北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

「洗濯おばさん」と「電柱おじさん」

2015-06-28 20:57:21 | 日記
僕は、どちらもお見かけしたことはないのですが、昔、函館には「洗濯おばさん」と「電柱

おじさん」と呼ばれていた、女の人と男の人が居たのです。「洗濯おばさん」は豊川町など

のある函館山の麓の人で、「電柱おじさん」は、僕がいま住んでいる地元の湯川町方面に居

たらしいのです。


「洗濯おばさん」は、毎日、こうもり傘と風呂敷包みを持っていて、豊川町の岸壁の近くに

現れては、公共?の水道の蛇口で洗濯をしては、幾分かの小遣い銭を誰からか貰って生活

していたらしいのです。函館の街の中に、このおばさんに洗濯を頼んでくれる人がいたの

でしょうね、、。春夏秋は良いとしても、氷点下になる冬はどうしていたんでしょうか?

どうやら「洗濯おばさん」は住むところもなかったようなのです、、。青函連絡船の頃は、

駅の待合室が24時間、暖房が効いて開いていましたから、そこにいたのかも知れません。

でも洗濯物はどうやって干していたのやら、、、。今の函館駅は深夜の2時過ぎくらいに

なると閉めてしまいますし、待合コーナー?の木製ベンチの上面には、ゴロンと横になれ

ないように、大きなイボイボの木の塊が並んでいるのです、、、。


「電柱おじさん」のことは良く判りません。湯倉神社のある湯の川の交差点の辺りを歩いて

いて、電柱にぶつかると「ごめんなさい」と謝りながら歩いていたおじさんが居たらしいの

です。なんだか哲学者の西田幾多郎さんみたいです、、、。


でもfoolでない人間なんて、この世にいるのでしょうか?

誰でもみんなfoolなのでは?


「酔いどれ船」に乗せてアフリカか何処かに連れて行ってしまうなんて乱暴な事、いつから

始めてしまったんでしょうか、、、? (この頃は、逆に、アフリカからヨーロッパに向か

う船がアドリア海で難破したり火災を起したりしているようですが、何世紀の話なんでし

ょうか、、、?)


子供の頃は、フェリーニの映画「道」を見ても、何が何だか判らず、鋼球の網の中をオート

バイがグルグル廻っているくらいにしか、頭の中に残らなかったのですが、

















最近は、なんだかとても涙脆くなってしまっているんです、、、。



追記  foolであるかfoolでないかなんて、人間が勝手に線引きしているだけで、その

    線引きの位置も、時代によって違うのかも知れないのです、、、。


追記の追記  すいません。「鋼球の網の中をオートバイがグルグル廻っている」の映画

       は、別の映画のようです、、、。








追記の追記の追記




LA LA LAND “Audition (The Fools Who Dream)”







(セリフ)

わたしの叔母がかつてパリに住んでいたわ

今でも覚えているの うちによく来て話してくれた

海外での生活についてと

川に飛び込んだ話もしてくれたっけ

裸足で 

彼女は微笑んだ



(歌)

彼女は微笑んで 周りも見ずに跳んで

そしてセーヌ川に倒れこんだ!

水は氷のように冷たく

彼女は一か月風邪をひいたそうだけど

同じ状況だったらもう1度やるだろうと言いました


夢見る者たちに乾杯

馬鹿げてる人たちの心に乾杯

傷ついた心たちに 混乱に乾杯

私たちが作った混乱に


彼女は感情をとらえた

天井のない空

フレームの中の日没


彼女はアルコールの中で生き

炎のゆらぎとともに死んだ

そのフレームを私はずっと覚えているでしょう


夢見る者たちに乾杯

馬鹿げてる人たちの心に乾杯

傷ついた心たちに 混乱に乾杯

私たちが作った混乱に


彼女は私に言った

少しの狂気が鍵なのだと

私たちに新しい色を見せるには

それが私たちをどこに連れていくかなんて

誰がわかるだろう?

そしてそれが彼らが私たちを必要とする理由なのでしょう

だから 反逆者を引き出そう

小石から生まれるさざなみ

画家 詩人 そして芝居から生まれるさざなみ


夢見る馬鹿者たちに乾杯

狂っていると見えるだろう馬鹿者たちに

壊れた心たちに乾杯

私たちが引き起こした混乱に乾杯


私はあの日に思い出す

彼女 雪 そして砂

微笑みながら 彼女は言った

同じ状況だったら もう1度やるだろうと





















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中村さん

2015-06-27 22:42:26 | 日記
このブログの『森根さん』の中の、『卒業はしたのですが、鳩の街の設計事務所の就職に

失敗して、横浜で一年間の歩掛かり調査のアルバイト』の、横浜での話です、、、。

「歩掛かり」(ぶがかり)と言うのは、役所の公共工事の工事費を積算する時の、土を1m3掘

るのに何mの深さなら何人工かかるかとか、軽量鋼矢板を何枚をどのくらいの深さに何m打

ち込むなら何人工かかるかとかの、元のデータになる数字の事です。「歩掛かり調査」は、

そのデータを採るために朝から現場に貼り付いて、野帳のようなノートにせっせと記録を

するのです、、、。そのアルバイトの土木コンサルタントの会社は、横浜に支社を出した

ばかりで、場所は今の関内のスターバックスが1階に入っているビルの5階で、夜になる

と横浜スタジアムのベイスターズ戦の試合がチラッとタダで観戦出来るのでした、、、。

立ち上げたばかりの支社ですから、本社から何人もの人を出す訳にも行かなかったのでし

ょう、全部で5人のうち本社の人は3人で、残り2人は関連会社からの出向組でした。

そのひとりが、中村さんだったのです、、、。(当時は「派遣社員」などという言葉さえな

かったのです。もうひとりはKさんと言って、能登半島の輪島の出身で、僕のいた一年弱

の間に、養子先の漆器店を継ぐ事になって輪島に帰りました、、、。)

中村さんは、当時40代半ば過ぎくらいで独身のようでした。本社の社員と出向組の間には

深くて暗いかどうかも判らない「溝」らしきものがあって、社員旅行でも何かギクシャクし

た「諦め」のような感じもありました、、、。女性のいない、男ばかりの支社でしたが、週

末になると、本社の3人と出向組の2人とアルバイトの僕で、関内から横浜のあちこちに

飲みに出ました、、、。出向組は2人ともお酒が好きで、2軒目とか3軒目になると本社

の3人とは別れて、アルバイトの僕を引張り回すのでした、、、。中村さんは、酔うとす

ぐに正体をなくして、酔いつぶれるまで飲み続けるタイプでした。(アルバイトの僕はい

くら飲んでも余程飲まない限りは、何故か酔ったりはしないのです、、、。)

中村さんは名前も中村でしたけど、借りていたアパートも中村川の中村町で、ある時、も

う帰ろうと言うことになって伊勢崎町から中村川の橋を渡ったら、「小山君、もう1軒!」

となって、中村さんは、僕が初めての店に入っていくのです、、、。そこは居酒屋なのに

御蕎麦屋さんのような造りで、「居抜き」のような感じの店でした。入ってみると、深夜も

深夜、もうすぐ朝になるという時間なのに、客でいっぱいでした、、、。ところが何か、

様子が変なのです、、、。客の中に「ドラッグクィーン」のようなオバサンの女性客が何人

か混ざっているのです、、、。









暗い店ならいざ知らず、もとが蕎麦屋か何かの店で照明もそのままなので、明るい場所で

「ドラッグクィーン」のような化粧のままなんです。(写真はあえて白黒を選びました。)

どうやら自分達の店(どんな種類の店なんだろう、、?)が終わった後、なじみのお客さん

か店の関係者と流れてきたようなのです。(こう言うのも「アフター」って言うんでしょう

か、、、?) 何だか「ディープな横浜」を見せられたなと思っていたら、中村さん、まだ

もう1軒行くと言うのです。その店は、中村川沿いの小さな、「焼肉屋らしからぬ焼肉屋」

でした、、、。

これも焼肉屋なのに小料理屋みたいな造りで、やはり「居抜き」の店だったのかも知れませ

ん、違うのは焼肉の「タレ」が「ごま油に塩」で、(それまで僕は、焼肉を「ごま油に塩」で食

べた事はありませんでした。) 一人だけいた先客が、カラオケでいままでテレビでは聞

いた事もないような北島三郎の不思議な演歌を、何曲も歌い続けている事でした、、、。

(いま思い出すと、大映か東映のその筋の映画専用の主題歌か何かだったような、、、。

でも、そんな曲の8トラックのカラオケテープを置いてある「焼肉屋」ってのも、どうなん

でしょうね、、、?)

中村さんは、もうへべれけで、日本酒をチビチビやっているのです。もう正体はありませ

ん、、、。それでも支払いをすませて店を出ようとしたら、突然、その北島演歌の客が、

中村さんにからんできたのです。店の前の中村川の道で、酔った中村さんはいきなり膝蹴

りを喰らいました。うずくまる中村さんを見て、僕は中村川沿いを走って逃げました。

中村さんがボコボコにされる音が聞こえました、、、。しばらくして戻ると、中村さんは

「うるせぇっ!」って感じのヨレヨレで、アスファルトの上でへたり込んでいました、、。



それからも、支社に顔を出すと、中村さんは赤い顔して、鼻の頭とか「おでこ」とか頬に

「すり傷」を作って出社して来ている事が、何度もありました、、、。


今でも、中村川の辺りは「ディープな横浜」のイメージが強くて、何だか恐いんです、、。



写真は本文と関係ありませんが、

「ヨコハマメリー」さんです。





僕は、お見かけした事ありません、、、。
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米倉三貴さん

2015-06-27 05:54:51 | 日記
もう、どなたに紹介されたかも思い出せないのですが、建築パースの下書きのアルバイト

をしていた時期がありました。その「ア-キテクチュラル・レンダラ-」が米倉三貴さんで

した。(今は建築パースを描く人を、そう呼ぶらしい、、、。)

米倉さんの仕事場は下北沢で、駅から商店街を抜けたグレーの瀟洒なマンションでした。

お手伝いしたのは、マンション、オフィスビルなどが多かったのですが、かなり敷地の広

いリゾート施設の鳥瞰パースなどもありました。米倉さん自身は建築ではなく絵画が専門

の方で、僕が渡された建築の平図面や立面図からパースの下書きを、厚手のトレーシング

ペーパー(確かゲートウェイ)に起こすと、米倉さんがそれを絵の具の良くのる用紙にトレ

ースして(どうやってトレースしていたかは判りません、、。)彩色して仕上げるのです。

流石に絵画の方なので、図面ばかり書いている僕らより、はっきり言って全然上手です、

敵いません、、、。


でも、学生時代は苦手だったパースが、彩色は別として、少なくとも起すのは苦でなくな

りました。このブログの「若書きの図面」の何枚かのパースも、その時のおかげです。人間

必要にせまられてでも、やれば何とかなるものなんですね、、、。



検索してみたら、米倉さんの「本業」の絵を何枚か見つけました、、、。(便利ですね。)











(米倉さん、勝手に載せてスミマセン、、、。)



僕は、パースの時の色より絵の色の方が、ずーっと好きです。(当たり前か、、、。)

米倉さんのお母様も絵を描かれる方で、JR中央線で甲府に向かう途中の塩山のあたりから

車窓に見える岩肌の多い山(名前は判りません、、、。)の絵を何枚も描かれていました。

一度、確か渋谷の画廊で「母娘展」をされて、お邪魔した記憶があります。


でも、今はコンピューターでパースもCADの時代だから、下図を起すアルバイトがあると

しても、手では起さないんでしょうね、、、。僕は米倉さんに、ある設計事務所に勤めて

みないかと紹介されて、下図のアルバイトを大学の後輩に引き継いでもらったのですが、

その後輩は米倉さんから、「小山さんは視点の位置や角度や構図が上手で、パースを彩色

して仕上げると、出来上がりが良かった、、、。」と言われた、と言うのです。(つまり、

残念ながら紹介した後輩は、少なくともパースの起しは得意ではなかったようで、、、

すいませんでした、、、。)僕は、建物から視点までの距離をなるべく長くしたかったの

で、部屋の隅から隅まで糸を渡して、小さいけれどもバランスの良い下図を作って、さら

に手作業で拡大して、手間ひまかけて下図を起していたのです、、、。



追記  でも一度だけ、デベロッパーか何かからの直接の注文なのか、米倉さんにオフィ

    スビルの外観をデザインし直してパースを描いてくれ、と言う注文があったみた

    いで、米倉さん、僕に外観を変更して下図を起して、と言うのです、、、。僕、

    やりましたけど、中にはこんな注文する人もいるんですねぇー、、、。



追記の追記  米倉さんのお母さんの描いていた甲州塩山の山は、この岩殿山だと思った

       のですが、違ったかな、、、?


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洲嵜晴彦さん

2015-06-25 10:31:10 | 日記
その会社は東銀座から勝鬨橋を渡って左側のビルにあった。たしか「日本グラフィックマ

ップ」という名前の会社で、社長さんが洲嵜晴彦さん、ヒゲを生やしていました、、、。

やっぱりアルバイトで、「グラフィックマップ」なる各地のアイソメタリック鳥瞰図のため

の下図を描く仕事でした。銀座、札幌、横浜、名古屋、、、洲嵜さんの会社の方が現地で

撮って来た写真を元に、同じ縮尺、同じ指定された角度でアイソメタリックの下図を、一

つ一つのビルや建物ごとに起すのです。今みたいにコンピューターやCADなどない時代で

すから全部手作業、人海戦術でした。




これは僕も、いくつかのビルの下図を描いた銀座ですが、

大きい写真は見つかりませんでした、、、。



その時、参考にアメリカのこんな鳥瞰図も見せてもらった

ような記憶があります、、、。




それでも洲嵜さんは、一度元図を作ってしまえば、何年か毎に、建て替えられた建物だけ

新しい建物に直せば改訂版も出せて商売になるし、都市の記録としての意味もあると考え

ているようでした、、、。


洲嵜さんは、人をまとめたり乗せたりするのが上手なプロデューサー的な面もあり、一度

僕が、たまたま、どこかのテレビ塔の下図を描いたら(めんどくさいから、あんまりみん

なやりたがらない、、、?) 「テレビ塔は、小山君にやってもらおう!」という事になって

しまい、札幌のテレビ塔、名古屋のテレビ塔、横浜のマリンタワー、神戸のポートタワー

などなど、どれも僕が下図を起したような、、、。(東京タワーと通天閣を起したかどう

か、思い出せない、、、。)それでも普通のビルが500円~2000円くらいだったのが、

テレビ塔は8000円くらい頂いたような、、、。


今なら、何処かの誰かの学生さんが、スカイツリーの下図を、誰かに煽てられて起したり

しているのかな? 


札幌テレビ塔

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瀬戸山肇さん

2015-06-24 23:24:44 | 日記

いろいろな設計事務所に顔を出しましたが、人間的に最も尊敬できる方でした。名前のと

おり鹿児島出身で、奥様も野生の馬のいる都井岬の出身でした。三里塚闘争の時の反対派

の櫓の構造計算をしたという武勇伝をお持ちで、芝浦工大の沖種郎さんの弟子筋との事で

した。事務所は門前仲町から、だいぶ歩いて永代橋の袂に近いところで、下町です、、。

アルバイトでお手伝いしたのは、サウジアラビアの低層コンドミニアムで、黒川紀章事務

所から類設計に出た図面の下請けの下請けみたいな仕事で、単価もそれはそれは酷いもの

でした。何をどうしたいのか、何がどうなるのかサッパリ解らないのに、何度手直しして

もA2一枚8000円で、それでも瀬戸山さんはニコニコしながら、当時、新橋にあった類設計

にアルバイトの僕と打ち合わせに行くのです、、、。「こんなに優秀で人柄も良いのに、

どうしてなんだろう?」 まだ若かった僕には不思議でなりませんでした、、、。直接注文

の設計の仕事が入ったと思ったら、千葉県の五井の駅の近くの栗田工業と言う水の会社の

鉄骨の工場で、瀬戸山さんはご自分で構造計算もされるのですが、Cチャンの胴縁に大波

スレートを専用金具で取り付ける部分の「重ね」の長さからCチャンのピッチをどう割り出

すかを、アルバイトの僕に教えてくれるのです、、、。「世の中って、なんて理不尽なん

だろう?」と思うけど、瀬戸山さんは愚痴めいたことなんて言いません、息子さんが近くの

商船大に入ったんだよってニコニコしているんです、、、。格好つけるでもなく、えばる

でもなく、たまに門前仲町から少し木場寄りの安いスナックに連れて行ってくれて、人生

にフラフラしている僕を心配してくれるのです、、、。「若い頃は三里塚の闘士だったん

だろうか?」 でも目の前の瀬戸山さんを見ていると、「そんなはずないよなぁー、たまたま

構造計算を手伝っただけなんじゃないのかなぁー」と思ってしまうのです。函館に一人で

来てしまった僕を、「東京に戻って、瀬戸山研究所で働かないか?」と、心配して手紙をく

れたのも瀬戸山さんだけでした。どうしてこんなに良い人に良い仕事が来ないのか、建築

の世界は理不尽そのものでした、、、。それでも瀬戸山さんは、いつもニコニコしていた

んです、、、。


追記  鉄骨造の場合、柱脚のアンカーボルトの詰めモルタルの、施工の順序や、方法や

    材質の重要性を、アルバイトの僕に教えてくれたのも瀬戸山さんでした、、、。


追記の追記  瀬戸山さん、どの櫓の構造計算したんだろう?



                                        







今となっては、もう判りません、、、。 でも、前にも書きましたけど、僕は今まで一度

も成田の飛行場は、見送りにも見学にも行った事はなく、上手く行けば、このまま一生、

行かなくてすみそうです。と言っても、なんの主義主張がある訳でも何でもなくて、たま

たま、そうなってしまっているだけなんですけど、、、。 

 

 

追記 一番下の鉄塔は『横堀鉄塔』という鉄塔で、今でも下の半分が立っているみたいです。

 

   

 

  

   大間原発・あさこハウス    『仏が浦』を見たあと国道338号線を走って、入り口まで行きました。            

 

   

 

   国道338号線の『鹿島宿舎( 大間町)』の『鹿』の字のところから広い道を入って

   途中から狭い道がグルっと廻り込むように、○○の敷地のすぐ横まで、行き止まりで

   つながっています、、、。

 

 

 

 

 

        

 

 

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