調べていましたら、金谷玲子さんと言う研究者の方の、2008年3月の
『民家の変容に関する実証的研究-山口市・防府市域の中門造りの成立と継承-』
と言う論文を見つけてしまいました。PDFです。山口大学に提出した博士論文のようで、
280ページに及ぶ長大なものです、、。クリックしてみて下さい。
http://petit.lib.yamaguchi-u.ac.jp/G0000006y2j2/metadata/DT0710036
フルテキストURLのDT07100361.pdfをクリックして下さい。
金谷さんの論文によると、西日本にも「中門造り」と呼ばれる民家は、多数あり、山口
市・防府市の周辺以外にも、兵庫県丹波篠山のツノヤ中門建、島根県簸川平野のウシロヤ
中門、広島・島根県境芸北・石見地方の木納屋中門、高知県土佐郡の民家など、「中門」
と名前に付くものでもかなりあり、名前に「中門」となくても「出っ張り」の形状が同じ
「鍵屋」と呼ばれる民家は九州地方の北部に良く見られるとの事なのです。「中門造り」
は東北地方の日本海側だけではなかったのです、、、。(全然、知りませんでした、、。)
まだまだ、つづきます、、、。
追記 「まだまだ、つづきます」と書いたのですが、続いてなくて申し訳ない、、、。
中門造りの分布は、松本清張の『砂の器』みたいでミステリアスな気がしない
でもないのですが、、、。
福島県南会津町(旧舘岩村)前沢地区の曲屋中門造り民家の集落です。
ストリートビューは手前の橋までです、、、。
追記の追記 インターネットの『まいどなニュース』2021/04/21 配信の森岡 浩さんの記事。
古代の律令制では、朝廷に雅楽寮(ががくりょう)という役所があった。治部省に
属し、雅楽・楽人などのことをつかさどり、歌舞を教習した。この雅楽寮を「うた
りょう」ともいい、その長官は雅楽頭で「うたのかみ」という。
平安時代以降は次第にすたれ、大歌所 (おおうたどころ) と楽所 (がくしょ) が
その機能を代行していたが、「雅楽頭」という役職名は長く使われた。
徳川家譜代の重臣である酒井家には2つの流れがあり、片方を雅楽頭家、もう片方
を左衛門尉家という。この雅楽頭家という名称は当主が雅楽頭を名乗ったからだ。
また、幕末の長州藩家老には長井雅楽(ながい・うた)という人物がいるなど、
「雅楽」と書いて「うた」と読むのは当時は常識だったようだ。
福島県の会津地方には「歌川」という名字が多い。その一部が分家して際に漢字を
変え、「うた」の部分に「雅楽」という漢字をあてたものだろう。現在はとくに
西会津町に集中している。(文中『分家して際に』は。そのまま、、、。)
読むと唸ってしまう、、、。『とくに西会津町に集中している』って、どのあたり
なんだろう、、、。僕が知っているのは、ルーベン オリバレスと死闘を演じた、元
プロボクシング東洋太平洋フェザー級チャンピオンの歌川善介さん、、、。
『民家の変容に関する実証的研究-山口市・防府市域の中門造りの成立と継承-』
と言う論文を見つけてしまいました。PDFです。山口大学に提出した博士論文のようで、
280ページに及ぶ長大なものです、、。クリックしてみて下さい。
http://petit.lib.yamaguchi-u.ac.jp/G0000006y2j2/metadata/DT0710036
フルテキストURLのDT07100361.pdfをクリックして下さい。
金谷さんの論文によると、西日本にも「中門造り」と呼ばれる民家は、多数あり、山口
市・防府市の周辺以外にも、兵庫県丹波篠山のツノヤ中門建、島根県簸川平野のウシロヤ
中門、広島・島根県境芸北・石見地方の木納屋中門、高知県土佐郡の民家など、「中門」
と名前に付くものでもかなりあり、名前に「中門」となくても「出っ張り」の形状が同じ
「鍵屋」と呼ばれる民家は九州地方の北部に良く見られるとの事なのです。「中門造り」
は東北地方の日本海側だけではなかったのです、、、。(全然、知りませんでした、、。)
まだまだ、つづきます、、、。
追記 「まだまだ、つづきます」と書いたのですが、続いてなくて申し訳ない、、、。
中門造りの分布は、松本清張の『砂の器』みたいでミステリアスな気がしない
でもないのですが、、、。
福島県南会津町(旧舘岩村)前沢地区の曲屋中門造り民家の集落です。
ストリートビューは手前の橋までです、、、。
追記の追記 インターネットの『まいどなニュース』2021/04/21 配信の森岡 浩さんの記事。
古代の律令制では、朝廷に雅楽寮(ががくりょう)という役所があった。治部省に
属し、雅楽・楽人などのことをつかさどり、歌舞を教習した。この雅楽寮を「うた
りょう」ともいい、その長官は雅楽頭で「うたのかみ」という。
平安時代以降は次第にすたれ、大歌所 (おおうたどころ) と楽所 (がくしょ) が
その機能を代行していたが、「雅楽頭」という役職名は長く使われた。
徳川家譜代の重臣である酒井家には2つの流れがあり、片方を雅楽頭家、もう片方
を左衛門尉家という。この雅楽頭家という名称は当主が雅楽頭を名乗ったからだ。
また、幕末の長州藩家老には長井雅楽(ながい・うた)という人物がいるなど、
「雅楽」と書いて「うた」と読むのは当時は常識だったようだ。
福島県の会津地方には「歌川」という名字が多い。その一部が分家して際に漢字を
変え、「うた」の部分に「雅楽」という漢字をあてたものだろう。現在はとくに
西会津町に集中している。(文中『分家して際に』は。そのまま、、、。)
読むと唸ってしまう、、、。『とくに西会津町に集中している』って、どのあたり
なんだろう、、、。僕が知っているのは、ルーベン オリバレスと死闘を演じた、元
プロボクシング東洋太平洋フェザー級チャンピオンの歌川善介さん、、、。