北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

『物事の半分』

2016-10-31 19:49:55 | 日記


最近、自分ひとりで勝手に気に入っている、議論などのときの反論の仕方。



たとえば次のような議論。



  日本は核武装すべきである。戦争が出来ない、戦争をしてはいけない国家など、

  そもそも国家とは言えない。非武装中立などは絵空事である。戦争をするのな

  らば最終兵器である核を持つべきである。(ここで、少し頭の良い人は核抑止力

  などという議論のためだけの言葉を持ち出したりします。要は、その時の議論に

  だけ勝てれば良いと思っているのか、、、? )




残念ながらこの議論は、「戦争は勝つ時もあるけれども負けるときもある」、の後半の

「負けるときもある」が、スッポリと抜け落ちてしまっています、、、。(核だって、

落とす国があると言う事は、落とされる国や地域もあると言う事なのです。)



つまり『物事の半分』しか見ていないし、考えていない事になります。反論する時は、こ

んなふうに使います。



  残念ながら、あなたの言っていることは、『物事の半分』しか見ていない議論なん

  じゃないですか? 僕にはそう聞こえますけど、、、。



でも、非武装中立の立場の人も、「攻めて来られたらどうするんだ?」と言われると、黙

り込んでしまったりします。(攻めて来られた時にどうするかの『物事の半分』は、やは

りスッポリと抜け落ちてしまっています。この点では、核武装論者の人と同じです。

「だから普段から、そうならないように努力しなければならないんじゃないですか」な

どと反論したりします。)


僕なんかは、「デンマークは即日降伏しているんですけど、今でもちゃんと国はあります

よ。僕なら太宰治さんと同じで裏山に逃げます」とか言ってしまいそうです、、。

(残念ながら、僕は核武装論者ではありませんし、非武装中立論者でもありません、、。

しいて言えば、、、ひ弱な日和見主義者でしょうか、、、。僕の2~3歳年上までの世代

は、いわゆる全共闘世代で、当時「日和見主義者」というのは、最低のレッテルだったの

ですが、僕は、自分にはそれが一番いいなと思っていました。人間、最低じゃいけないん

でしょうか、、、って、まるで蓮舫さん?)



こんなことを書くと、戦前ならば「貴様は、戦わずして負けると言うのか!話にならん」

などとどやされそうですが、僕は子供の頃から、「逃げて逃げて逃げまくれ」だったので

今更どうしようもないんです、、、。



この『物事の半分』、建築の時に何か使い途ないかなぁ、、、?















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『寝技の世界』

2016-10-30 12:12:09 | 日記


住宅の設計の仕事をしていると、『寝技の世界』に巻き込まれる、、、。こっちも設計士

のはしくれですから、柔道でいえば立ち技一本、なんとか技を決めたいのですれども、敵

もなかなかで、そうは簡単にはさせてはくれない、、、。



「いま使っている我が家の洗濯機は、浴槽の残り湯用のポンプが調子悪くてホースが長い

と時間かかってしょうがないから、こんど建てる家の洗濯機置き場は、絶対に浴槽のすぐ

隣でなきゃダメ」


吉村先生も昭和の30年代にして、すでに階段踊り場の中二階の浴室の残り湯を、階下の

台所の横の洗濯機に給湯?する仕組みを実現しているわけで、おっしゃることはごもっと

もなんですけど、、、。少しでも離れているプランなんて見せようものなら、「この設計

士は、人の言うことを何にも聞いていない、、。」となりかねません、、、。(白物家電

洗濯機メーカーのみなさん、お願いだから、超高性能ポンプ付き、超高性能濾過フィルタ

ー搭載の洗濯機を開発して下さい、、、。)


アパート住まいの場合はそうでもないのですが、建て替えや貸家の場合は、いま住んでい

る家に対する不満を、最初から延々と聞かされるケースが、ものすこく多い。(だけど、

その家は僕が設計した家じゃないんですけど、、、。)


そうかと思うと、「○○○さんの家は×××が素敵だった」とか、「△△△公園の横に建って

いる家が理想だわ」と言われても、僕はその延々と聞かされる○○○さんの家を見たことも

ない訳で、わざわざ△△△公園に行っても、どれが理想の家だか、さっぱり判らない、。


前にも書いたかも知れませんが、一番困ったのは、「他人から見下さられるのは嫌だか

ら、こんど建てる我が家は隣の家より高く(値段じゃありません、建物の高さです)して

頂戴、お祖父さんもそう言っているの、出来ることなら敷地の地面を1メートル高くした

いわね」と言われた時、、、。(僕の親戚なんです、豊洲じゃないんだってば、、、)


病院に入院すると、普段の人格とは人が変ってしまうケースがあります。入院したらば、

心配するのは自分の身体と家族のことだけ、普段は愛想も人付き合いも良い人が、それま

でとはうって変わって急に我儘になって、どこの病院に入院しても、看護婦さんたちと

すぐに喧嘩して病院を飛び出してしまいます。「こんな病院はダメだ、、、」です。

(でも、ほとんどのケースでは、どんな病院も同等レベルの医療を提供しようとしている

と思うんですけど、、、)


住宅を建てる時も、それまでの自分達の経験や見聞の範囲内での、「ここはこうしたい

の」「これはゆずれないわ」「これならリーズナブルだわ」が延々と続きます。



『寝技の世界』です。



いま、住宅を建てるということが非常に個人的な事柄になってしまっている気がします。

スーパーの買い物と同じで、自分の欲する商品をカートに入れてレジに並ぶだけ、レジの

「チン」の音で終了です、、、。


住宅メーカーやハウスメーカーの営業の方々は、こういった場面ではプロ中のプロです。

建て主さんの「欲望」を上手に、落としどころに落としてくれます。寝技でも何でも対応

してくれます。僕には、とても真似できません、、、。







追記  本当は、一晩でも寝かせてからupしなければいけない文章なんでしょうけど、、





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Nyboder   (ニィボーダー)  その6

2016-10-22 15:18:28 | 日記



Nyboder(ニィボーダー)の平・立・断面図です。













修復中のNyboder(ニィボーダー)です。日本の文化財建築の修復の時のように「素屋根」

(すやね)がかかっています。日本建築の場合は、雨に降られると木材から「灰汁(あく)

」が流れ出るのを防ぐためもあると思うのですが、デンマークの場合は、冬期間工事は寒

いでしょうし、既存の床・壁・1階の天井を雨に濡らすわけにはいきませんし、作業性や

安全性のためもあると思います。テント地で明るいのは、とても良いです。





煙突が曲がって見えます、、、棟木はないのでしょうか?








デンマークの大工さん。










ドアの角は斜めにカット。










30分近くあって長いのですが、おそらく地元の修復を担当している建築家の方が、一般の

方々を対象に、Nyboder(ニィボーダー)の歴史と修復作業の内容を説明している動画と

思います。デンマーク語で判らないのですが、Nyboderを「ニィボーダー」と発音してい

るように聞こえるので、カタカナ表記を「ニィボーダー」にしたのですが、、、。








外壁の改修は「外断熱」にしているように見えますが、窓や屋根の先端の納まりはどう

しているのでしょうか?












コペンハーゲンの冬、北海道と同じで、厳しそう、、、。




                                   おしまい





Google Map














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Nyboder   (ニィボーダー)  その5

2016-10-22 15:16:51 | 日記



さて、『Nyboder(ニィボーダー)の遠く向うに、学校のような建物』、なのですが、










Nyboder Skole と検索すると画像が出てきます。Skoleは、おそらく学校で間違いな

いと思います。






この写真で





右下は、Nyboder(ニィボーダー)で、後ろはもとの保塁の堀が埋め立てられて線路敷きに

なっているようです。






この学校?の配置図がありまして、、、






真中が学校?はよいのですが、左右の黒く塗りつぶされている部分が、最初はよく判りま

せんでした、、、。


ですが、こんな図を見つけまして、、、








壁は極端に厚く、窓も何もありません。どうやら防空壕のようで、プランをよく見ると、

「作戦司令室」か何かのようです、、、。





1945年の終戦の時の、裏の線路敷きに直接出られる地下通路の出口が見えます。







学校?が接収されて、ドイツ軍が1940年頃に地下防空壕の「作戦司令室」を造ったのか?

それとも、学校?は元々デンマーク軍の施設で、地下防空壕は最初からあったのか?

(日本海軍で言えば「江田島」のようなものだったのか、、、? 職住近接、、、? でも

日本では家族同伴って、あんまりなかったし、ないような、、、。)





10年位前に工事が入って、撤去されたのかも知れません、、、。(でも70年後。)














クリスチャン4世、北向いて立っています。






                  Nyboder(ニィボーダー) その6 につづきます





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Nyboder   (ニィボーダー)  その4

2016-10-22 15:16:51 | 日記


Nyboder(ニィボーダー)の英文による説明文の一部


Nyboder (English: New [small] Houses) is a historic row house

district of former Naval barracks in Copenhagen, Denmark. It was

planned and first built by Christian IV to accommodate a need for

housing for the personnel of the rapidly growing Royal Danish Navy

and their families during that time.



和訳してみます。


ニィボーダー(英語:「新しい(小さな)団地」の意。)は、デンマークのコペンハーゲンに

ある、元はデンマーク海軍の兵舎の、歴史的な並列集合住宅地区である。当初、ニィボー

ダーは、当時急速に増強されつつあったデンマーク王国の海軍の兵員及びその家族が居住

するための住宅として、(デンマーク王)クリスチャン4世によって計画・建設された。




row は「並列」、「低層」ならば low 。

barrack は「バラック建築」の「バラック」ではなく「兵舎」のこと。

accommodate は「住まわせる」くらいの意。




Nyboder(ニィボーダー)は、日本語にすると「海員住宅」でしょうか、、、?





 
この白黒写真は、探した中では Nyboder(ニィボーダー)の全景がいちばん写っていると

思われる写真なのですが、おそらく1931年頃のものと思います。南から北を見てます。










Nyboder(ニィボーダー)の変遷の図。(上が北)



 1800年頃?                       1930年頃?


                                

デンマーク語なので、何が書いてあるのか良く判りません、、、。 (19世紀に入って、

Nyboder(ニィボーダー)のかなりの部分が、民間に売却されたり払い下げられたりして

他の住宅が建ったり、教会が建ったりして、現在の姿になったようなのです。)







南から北を見た写真なのですが、1931年頃のものと思います。




デンマークは、1940年にドイツ軍から宣戦布告されて即日降伏して、ドイツ軍の占領下

に入るのですが、この写真のNyboder(ニィボーダー)の建物の一部解体は、ドイツ軍に

よるものではなく、それよりは10年近く前のデンマーク自身によるものと思います。

Nyboder(ニィボーダー)の建物が、あまりにも長くて道路は通らないし不便だったから

でしょうか、、、? (東京の下町で戦時中に行われた、木造の建物を「間引いて」造った

「防火帯」とは違うと思います、、、。)






一度解体して、さらにそれを修復し始めている写真でしょうか?








現在のNyboder(ニィボーダー)を、南から北に見た写真です。






Nyboder(ニィボーダー)の遠く向うに、学校のような建物が見えるのですが、、、。

(小学校とか中学校にしては、ずいぶんと大きくて立派、、、。)



                 

                  Nyboder(ニィボーダー) その5 につづきます







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