またまた文字ばっかりで、暗い話が長くなってしまったので、休憩を入れます。
広島世界平和記念聖堂『幟(のぼり)町カトリック教会』は村野藤吾さんが1954年、
62歳のときに設計された教会です。このブログは私の小中学校や高校の同級生の方々
などの建築設計畑ではない方々にも、お知らせして読んで頂いていますので、どのよう
な建物かといいますと、、、、
JR広島駅から南西に500メートルくらいの幟(のぼり)町というところに建っています。私
は広島に行くと申し訳ないのですが、Tさん設計の広島ピース何とかとか、Kさん設計の
○○美術館などには足が向かず、いつもこの建物だけ見て帰ってきてしまいます、、、。
村野藤吾さんは亡くなる前年1983年、92歳の時に、この建物の中で講演会をされて
います。
最晩年の村野先生は他の講演でも、マルクスの「資本論」の「生産と消費」にふれて、建築の
場合の「流通している素材」や「その時代に可能な技術」などと「実際の設計」との関係と、
先生が白内障の手術をされた経験から、「眼科医の医学としての学問」と「街の眼鏡屋さん
の最終的にものや文字が良く見えるようにする手わざ」との関係について話されているよ
うです。それも相変わらず謙遜されていて、「設計の工夫や手わざ」の割合は3割くらいと
おっしゃっているように思います。(それでも「村野が設計したからこうなったは1%」より
はだいぶ増えています、、、。)
聞き手はやはり、俳優の長谷川博己(ひろき)さんのお父さんの長谷川尭さん。村野先生の
隣に座っている村野・森建築事務所の構造担当の前川さんという方、いかにも良さそうな
方ですねぇー、、、。施工を担当した清水建設の、菊地さんや岡崎さんのような方の現場
監督さんには、私は今まで一度も仕事で出会ったことがありません、、、。
村野藤吾さんは佐賀県唐津市生まれで、北九州はおそらく小倉で育ったとの事なのですが
、どのような幼年時代、少年時代を過ごされたのでしょうか、、、、?
追記 この建物、広島の大田川の中洲の上に建っているのに、杭が打ってありません。
鐘楼の高さは45メートルもあるのにです。当時、早稲田大学の構造の先生をされ
ていた内藤多仲さんの研究室の南和夫さんが考案した筒形基礎理論なる理論によ
る基礎工法で、60年たっても大丈夫です。横浜の鴨居の某マンションとか、一
体どうなっているんでしょうかねぇー、、、、?
追記の追記 一般の読者の方のために、、、。村野先生は、マルクス主義者でもなけれ
ば共産党員でもなかった方のはずです。(たぶん) 最晩年に天理教の信者
さんだったのが、カトリックの受洗をされていたと思います。(つまり、
天理教の信者さんだったのに、この世界平和記念聖堂を設計したのです。
あり得ないことです。でも、素晴らしいです。)違っていたらばごめんな
さい、、、。