おじさん」と呼ばれていた、女の人と男の人が居たのです。「洗濯おばさん」は豊川町など
のある函館山の麓の人で、「電柱おじさん」は、僕がいま住んでいる地元の湯川町方面に居
たらしいのです。
「洗濯おばさん」は、毎日、こうもり傘と風呂敷包みを持っていて、豊川町の岸壁の近くに
現れては、公共?の水道の蛇口で洗濯をしては、幾分かの小遣い銭を誰からか貰って生活
していたらしいのです。函館の街の中に、このおばさんに洗濯を頼んでくれる人がいたの
でしょうね、、。春夏秋は良いとしても、氷点下になる冬はどうしていたんでしょうか?
どうやら「洗濯おばさん」は住むところもなかったようなのです、、。青函連絡船の頃は、
駅の待合室が24時間、暖房が効いて開いていましたから、そこにいたのかも知れません。
でも洗濯物はどうやって干していたのやら、、、。今の函館駅は深夜の2時過ぎくらいに
なると閉めてしまいますし、待合コーナー?の木製ベンチの上面には、ゴロンと横になれ
ないように、大きなイボイボの木の塊が並んでいるのです、、、。
「電柱おじさん」のことは良く判りません。湯倉神社のある湯の川の交差点の辺りを歩いて
いて、電柱にぶつかると「ごめんなさい」と謝りながら歩いていたおじさんが居たらしいの
です。なんだか哲学者の西田幾多郎さんみたいです、、、。
でもfoolでない人間なんて、この世にいるのでしょうか?
誰でもみんなfoolなのでは?
「酔いどれ船」に乗せてアフリカか何処かに連れて行ってしまうなんて乱暴な事、いつから
始めてしまったんでしょうか、、、? (この頃は、逆に、アフリカからヨーロッパに向か
う船がアドリア海で難破したり火災を起したりしているようですが、何世紀の話なんでし
ょうか、、、?)
子供の頃は、フェリーニの映画「道」を見ても、何が何だか判らず、鋼球の網の中をオート
バイがグルグル廻っているくらいにしか、頭の中に残らなかったのですが、
最近は、なんだかとても涙脆くなってしまっているんです、、、。
追記 foolであるかfoolでないかなんて、人間が勝手に線引きしているだけで、その
線引きの位置も、時代によって違うのかも知れないのです、、、。
追記の追記 すいません。「鋼球の網の中をオートバイがグルグル廻っている」の映画
は、別の映画のようです、、、。
追記の追記の追記
LA LA LAND “Audition (The Fools Who Dream)”
(セリフ)
わたしの叔母がかつてパリに住んでいたわ
今でも覚えているの うちによく来て話してくれた
海外での生活についてと
川に飛び込んだ話もしてくれたっけ
裸足で
彼女は微笑んだ
(歌)
彼女は微笑んで 周りも見ずに跳んで
そしてセーヌ川に倒れこんだ!
水は氷のように冷たく
彼女は一か月風邪をひいたそうだけど
同じ状況だったらもう1度やるだろうと言いました
夢見る者たちに乾杯
馬鹿げてる人たちの心に乾杯
傷ついた心たちに 混乱に乾杯
私たちが作った混乱に
彼女は感情をとらえた
天井のない空
フレームの中の日没
彼女はアルコールの中で生き
炎のゆらぎとともに死んだ
そのフレームを私はずっと覚えているでしょう
夢見る者たちに乾杯
馬鹿げてる人たちの心に乾杯
傷ついた心たちに 混乱に乾杯
私たちが作った混乱に
彼女は私に言った
少しの狂気が鍵なのだと
私たちに新しい色を見せるには
それが私たちをどこに連れていくかなんて
誰がわかるだろう?
そしてそれが彼らが私たちを必要とする理由なのでしょう
だから 反逆者を引き出そう
小石から生まれるさざなみ
画家 詩人 そして芝居から生まれるさざなみ
夢見る馬鹿者たちに乾杯
狂っていると見えるだろう馬鹿者たちに
壊れた心たちに乾杯
私たちが引き起こした混乱に乾杯
私はあの日に思い出す
彼女 雪 そして砂
微笑みながら 彼女は言った
同じ状況だったら もう1度やるだろうと