯めこんでいたことが分かります
また、ナヌムの家に住む従軍慰安婦「李容珠(イ・ヨンス)さん」の証言は、1944年、「16歳の時に台湾に強制連行され、従軍慰安婦としての生活を3年間強制された」と証言。しかし、日本軍は敗戦により台湾からいなくなった後も、現地で2年間ほど働いていたことになる。このことを指摘されると、慰安婦であった期間を「3年間→1年間」へと、ひそかに修正したのであった

慰安婦問題を利用する韓国は、「日本が韓国人女性20万人を性奴隷にしてきた」といったウソを海外で発信し、アメリカで石碑を6箇所建てています
これがどうして嘘と思われるかというと、その時のその町の人口は10万人よりいなかったことです

こんなこともありました
日本の高校生が韓国への修学旅行に行った時には、教師が指示をだし慰安婦の前で「土下座」をさせられました。一番の被害者は、なにも知らずに生まれてくる日本の子供たちかも知れません。ですから、首相はエスカレートする韓国に対し早期決着を図りたかったと思います

ちょっと違う話題になりますが、最近の日本の事件の中で、韓国人による事件が終戦後どれだけあるのか検索してみました
①在日韓国人、金平和容疑者「大阪女性キャリーバッグ暴行事件」
②韓国人、金允植(キム・ユンシク)容疑者「大阪主婦80人暴行事件」
③在日朝鮮人、金寿明「生野区女性20人連続暴行事件」
④在日韓国人、徐一(ソ・イル)「ミナミ女子高生連続暴行事件」
「目白通り沿い連続婦女暴行事件」、「フジテレビ社員成りすまし連続暴行事件」、「聖神中央教会連続少女暴行事件」ほかに110件がヒットしました
その他、中国人の他、外国人による事件は、Wikipedia:ウィキペディアで検索してみてください

近年、外国旅行者が多いことは周知のとおりであるが、観光地で大きな声で会話している人を見ると、ほとんどが中国人、韓国人です。喧嘩してるような声、人を恫喝しているのではないかと思われる、強い口調

こんな姿や口調を本気にすれば、USAの州議会をも”本当”だと思ってしまうかもしれません
コメント
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