北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

宇治上神社拝殿と関西電力宇治発電所 その4

2022-02-20 23:23:20 | 日記

 

 

宇治発電所の水源は、『琵琶湖疏水』と同じで、琵琶湖なのです。(『琵琶湖疏水』は、1885年  明治18年に着工、

全部の完成は  1912年  明治45年。設計した田辺朔郎(たなべ さくろう)さんは、なんと  24歳 !!~ 30歳の仕事!)

宇治発電所は、1908年  明治41年に着工して、全部の完成 は 1913年  大正2年 、、、  。(なんか重なっている 、、 )

 

 

 

宇治発電所の導水路図  長さ約11km  左端が宇治発電所、右端が琵琶湖・瀬田川

 

関西の公共事業・土木遺産探訪  宇治発電所 水路トンネル  http://dobokuisan.starfree.jp/58_ujihatsudensho/ujihatsudensho.html  より

 

 

 

左端の天ヶ瀬ダムの北に宇治の平等院    右上が水源の琵琶湖    その下『滋賀大』の文字のあたりが取水口

 

 

 

 

瀬田川からの取水口  手前(北)が琵琶湖

 

 

真っ直ぐ南(この写真では上)の山の方にに伸びて、京都両洋高グラウンドのあたりからは

暗渠になっています。左の南郷公園の所に、当時の南郷洗堰、現在の瀬田川洗堰があります。

 

 

宇治発電所石山制水門(南側)

    遊心六中記 さん    https://plaza.rakuten.co.jp/asobikokoro2/diary/201702250000/   より

 

 

ほとんどは隧道(トンネル)なのですが、生津というあたりの瀬田川と平行している場所(一番上の

導水路図、仁尾の第4号隧道のあたり)では、導水路が地表に顔を出しています。

青森県十和田市の、稲生川(1855年 安政2年~1869年 明治2年、1938年 昭和13年 ~1966年 昭和41年)

と、水源の奥入瀬川が、一部で平行しているのと、なんだか似ています、、、。右上は京滋バイパス

 

 

『生津』という字のあたりに導水路が見えます。ですが、本当は水道橋があるはずなのですが、

Google  Earth  の頭が悪くて、導水路も道路も「へしゃげちゃって」います、、、。

 

 

実際の導水路・水道橋に興味のある方は

 

穴と橋のあれやらこれやら さん https://ameblo.jp/quicknick/entry-12450873987.html

宇治発電所 水路トンネル さん http://dobokuisan.starfree.jp/58_ujihatsudensho/ujihatsudensho.html

ひろしのダム発電所見学記 さん http://dampswatch.blog.fc2.com/blog-entry-931.html#comment446

                http://dampswatch.blog.fc2.com/blog-entry-665.html

 

などなど御覧になって下さい、、、。

 

 

                        宇治上神社拝殿と関西電力宇治発電所 その5 につづく

 

 

 

追記  琵琶湖疏水、宇治発電所導水路、稲生川の工事完成年については、一期工事・二期工事の別や

    第二次世界大戦による工事の中断などありますので、あくまでも参考程度に、、、。

 

 

 

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宇治上神社拝殿と関西電力宇治発電所 その3

2022-02-20 23:09:36 | 日記

 

宇治上神社を平等院の側から見た Google Earth の空中写真です。宇治川を挟んでやや左下の池が平等院。

 

 

恵心院というお寺と、興聖寺というお寺の間に、レンガ色の建物が2棟あり、短い川のような水路から、

水流が宇治川に注いでいるのが見えます。

 

 

レンガ色の建物は『関西電力宇治発電所』です。今でも現役、発電中。手前は、たぶん変電設備 ?

 

 

 

1913年(大正2年)に、完成した時は、宇治川電気株式会社宇治発電所という名前だったみたい。

 

 

手前は、川じゃなくて、発電所の調整池からの放水路と、その護岸。

 

 

宇治上神社と、物凄く近いし、大きい、、、。今じゃ世界遺産なのに、、、。

 

 

 

宇治上神社の入り口の鳥居

 

 

鳥居の奥に住宅の門みたいな感じの良い門と『宇治上神社拝殿』が見えます。『世界文化遺産  宇治上神社』の

大きくて立派な石碑 ? は、世界遺産の時に建てたんでしょうけど、良いような、、、そうでもないような、、、。

その右手の素っ気ないフェンスから先は、関西電力宇治発電所の敷地なのかな、、、?

 

 

でも、その立派な石碑 ? と鳥居のむこうには、送電線の鉄塔が見えちゃうんです、、、。

 

 

 

 

                                                        宇治上神社拝殿と関西電力宇治発電所 その4 につづく

 

 

 

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宇治上神社拝殿と関西電力宇治発電所 その2

2022-02-17 12:23:41 | 日記

 

京都大学で増田友也さんのお弟子さんだったのですが、残念ながら46歳の若さでなくなった、

玉腰芳夫さんの『古代日本のすまい』という本の、

 

 

 

序章 5 ページの左上の『宇治上神社拝殿』の写真の キャプション に

 

  図2 宇治上神社拝殿( 鎌倉初)ー寝殿造り住宅を彷彿させる数少ない遺構の一つ。

 

  とありますが、どうやら、この拝殿は、寝殿造りの中でも、このブログ中でも何度か触れた

『中門』もしくは『中門廊』を、どこからか 移築して拝殿として転用した建物のようなのです。

 

 

 

これは、藤原定家(1162~1242年 )の藤原定家第で、やはり中門廊のある寝殿造りなのですが、

 

 

『明月記』などによると、当時の京都の裕福な貴族のあいだでは、今の京都市内の本宅とは別に、

宇治に別荘というか別宅を構えるのが流行っていたらしく、もしかしたら鎌倉時代になって没落

した貴族たちの中には、宇治の別宅を維持するのが経済的に困難になったからなのか、もしくは

武士階級などの『世俗的世界の台頭』による『宗教的世界の変質』によって、『中門』もしくは

『中門廊』も不要になり、宇治上神社などの神社に、その解体部材を『寄進』したのかも知れま

せん。(『寄進』するために、わざわざ 解体する人は、今も昔も、そんなにはいないのでは ? )

 

 

よく見ると『宇治上神社拝殿』は左右対称ではなくて、、、

 

 

 

 

水間徹雄さんの指摘のように、赤枠の左の部分が半間分が長いのです。

 

             

       『水間徹雄・建築巡礼の旅』さん https://mizumakjt.exblog.jp/24881677/ より

 

 

 

時代は、かなり下がるのですが、足利義教(1394~1441年 )の将軍邸の平面図

 

  

                                                                     赤澤真理さんの PDF 建築史の中の『 源氏物語』 より

 

 

 

 

この平面図の『 中門北廊』の部分を拡大して、、、                                                     

 

                      

 

 

 

90°回転させて、さらに拡大してみると、他は一間なのに、左端だけは一間半で、、、

 

              

 

 

 

あら不思議!『宇治上神社拝殿』の平面図と、だいたい重なりませんか、、、 ? (梁間は違うけど、、、)

 

        



 

平安後期から鎌倉前期の宇治の周辺に、足利義教将軍邸のような規模の別宅を構えていた

貴族がいたとしたら、おそらく相当な地位の貴族だったのではないでしょうか ?

 

でも、どうして足利義教さんは、300年も後の15世紀の室町時代に、こんな古臭い寝殿造りの

将軍邸をわざわざ造ったんでしょうね、、、?

 

 

                      

                       宇治上神社拝殿と関西電力宇治発電所 その3 につづく

 

 

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宇治上神社拝殿と関西電力宇治発電所 その1

2022-02-15 01:15:41 | 日記

 

宇治上神社は、京都府宇治市宇治山田の、宇治川を挟んで平等院鳳凰堂の対岸にある古い神社で、本殿の

中の社殿は、平安時代後期の1060年頃( Guglielmo da Volpiano  ヴォルピアーノの聖ウィリアム  さんの

亡くなった30年後くらい )の建築で、日本国内に 現存する最古の神社建築 とされています。

 

 

宇治上神社本殿の夜景

 

中尊寺金色堂の覆堂のような本殿(鎌倉時代の前期または中期くらいの建築らしい、、、  )の中に、

右殿・中殿・左殿と、3っつの社殿が 並んでいます。(本殿は、どこから入るんだろう、、、?  )

 

              「ぱふぅ家のホームページ」https://www.pahoo.org/entrance/link/ より

 

内部の社殿 

 

 

 

 

覆堂のような本殿の前面の、端から端までが格子になっていて、なんだか最近の日本の『現代建築』みたい ?


 

 

動画の中にも出て来ますが、本殿の前に、この記事の表題の『宇治上神社拝殿』があります。

 

 

Google Map では、太字で『宇治上神社』とあるだけで、『宇治上神社拝殿』とは表記されていません。

 

 

 

宇治上神社拝殿

 

 

 

 

                                                                 宇治上神社拝殿と関西電力宇治発電所 その2  につづきます

 

 

 

追記  前面が格子の建物を『本殿』と表記しましたが、『覆屋』が正確なのかも知れません、、、。

    『本殿』はやっぱり、中の 3っつの『社殿』なのかな、、、? 

 

 

    中尊寺の、今、本物の金色堂の納まっている 鉄筋RC建築 の建物の、もう少し奥の右側に

            『旧覆堂』が移築されてます。

   

    

 

 

    

 

    僕は、建築としては、本物の金色堂よりも  この『旧覆堂』の方が好きです、、、。

 

 

 

 

 

 

 

 

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