北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

旧ルーテル神学大学職員住宅 その2

2018-02-12 12:07:56 | 日記




北側の入口でしょうか?












この階段、このブログの2015-08-15の記事『マルグッタ街51番地 (Via Margutta51)』の

オードリー・ヘップバーンの歩いていた階段みたいな感じが、少しするような?しないよ

うな?













グランドレベルは各住戸の物置かトランクスペースになっていて、最初のフロアーの床の

高さが半階くらい持ち上げられていて、キャンパスの中なのに、それなりにプライバシー

に配慮されていたような気がします。(すいません。手許に当時の建築雑誌とかの資料も

プランも何もなくて、記憶だけで書いています、、。)













こんな通路あったかな?












各住戸はそれほど面積が広くないはずで、(いま見ると周囲はずいぶん空いていているん

ですけど、、、)、どこかの住戸のLDKだかDKのキッチンセットの近くのど真ん中

に、そんなに太くない柱があって、当時はビックリもしたし、『邪魔じゃないのかなぁ

ー?』と思ったりしもたのですが、今の自分の感覚だと『柱の横に食卓テーブル置いたり

して、こじんまりと住めていいかも!』って感じです。(当時としても柱が細いのは、外

観の写真を見ても判ると思うのですが、この建物、ラーメン構造に壁構造が混ざっている

のか、柱の間隔が狭くて本数が多いのか、最上階の階段の上に跨っているフロアーが、

構造的にどう載っているのか、Googleの地図の航空写真からも読み切れません、、、。)






この建物、このブログの2014-09-28の記事『建築教育』の中で書いた、『ある程度の広さ

の敷地でアプローチや入り口りの位置を正しく決められない設計士や建築家?はゴマンと

いる、、、。正しい入り口の全体の敷地の中での位置、正しいアプローチの仕方が見つか

ったら、その設計の半分は終わったようなもの、、、。これが難しいの、、、、。』や、

『なんでもかんでも、ただ拡げればいいってもんじゃない。建築でも、庭などの外部空間

と、室内などの内部空間との、ある限られた敷地の広さなどの条件の中でのバランスを探

し出すのが、どれほど難しい事か、判って欲しい、、、。』と書いたことのお手本のよう

な設計なんですね、、、。








1970年の竣工当時は、敷地の中も外も植栽など無きに等しかったのですが、今は桜の花が

咲くんです。









                                おしまい
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旧ルーテル神学大学職員住宅 その1

2018-02-11 15:32:47 | 日記




このブログの2015-03-21の記事『虎杖浜の夢 その参』で、夢の中に現れた久保純子さん

が実際に結婚式を挙げた、東京は三鷹のルーテル神学大学(今は学院大学)の1970年に竣工

した時の航空写真です。左がJR三鷹駅で中央線ですから北、右は東八道路(昔はなかった)

と深大寺・多磨霊園で南。結婚式を挙げたチャペルは中央やや左上の建物です。








画面右上、敷地の南端に建っているのが『旧ルーテル神学大学職員住宅』です。ところが

この記事を書くまで、僕はこの建物はとっくの昔に取り壊されたものだとばかり思ってい

たのです、、、。(2016-08-19の記事『フィン・ユール邸』では、建っていない子供部屋

を建っていたと勘違いしていましたし、メチャクチャですね。)












大学の案内図に『研究棟・ルター研究所』という別の名前が書いてあったので、『キャン

パスは狭いし、職員の人達だってキャンパスの敷地の中の社宅みたいなところじゃ住んで

いても気を使うだけだろうし、だいいち都内ならいくらでも通勤できるし、研究所の新し

い建物を作るために仕方なく壊しちゃったのかな?』と勘違いしていたのです。




ですが、今回この記事を書くためにいろいろと画像を探してみたり、航空写真をチェック

してみたりしたらば、どうやらこの建物は、まだまだ現役で建っているみたいなんです。











『職員住宅』だったのを、そのまま『ルター研究所』に転用してくれているみたいなの

です。ちなみに『ルーテル神学大学』の『『ルーテル』は、『マルティン・ルター』の

『ルター』のことと思います。





北側でしょうか?











西側でしょうか?











僕は、2014-12-03の記事の高知の沢田マンション(沢マン)を知るまでは、この職員住宅

を、日本に建っている集合住宅とか共同住宅の中では一番良くて、これなら日本中、北か

ら南まで、どこにでも建って良いと思っていました。


(でも1970年当時、東の東京・三鷹で村野先生がこの職員住宅を作っていた同じ時に、

西の高知の薊野(あぞうの)では、素人の沢田夫妻が自分達で重機を動かして、自分達の

マンションの基礎を掘り始めていたんですね、、、。)






                  旧ルーテル神学大学職員住宅 その2 につづく






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