北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム ) その12

2022-01-15 16:31:19 | 日記

 

モン=サン=ミシェル( Mont-Saint-Michel)の、Grand Ryu ( 大通り)の様子

 

 

ほとんど、江ノ島・金比羅さま状態、、、。このブログの『津嶋神社』とは大違いだ、、、。

 

 

今回この記事を書いていたら、

mère

moniale

sœur  

fraternitè  monastère     

moinesse

とか出てきて、その違いが良くわからない、、、。

 

辞書を引くと

mère                               修道女の尊称                      ( mèreは『母』)

moniale                      盛式誓願の修道女

sœur                        助修女 ; 単式誓願の修道女   (sœurは『姉』、『妹』または『姉妹』 )

fraternitè  monastère    修道院のお友達 ?                   ( fraternitè は『姉妹愛 』? または『同胞 』? )

moinesse                        『あの尼め!』の『尼』? 

 

『盛式』とか『単式』とか言われると、ますます判らない、、、。

 

 

聖堂の掃除をしてくれている、このお二人は fraternitè  monastère なのかも知れない、、、。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Grand Degrè『 大階段』を歩いている、聖堂の掃除をしていた fraternitè  monastère(?) の方

観光客にも大人気で、気さくに話しをして、このあと聖堂の地下の掃除用具室(?)に入ります。

 

 

 

パリで医師をしていた、シスター  クレア・アナエル さんは、sœur( 助修女)のようなのです、、、。

 

 

             

僕が高校3年の現役で受験したときに、前の席で受験していた若い修道女の子は、sœur ( 助修女 )

だったんだろうか ?  それとも fraternitè  monastère ( 見習いの修道女 ? )だったんだろうか、、、?

それにしても、この記事を書いている間に、東大農学部の横の歩道で事件があったり、丸亀の警察に

大阪の女子大生が母親と一緒に出頭したりと、、、一体全体、何がどうなっているんだか、、、?

 

 

                                       おしまい

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム ) その11

2022-01-10 13:57:34 | 日記

 

西洋と東洋で離れていますし、200年くらい後の人ですが、日本にも  Guglielmo da Volpiano

( ヴォルピアーノの聖ウィリアム )さんのようの宗教者がいました。平安末期の勧進僧の

『重源さん』( 1121年ー1206年 )です。(日本建築史の授業で、伊藤要太郎先生が親しみを

込めて『重源さん』と呼んでいたので、ここでもそう書きました。)

 

 

 

 

兵庫県小野市の神戸電鉄栗生線小野駅から、3kmくらい北東の、舌状の丘陵の先端に

建っている、国宝の浄土寺浄土堂です。(東向きに建っていて、西を背にしています。)

 

 

 

 

 

 

 

重源さんは、若い頃に中国の南部の福建省のあたりに留学していて、当地の建築工法の勉強も

したらしく、帰国後に『通し貫』を多用して木造架構を丈夫にする『大仏様』(または『天竺様』)

の建物を作っており、東大寺の南大門(これも国宝)も作っています。

 

 

東大寺南大門     下から見上げたところ

 

 

柱に穴をあけて、柱と柱を水平につないで

いる何本もの水平材が『通し貫』

 

 

下山真司筑波大学名誉教授の『建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える』というブログに

浄土堂が紹介されています。

 

 

 

 

この断面図には書き込まれていませんが、真ん中に天井まで届きそうなくらい大きい

阿弥陀三尊像があります。

 

 

山口県防府市の三田尻の山陽新幹線の線路の北側に、重源さんの作った 周防国阿弥陀寺 と言う

お寺があります。重源さんは、ここを拠点に佐波川(さばがわ)上流の木材を、三田尻港から

奈良まで、瀬戸内海を船で運んでいたんでしょうか ?

 

 

三田尻から30kmくらい上流の、徳地という所にある重源上人像、 木材の上に立っています。

 

 

 

 

右上に阿弥陀寺、真ん中上から左下に流れる佐波川、右下メバル公園のあたりが三田尻港

 

 

 

もしかしたら、平安時代の頃、佐波川は三田尻のあたりにも注いでいたのかも知れません、

重源さんは、木材の搬出のために、佐波川の改修工事も相当したらしいのです、、、。

 

 

 

                                              Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム )その12につづく

                                   

                                                         

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム ) その10

2022-01-09 19:01:20 | 日記

 

5′30″ 頃から、Xavier Bailly さん( Administrator of the Mont Saint-Michel Abbey )

という、 渡部篤郎 さんをフランス人にして、ダリみたいな金髪の髭をつけた男性が

  N.D. Sous-Terre  のドアの鍵を開けて、中を案内してくれています、、、。 

(この動画はチョッと長いですけど、石材やレンガからコア抜きしたサンプルから、

年代測定法で、とくに Notre-Dame Sous-Terre の周辺の建築年代や建築過程を推測

して、凄いです! )

 

 

 

この、階段を降りて来て、すぐ左のドアが、どこなのかが判らない、、、。

 

 

 

 

もう一度 Notre-Dame Sous-Terre の平面図

 

                 北

                 南 

 

もしかしたら、この建物の基礎を地下室にしたような、 N.D. Sous-Terre の壁(上部構造の基礎)は3列な

ので、 N.D. Sous-Terre の上は、本格的な 4列の基礎列が必要な、 側廊ー身廊ー側廊 の『バジリカ形式

の聖堂は断念して、身廊と側廊を 3スパン 短くして、上の聖堂を建てたのかも知れません、、、。

( でも、モン=サン=ミシェル を遠くから見た遠景のシルエットは、却って格好良くなったのかも!)

 

 

 

Notre-Dame Sous-Terre の東面 ( 上の図では右、右の窓の光は、どこから差しているのかな ? )

 

 

壁窟( へきがん ? )の上の ロフト のようなところの、左奥の木製ドアは、階段の入り口のはずなんです

けど、どこに通じているのかは、判らない、、、。

 

 

その左の、やはり東側の壁面

 

 

 

その手前に、木製の お祈りの席 pew が、何列か並んでいるところ

 

 

 

 

東面、向かって右側の壁窟の詳細

 

 

 

 

この 、N.D. Sous-Terre 『 聖母マリアの地下室 』または『 聖母マリアの地下礼拝室( ? ) 』ならば 962

年 生まれの  Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム )  さんが、携わっていた可能性

もありそうですし、1000年前後の N.D. Sous-Terre 中を、Xavier Bailly さんのように、歩いていたのかも知

れません。

 

 

 

            Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム ) その11につづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム ) その9

2022-01-08 18:52:21 | 日記

 

聖堂の西側正面ファサード前の小広場(terrasse ouest  西テラス)の下には

N.D. Sous-Terre 『 聖母マリアの地下室 』または『 聖母マリアの地下礼拝室( ? )』

があります。(この聖堂西側正面ファサード写真は、西から東を見てます。)

 

 

 

 

西 OUESTー東 EST  の断面図   

 

ND sous terre                    『 聖母マリアの地下室 』または『 聖母マリアの地下礼拝室( ? ) 』

Cachots                               牢獄(土牢 ? 今の『大階段室 』の、さらに西側のあたり ? )

Plate - forme de l`Ouest       西プラットフォーム ? ( 聖堂西側の信者の参集所 ? )

 

 

聖堂の西側の身廊と側廊 の長さが、3スパン分 短くなった 後の、 現在の図と思うのですが、

短くなったのが、火災が原因なのか ? 何かの崩落や崩壊が原因なのか ? 計画変更などによる

聖堂それ自体の造り直しだったのかは、良く判かりません、、、。(僧院全体では、身廊の

北側の通路は、1103年に崩壊したようですし、1421年には、ロマネスク様式の聖歌隊が崩壊

して、聖堂の周囲で、擁壁とその上の建物や塔を含むかも知れない、工事中の『大崩落事故』

もあったらしいのです、、、。)

 

 

 

中のレベル(level 2)の N.D. Sous-Terre を拡大したところ

 

 

Promenoir des moines   修道士の控廊下

N.D. Sous-Terre      中のレベル(level 2)なので、N.D. Sous-Terre の『 吹き抜け部分 』?

               (東の端のロフト ? 部分からの 階段2本は、どこに抜けられるのかな ? )

Citerne           貯水槽  シスターン ?

Galerie Nord-Sud      南北ギャラリー  (大階段室 ? )

 

 

 

一番下のレベル(level 1)の N.D. Sous-Terre を拡大したところ

 

 

Salle de l`Aquilon      北の部屋

N.D. Sous-Terre       一番下のレベル(level 1)なので、N.D. Sous-Terre の床 ?

              ( どこが入り口で、どこから入るのか、判らない、、、。)

 

 

 

N.D. Sous-Terre の実測図( 現状の図 ? 上の部屋に階段がない、、、? )

 

      OpenEdition journals https://journals.openedition.org/archeomed/21054 より

 

 

 

N.D. Sous-Terre の、900年 から 950年の頃 と 1060年 から 1084年の間  を重ね合わせた図 

 

       

 

VERS 900-950       900年 から   950年の頃

ENTRE 1060 et 1084   1060年 から  1084年の間   

 

 

 

『 地下礼拝室( ? )とその吹き抜け 』があるのです、、、。

 

 

 

 

         Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム ) その10につづく

 

 

追記  『 大階段』Grand Degrè  から、Plate - forme de l`Ouest  西プラットフォーム ?  を通って

      聖堂の西側正面ファサード前の小広場(terrasse ouest  西テラス)、聖堂の内部を抜けて

      中庭(Cloitre)

 

                      

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム ) その8

2022-01-07 20:44:56 | 日記

 

Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム )さんは、モン=サン=ミシェル

修道院(Abbaye  Mont-Saint-Michel)の建築の、どの部分にまで携わっていたのでしょうか ?

 

 

10世紀末頃の『聖オベールの礼拝堂』の、昔の絵からすると、、、

 

 

少なくとも、この一番上のレベル(level 3)の現在の、聖堂(Eglise)・中庭(Cloitre)

食堂(Refectoire)の建築に携わっていた可能性は、考えにくいです、、、。

 

 

中庭(Cloitre)から  食堂(Refectoire)を見たところ

 

 

ここだけ見ると、なんだか『中世っぽい感じ』がしない、、、。まるで、アメリカ東海岸の

『麗しのサブリナ』か『華麗なるギャッツビー』の世界? ? ? Guglielmo da Volpiano

( ヴォルピアーノの聖ウィリアム )さんの、Vo 『ヴォ』の字も感じません、、、。

 

 

中庭(Cloitre)を上から見ると、、、

 

 

 

食堂(Refectoire)の内部

 

 

もしかして ヴィオレ・ル・デュク  Viollet-le-Duc  さんか、 弟子筋 か 崇拝者 の仕事、、、?

なんだか、19世紀に現れた『 職業的建築家』臭(?)のようなものを感じてしまうんですけ

ど、、、。

 

 

 

 

中のレベル(level 2)  左の  聖堂の西側正面前の小広場(terrasse ouest  西テラス)の下の、

                                  N.D. Sous-Terre の N.D. は、 Notre-Dame (ノートルダム )の略で、

                               『聖母マリアの地下室』それとも『聖母マリアの地下聖堂』? 

 

 

 

右上の La Merveille は、『 驚嘆すべき巨大な擁壁と食堂と中庭の複合』くらいの意か ?

 

 

 

 

一番下のレベル(level 1) 

 

もしかしたら、このレベルならば、Guglielmo da Volpiano( ヴォルピアーノの聖ウィリアム)

さんが、工事に携わっていた部分や痕跡が、探せばあるのかも知れません、、、。

 

 

 

 

真ん中の墨塗りの rocher は岩山。その右下の Grand Degre は『 大階段』で、サクラ・ディ

・サン・ミケーレ( Sacra di San Michele )修道院と同じように、聖堂の周囲(屋外)を、

東から西に、南回りでグルッと廻って、西側の正面ファサード前の屋上広場(terrasse ouest 

西テラス)に繋がっています。

 

 

 

 

                                  Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム ) その9につづく

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする