北側の入口でしょうか?
この階段、このブログの2015-08-15の記事『マルグッタ街51番地 (Via Margutta51)』の
オードリー・ヘップバーンの歩いていた階段みたいな感じが、少しするような?しないよ
うな?
グランドレベルは各住戸の物置かトランクスペースになっていて、最初のフロアーの床の
高さが半階くらい持ち上げられていて、キャンパスの中なのに、それなりにプライバシー
に配慮されていたような気がします。(すいません。手許に当時の建築雑誌とかの資料も
プランも何もなくて、記憶だけで書いています、、。)
こんな通路あったかな?
各住戸はそれほど面積が広くないはずで、(いま見ると周囲はずいぶん空いていているん
ですけど、、、)、どこかの住戸のLDKだかDKのキッチンセットの近くのど真ん中
に、そんなに太くない柱があって、当時はビックリもしたし、『邪魔じゃないのかなぁ
ー?』と思ったりしもたのですが、今の自分の感覚だと『柱の横に食卓テーブル置いたり
して、こじんまりと住めていいかも!』って感じです。(当時としても柱が細いのは、外
観の写真を見ても判ると思うのですが、この建物、ラーメン構造に壁構造が混ざっている
のか、柱の間隔が狭くて本数が多いのか、最上階の階段の上に跨っているフロアーが、
構造的にどう載っているのか、Googleの地図の航空写真からも読み切れません、、、。)
この建物、このブログの2014-09-28の記事『建築教育』の中で書いた、『ある程度の広さ
の敷地でアプローチや入り口りの位置を正しく決められない設計士や建築家?はゴマンと
いる、、、。正しい入り口の全体の敷地の中での位置、正しいアプローチの仕方が見つか
ったら、その設計の半分は終わったようなもの、、、。これが難しいの、、、、。』や、
『なんでもかんでも、ただ拡げればいいってもんじゃない。建築でも、庭などの外部空間
と、室内などの内部空間との、ある限られた敷地の広さなどの条件の中でのバランスを探
し出すのが、どれほど難しい事か、判って欲しい、、、。』と書いたことのお手本のよう
な設計なんですね、、、。
1970年の竣工当時は、敷地の中も外も植栽など無きに等しかったのですが、今は桜の花が
咲くんです。
おしまい