北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

Kond( Կոնդ )

2022-11-05 20:42:00 | 日記

 

Kond( Կոնդ ) は、アルメニア語で『長い丘』という意味らしい、、、。

アルメニア の首都 エレバン  Yerevan  の 古い街区。

 

 

 

 

 

 

真ん中の ゴチャゴチャ したところが  Kond( Կոնդ ) 

 

 

 

 

 

              Google  Map   ストリート・ビューはありません

 

 

 

 

 

18世紀の エレバン  Yerevan  の地図。Kond の右下に Citadel( 砦 )とありますが、

今は日本大使館もある、ビジネス・センターなのか ?  どうなのか、、、?

 

 

 

 

   Citadel( 砦 )と言うと、このブログの記事『قه‌ڵای هه‌ولێر 』を 思い出します。 どちらかと

   言うと、Kond( Կոնդ )の方が  Citadel( 砦 )って感じがするんですけど、、、。

 

         

 

 

 

       アルメニア の首都 エレバン  Yerevan  の 1920年 ? の地図。

 

             

 

      上の地図と南北を合わせるために、90° 左に回転させてます。上が北。

      左上の 川の近くの ゴチャゴチャ したところが Kond( Կոնդ )

 

 

 

アルメニア版 つげ義春 の世界

 

 

 

 

まるで、このブログの『 産屋坂 (おびやざか) 』みたいだ、、、。

 

 

 

 

 

                33′50″もある長い動画ですけど、、、

 

 

 

 

                                               やっぱり 25′33″ もあって、長いですけど、、、。でも、こちらは現地のアルメニア在住の、

                Hirokiジャンさん という日本人の方の撮影なので、機材の選択が良いのか、建物の上の方、

                空まで映っています。

 

 

 

 

 

                この 変電設備塔 ? が見つからない、、、。

 

                

 

 

 

                1909年の  Kond( Կոնդ )

 

                

 

 

 

                     追記 いちばん最初に『 変電設備塔 ? 』が出て来ます。

                     

 

     

                                     

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クチャク村の教会 と 聖ヴァルダン マミコニアンの霊廟 その2

2022-11-03 20:34:10 | 日記

 

右下の赤い印が、聖ヴァルダン マミコニアンの霊廟   the Mausoleum of St. Vardan Mamikonyan 

 

 

 

 

なんだか、石は、とてつもなく大きいのに、、、屋根はず いぶんと簡単なつくり、、、。

 

 

 

 

 

長い動画ですが、8′00″ あたりから 9′30″ くらいまで、この 霊廟 が出て来ます。

 

 

 

                   聖ヴァルダン マミコニアンは、 451 年の アヴァラーの戦い

                   で、アルメニア軍を率いて、サーサーン朝ペルシア軍を破り、

                   キリスト教国のアルメニアを守ったアルメニアの英雄

 

                   

 

 

 

中に入るときは、帽子を取って十字を切ります、、、

 

 

 

内部の様子( たぶん )

 

 

 

 

でも、最近、北海道でもよく見る色のカラー鋼板で、覆われてしまったみたいなんです、、、

 

 

 

 

 

屋根は何色のカラー鋼板でも良かったんですけど、妻壁の仕上げは、せめて

大波スレートか竪板張りで、扉は木製とかでは ダメだったんでしょうか、、、?

 

 

 

 

農業ボランティアの アルメニア女子大生 ?

 

 

 

 

 

小田原の 川崎長太郎さんの『小屋』みたいで、いいなぁーと思っていたので、残念 、、、

 

 

 

                                                                                                   Kond( Կոնդ )につづきます

 

 

 

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クチャク村の教会 と 聖ヴァルダン マミコニアンの霊廟 その1

2022-11-02 14:01:23 | 日記

 

アルメニアの首都 エレバン の 北45kmくらい、ハガルツィン  Հաղարծին  修道院から

南西に直線距離で55kmくらいのところに、アパラン湖と言う、胃下垂になった胃袋が

伸び切ってしまったような不思議な形の湖( もしかして人造湖 ? )があって、その西岸

の クチャク Kuchak という小さな 村に、村の 教会があるんです、、、。

( クチャク Kuchak 村は、地図の黄色の線で囲まれているところ。湖の東岸の赤い印は、

後で出てくる、聖ヴァルダン マミコニアン の霊廟  St. Vardan Mamikonyan Mausoleum 

のある湖岸です。)

 

 

 

 

 

                村長さんなのか、議員さん達なのか、、、何の集まりなのか、良く判らない、、、

 

 

 

 

クチャク村の教会   札幌軟石(凝灰岩)みたいだ、、、。

 

 

 

 

なんだか、敷地の中の 塀 と 建物 の納まり具合が、、、? ? ? アルメニアの教会建築は

東を背に、西向きに建てるのが大原則 ? ( 真ん中の赤い屋根 )

 

 

 

 

 

内部の小屋組みの木造架構、、、石ばっかり見ていたから、日本人には安心して見られる、、、。

 

 

 

 

    入り口の方向を見た小屋組み、、、野地板は『小間返し』で日本建築と同じ、、、?

 

             

 

 

 

丸太の柱の頭に『肘木( ひじき )』みたいのがあって、簡略 なれども 簡素 で良し、、、。

 

 

 

 

同じ木造と言っても、日本の大工さんは、あまりにも技術が優秀過ぎて、こんなに綺麗に作っちゃいます、、、。

 

 

                  港区は東京タワーの下、飯倉交差点の近くの  聖オルバン教会  です。

                  設計は  アントニー・レーモンド

 

 

 

 

                                                              クチャク村の教会 と 聖ヴァルダン マミコニャンの霊廟 その2につづきます

 

 

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ハガルツィン Հաղարծին 修道院 の 食堂 その5

2022-11-02 11:32:13 | 日記

 

ただ、この『 連続 正方 井桁アーチ構造 』Crossing-Arches Vaults は、かなり難しかった

構造のようで、、、

 

 

これは ハガルツィン Հաղարծին 修道院 から 北に25kmくらい、ジョージア国境近くの

かなり山の中の  Deghdznut Monastery 修道院という、修道院の遺構なのですが、、、

 

 

 

 

夏場なら、何がなんだか、さっぱり判らない、、、

 

 

 

 

井桁アーチのアーチ部分( Rib Vault  リブ・ヴォールト )の『骨』を残して、他の部分は

崩れ落ちてしまっています、、、。ヴォールト状 の 天井面の石材 は、想像していたよりも

はるかに薄く、まるで『膜 』のようで、 Catalan Vault  カタラン・ヴォールト(注)みたい

です、、、。

 

 

 

                                               ( 注)の Catalan Vault  カタラン(カタロニアン)・ヴォールト

 

 

 

 

 

 

なにかの事情で、修道院が放棄されて、何のメンテナンスも行われなくなり、木造下地の

瓦屋根が雨漏りを起こして、落下した雨漏りの水が、その下の ヴォールト状 の 天井面の

石材の目地に浸み込み、冬場に凍結融解を繰り返して、崩壊したのか、、、

 

 

 

 

それとも地震か何かで、一気に崩壊したのか 、、、

 

 

 

 

でも、こういうのを見ると、このブログの記事の『 金枝篇 』で紹介した、この話を思い出して

しまうんです、、、。

 

    
    J・G・フレイザー と言えば「金枝篇」なのですが、、、、その中でいやな物語を

    読んだ記憶があります。東欧のアルバニアだかどこだかの「建築家に影を売る男」

    の話です。「金枝篇」自体は、王権交代の時の「王様殺しの話」かな?と思って

    読んだのですが(それも、放っておけば病気で死ぬのに、わざわざ殺すみたいな、、

    、)、建築家と呼ばれる人も、何かの事情で殺されるのは嫌ですから (どうしても、

    そういうことが起こるんでしょうね、、、商売柄なんとなく判るんです、、、)

    身代わりになって殺される「影」を、お金で買うし、その「影」を売るのを商売に

    する男がいた、と言う話です。日本で言えば築城の時の「人柱」みたいな話なの

    ですが、読んだ時に嫌な気持ちになったのを覚えています。

 

 

当時、アルメニア人の 建築家は、かなり優秀で、小アジア から バルカン半島、中近東、

コーカサス地方までの、かなりの広い範囲で活躍していたらしくて、イスタンブールの

アヤ・ソフィア Hagia・Sophia は、山川の世界史の教科書では、設計したのはギリシャ

人のイシドールって事になっているんですけど、建設途中に技術的な問題や 地震や 戦争

で何度も崩壊したらしくて、最終的に現在の姿のドームを 994年 に完成させた、Trdat と

いう建築家の人は、アルメニア人の 建築家 だったようなんです、、、。

 

 

 

 

10世紀の、アルメニア人の 建築家 Trdat ( トルダット ? )さん

 

    

 

 

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