北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その9

2015-10-25 11:57:17 | 日記
『ぼくは12歳―岡真史詩集』は作家の高史明さんと奥さんの岡百合子さんが、1976年

にまとめた息子さんの本。その中の一片です。




   ちっこい家


  ぼくは

  でっかあ~い家より

  ちっこ~い家の方が

  スキだ

  しょうじやガラス

  たたみなどに

  なんとなく

  人間のアイが

  人じょうが

  こもっている

  でっかい家の

  こおりのような

  つめたさがない……




僕も大きい家より小さい家の方が好きです。大きい家は設計するのも大変です。一度、開

業医の先生のご自宅を設計させて頂いたのですが、最初に「僕は貧乏な設計士で、良い暮

らしをしたことのない人間ですが、それでもよろしいですか?」とお聞きしてから設計にと

りかかったのですが、やはり最後は大変でした。洗面所に髭剃りのための拡大鏡がないと

いうのです。東京のホテル・オークラには附いていたと、、、。でも、僕はホテル・オー

クラなんて、もちろん泊まった事はないんです、、、。(虎杖浜の1泊500円に泊まろ

うとして、下駄箱のロッカーの50円に、あーだの、こーだの、の人間なんです、、。)


僕が高校生の頃、中兄の本棚には何故か、『二十歳の原点』、『青春の墓標』、『わがい

のち月明に燃ゆ』、『海軍主計大尉小泉信吉』などの本が並んでおり、僕が買ったのは

『ぼくは12歳―岡真史詩集』だけでした。でも僕が親なら、子供の本棚にこんな本ばかり

並び始めたら、ギョッとして考え込んでしまいそうです、、、。




               
       「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その10 につづきます、、、。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その8

2015-10-24 16:14:08 | 日記
さて、大変申し訳ないのですが、話はますます暗くなります、、、。1964年の東京

オリンピック男子マラソンで銅メダルになった円谷幸吉さんは、4年後の1968年に

なくなります。その時の遺書の全文なのですが、長くはないので書き写してみます。


   
   父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうござ  

   いました。

   敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。

   勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。

   巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。

   喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありが

   とうございました。

   幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味

   しうございました。

   正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。

   幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、

   良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、

   光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、

   幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、

   立派な人になってください。

   父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。

   何卒 お許し下さい。

   気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。

   幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。



円谷選手は現在の福島県須賀川市の出身です。私の母方の祖父は福島県との県境に近い

宮城県県南の角田市の花島というところの出身なのですが、須賀川市とは同じ阿武隈川沿

いです。今思うと祖父はかなり福島なまりにちかい東北弁だったように思います。私の母

の世代までの東北人は、家に大事なお客さんが来ると「鯉料理」を出すのです。戦前までの

東北地方の海から離れた内陸では、それが特別な料理だったのかも知れません。「とろろ

料理」もよく食卓に出て、料理といってもすり鉢で自然薯(じねんじょ)をすって、煮干の

だしの濃い目の味噌汁で、すり鉢の中で少しずつ、「すりこぎ」で混ぜるのです。(最初は

本当にすこしずつ混ぜないと分離してしまう。)そして、それを麦飯などのご飯にかけて

食べるのです。「とろろ」ご飯の時は、何故かいつも鮭の切り身でした。


円谷選手が、「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました」と書いている、「とろろ」

は、料理屋さんなどで出てくる小鉢の醤油をかけて食べる「とろろ」ではなくて東北式の、

麦飯にかける味噌汁の「とろろ」ではなかったのでしょうか?




           「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その9 につづきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

休憩 広島世界平和記念聖堂 『幟(のぼり)町カトリック教会』

2015-10-19 10:04:31 | 日記

またまた文字ばっかりで、暗い話が長くなってしまったので、休憩を入れます。

広島世界平和記念聖堂『幟(のぼり)町カトリック教会』は村野藤吾さんが1954年、

62歳のときに設計された教会です。このブログは私の小中学校や高校の同級生の方々

などの建築設計畑ではない方々にも、お知らせして読んで頂いていますので、どのよう

な建物かといいますと、、、、





 

 

 

 

 



JR広島駅から南西に500メートルくらいの幟(のぼり)町というところに建っています。私

は広島に行くと申し訳ないのですが、Tさん設計の広島ピース何とかとか、Kさん設計の

○○美術館などには足が向かず、いつもこの建物だけ見て帰ってきてしまいます、、、。



村野藤吾さんは亡くなる前年1983年、92歳の時に、この建物の中で講演会をされて

います。




















最晩年の村野先生は他の講演でも、マルクスの「資本論」の「生産と消費」にふれて、建築の

場合の「流通している素材」や「その時代に可能な技術」などと「実際の設計」との関係と、

先生が白内障の手術をされた経験から、「眼科医の医学としての学問」と「街の眼鏡屋さん

の最終的にものや文字が良く見えるようにする手わざ」との関係について話されているよ

うです。それも相変わらず謙遜されていて、「設計の工夫や手わざ」の割合は3割くらいと

おっしゃっているように思います。(それでも「村野が設計したからこうなったは1%」より

はだいぶ増えています、、、。)


聞き手はやはり、俳優の長谷川博己(ひろき)さんのお父さんの長谷川尭さん。村野先生の

隣に座っている村野・森建築事務所の構造担当の前川さんという方、いかにも良さそうな

方ですねぇー、、、。施工を担当した清水建設の、菊地さんや岡崎さんのような方の現場

監督さんには、私は今まで一度も仕事で出会ったことがありません、、、。


村野藤吾さんは佐賀県唐津市生まれで、北九州はおそらく小倉で育ったとの事なのですが

、どのような幼年時代、少年時代を過ごされたのでしょうか、、、、?




追記  この建物、広島の大田川の中洲の上に建っているのに、杭が打ってありません。

    鐘楼の高さは45メートルもあるのにです。当時、早稲田大学の構造の先生をされ

    ていた内藤多仲さんの研究室の南和夫さんが考案した筒形基礎理論なる理論によ

    る基礎工法で、60年たっても大丈夫です。横浜の鴨居の某マンションとか、一

    体どうなっているんでしょうかねぇー、、、、?



追記の追記  一般の読者の方のために、、、。村野先生は、マルクス主義者でもなけれ

       ば共産党員でもなかった方のはずです。(たぶん) 最晩年に天理教の信者

       さんだったのが、カトリックの受洗をされていたと思います。(つまり、

       天理教の信者さんだったのに、この世界平和記念聖堂を設計したのです。

       あり得ないことです。でも、素晴らしいです。)違っていたらばごめんな

       さい、、、。













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その7 

2015-10-07 21:47:46 | 日記

  四


  私は不幸な家庭の子供の種類をここに漏れなく列挙することはできない。離婚した

 親をもつ子供、多くのそしてあの忌まわしい名で呼ばれている「私生児」(チェーホフ

 の『小波瀾』、ジードの『贋金作り』、ロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー

 家の人々』はそれらの子供を取り扱った小説作品として我々の興味を呼ぶ。)-----

これらの子供が人生の門出において早くも経験する悲しみや苦悩の数々を多少でも

 その深度において測ることのできる者は、子供の自殺数の意外に多いのに驚くよりも

 、むしろ逆にその意外に少ないのに驚かねばならぬであろう。あらゆる悲しみや不幸

 の感情のぎりぎりの極限にいつも死の願望のあることは、たといその死の観念が両者

 の間において内容がいかに違っていても、大人と子供とにかわりはないはずである。

 自殺を思わなかった人間というものが存在するなら、それはよくよく恵まれた人間で

 あると人は考えてよいだろう。


  しかし子供の生活環境は家庭だけには限られていない。子供は早くから社会に触れ

 、特に学校社会は最も重大な生活場面、従ってまた不幸な悲劇の舞台でもある。(「私

 生児」の悲劇は家庭悲劇であるよりも大抵はむしろ社会悲劇である。)かくて子供の自

 殺の問題の考察も、この生活部面を閑却しては、その一面的であることを免れないで

 あろう。学者が「学校児童の自殺」という名前で呼んでいるものが、ここでは省察の中

 心になってくるのである。

  ところでこの問題を研究した学者たちの殆ど一致した見解によれば、学校児童の自

 殺の最大の原因は、威嚇、虐待または処罰の期待だということである。詳しくいえば

 、いわゆる上流社会では、虚栄心の蹂躙、例えば落第による不名誉と白眼視、そして

 下流階級にあっては主として処罰の恐怖という風に分けて見ているものもある。オッ

 トー・リューレの『プロレタリアの子供』は、例えば一八八三年のプロシアの官庁統

 計に拠りながら、その年の八十八人の子供の自殺者のうち、二人が打擲のない上流学

 校の通学生で、六十八人が体刑の恐怖のあまり死に奔った普通の児童であることを指

 摘し、なお学校を「怠けた」ために窓から飛び降りて死んだ児童の例を七件挙げている

 ある学者や、三十五件の学校児童の自殺のうちその十二件が打擲やその恐怖を原因と

 していることを確かめた他の学者を援用している。そしてリューレはここからして貧

 困な無産者の家庭がその子供の教育にとって、いかにあらゆる点で不利な敵対的な状

 態にあるかを論じ、かかる冷酷な「愛なき」社会環境がどのような社会組織の産物であ

 るかに人々の注意を喚起しているのだ。

  だが、私の考えではここでは愛と共に子供の自由についても語らねばならぬのでは

 なかろうか。子供ほど自由を欲し、そして拘束を嫌がるものはない。しかるに社会は

 一つの拘束と制圧との体系である。そして広義の教育というものも元来社会に適した

 一定の情感的、知的、道徳的状態を、まだ社会生活に未熟な若い世代に植えつけるこ

 とをその任務としているから、それは必ずある程度まで拘束的組織とならざるを得な

 い。このことは子供をして、彼が本来もっている生活衝動、即ち幸福を求めんとする

 意志と、教え込まれた既成観念と、つまり自由と抑圧との板挟みに押しやり、彼らに

 何らかの内心の葛藤を作り出すことを意味する。教育から形成される「良心」と自然に

 与えられている「人間性」との争闘は、すべての子供がその児童期において多少とも深

 刻に経験する生活悲劇である。そしてこの闘いに破れたものは、つまり、その両者の

 一定の平衡を得ることのできなかったものは早くも生活敗残者となって、その一部は

 自らの命を絶つの道をとるに至るのである。つまり、私のいうのは、「良心」の過剰は

 子供の劣等感、罪悪感を深めて、彼をして絶えざる自責と自己嫌悪に陥らしめると共

 に、また「人間性」の過剰は子供を自然児、「不良児」、またはいわゆる「怠惰な子供」

 (そんなものは本当は存在しないのだが)にして社会と道徳的拘束の監視人とから彼を

 白眼視されるようにせしめ、そのいずれも内心に深い自己矛盾を感ぜしめ、子供を

 「病的」にしてしまうのである。子供における自由と拘束の配分問題はむずかしい問題

 には違いないが、現代の社会と教育とが余りに多くの無益にして有害な禁止と抑圧と

 の体系の重荷によって、子供の自由を圧し潰していることだけはいわねばならぬ。い

 わゆる試験地獄だけでも子供の自殺志願者を養成するには必要にして十分なる条件で

 あるといえるであろう。


  子供はなぜ自殺するか。-----という問いに対して、愛と自由とのない世界をこん

 な風に指示しただけでは少しも答えになっていないと咎められそうだ。だが、人が

 なぜ自殺するかは、あの聡明な自殺者である芥川竜之介にさえよくわかっていなかっ

 たのである。彼はまた自殺の動機と呼ばれているものは大抵はその動機に至る道程を

 示しているにすぎないともその『遺書』のなかに書いている。子供の世界は本当を言

 えばまだ我々には十分にわかっていない。いわんや子供の自殺をや。----私の書いた

 ことが、ただそのいわゆる道程のありそうな場所のごく粗末な地図にすぎなかったこ

 とは、私自身が一番よく承知している。



      後記 これはある有名な作家たちを両親にもつ一少女の自殺未遂が新聞で

         報道されたときに書かされた時事的文章である。




長かったのですが、これで林達夫さんの『子供はなぜ自殺するか』の全文です、、、。 





         「喪われた悲哀」と「愛されない能力」 その8 につづきます、、、。   


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする