北海道函館市の建築設計事務所 小山設計所

建築の設計のことやあれこれ

中世鎌倉街道 その4

2015-05-29 16:14:45 | 日記
さて、この「中世鎌倉街道」と「西向天神」、どっちが先で、どっちが後なんでしょうか?

おそらく天神様が先にあって、街道は後でしょう、、、。でも、街道になる前の道はあっ

たんでないでしょうか? じゃぁ、街道ではなかった「ただの道」が「街道」になるって、どう

言う事なんでしょうか?その「ただの道」って、どことどこが繋がっていたんでしょうか?


たしか山折哲雄さんだったと思うのですが、道には2種類の道があると言うのです。

  
  「みのて」と「なわて」


です。「みのて」は「みの手」もしくは「蓑手」?(私の勝手な当て字です。スイマセン、、、)

で、「なわて」は「縄手」で間違いなさそうです、、、。(ほかにも「大手」とか「からみ手」と

か「勝手」とかいろいろありそうですが、ここでは省略します、、。) 「みの手」は等高線

に沿った山の端の道などのことらしく、「縄手」は文字通り、縄を引っぱったような真っ直

ぐな「棒道」と思います。


「みの」と言えば、将棋の「みの囲い」を想い出すのですが、こちらは「蓑」でなくて「美濃」で

「美濃囲い」のようです。でも、どうして「美濃囲い」って言うんでしょう? 身体を覆う方

の「みの」なら、「美濃」でなくて「蓑」でないのかな? 「蓑」じゃ弱そうだからかな?


将棋の「美濃囲い」




「西向天神」の前の「中世鎌倉街道」は、どうみても「みの手」で間違いなさそうです、、、。




「中世鎌倉街道」は鎌倉時代に「いざ鎌倉」のために作られた(整備された?)のだと思います

が、どうやら、それまでバラバラだった、あちこちの「みの手」の中から、下野(しもつけ)

や奥州などに最短で行けるものを選んで、その間(主に台地なのですが、、、)を「縄手」で

結んで出来ているようなのです。つまり、「中世鎌倉街道」は、「みの手」と「縄手」の組み合

わせで出来ているのです。(「みの手」と「縄手」の境には「坂」がありそうです、、、。)


江戸時代?の「西向天神」(左が北、右が南で靖国通り、千駄ヶ谷「鳩森神社」)




左の北に行くと、「中世鎌倉街道」は、どこに行くのでしょうか?

面影橋から、雑司が谷の「鬼子母神」に行くのです、、、。












「鳩森神社」、「西向天神」、「鬼子母神」は三点セットなのです、、、。

なんだか、このブログの、『「向う三軒両隣り色彩差分法」について 』みたいだ、、、。




                  中世鎌倉街道 その5 につづきます、、、。


    
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中世鎌倉街道 その3

2015-05-29 15:28:21 | 日記
「西向天神」のまえの「中世鎌倉街道」です。




旧大久保中学校を左手に、ゆるいのぼり坂を靖国通り方向を見た写真です。この写真の

手前の左側が天神様です。




もう少し北の方から、天神様の森を左手に見た写真です。




天神様の境内から「中世鎌倉街道」を見下ろしたところです。(提灯のところの角の空き地

には「中村文具店」という、お母さんと娘さん二人でやっていた文具店がありました。)




この先に都電13号線の踏み切りがありました、、、。





                      中世鎌倉街道 その4 につづきます。
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中世鎌倉街道 その2

2015-05-29 13:03:30 | 日記
千駄ヶ谷から北上すると、中世鎌倉街道は新宿御苑の中に入ってしまいます。(ザハ・ハ

ディッドさんのコンペの時の新国立競技場の案のままだと、中央線と総武線を跨ぐペデェ

ストリアンデッキの降り立つ場所の近くなんだけど、、、。)でも御苑の中は、今は跡形

もないはずです。さらに北上すると、昔の内藤新宿、太宗寺のあたり(今は新宿2丁目、

つまり「オカマさん」の街、、、。)を抜けて、靖国通りの新宿厚生年金会館のそばを北上

すると、旧東大久保2丁目と云う町に下りてゆきます。


ちょうど北を向いた航空写真を見つけました。




画面の中央、レンガ色の建物が、旧都電13号線の大久保車庫の跡地に建っている「新宿

文化センター」、その右隣は「新宿区立天神小学校」、さらに一本道を挟んである中学校が

もとの「新宿区立大久保中学校」、現在の「新宿区立新宿中学校」で、なんのことはない、私

の通った小学校と中学校です。「一本道を挟んで」の道が、「中世鎌倉街道」だったのです。


付近の地図です。



天神小の「小」の字の道が「中世鎌倉街道」、西光庵とある「西」の字の辺りが、もとの「新宿

区立大久保中学校」、現在の「新宿区立新宿中学校」です。










天神小学校の校歌の出だしは、たしか


  西空はるかに空も晴れて、天神様の森の梢に、小鳥が歌う朝な朝なに


だったと思うのですが、その「天神様」は西を向いているので「西向天神」というのです。

写真の旧大久保中学校の上の、こんもりとした森がそれです。


西向天神




(私は小学校2年で編入だったのですが母に連れられて初めて都電13号線の踏み切りの

向うにこの鳥居を見た時、体の中に電気のようなショックがあったのを覚えています。)



                      中世鎌倉街道 その3 につづきます。
   
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中世鎌倉街道 その1

2015-05-28 23:23:22 | 日記
このブログの『多木さん』の中で、「その人の、事務所兼アトリエは、東横線祐天寺駅の

北口商店街を、中世鎌倉街道の方に向かって行って、左側の古いマンションの1階の奥に

あった。」と書いた「中世鎌倉街道」は、この地図の青線部分です。






「Meguro 目黒区」とあるのは、もとの千代田生命(村野藤吾さん設計)に引越しをした、今

の中目黒の目黒区役所でしょうから、祐天寺の多木さんの事務所兼アトリエは、「Meguro」

の大文字の「M」のあたりにあったのだと思います。その西側を大きく湾曲しているのが、

中世鎌倉街道です。この地図には、「Start」と「End」とありますが、おそらく散策コースか

何かの説明のためで、「End」の左下は鎌倉までつづき、「Start」の右上は板橋から中山道

や奥州街道の方に、つづいていたはずです。

「Start」の地点は、おそらく千駄ヶ谷駅で、中世鎌倉街道は手前で、将棋会館のある鳩森

神社の横を通っていたはずです。(神社の境内の真ん中は通りませんので、念の為、、。)


鳩森神社です。




鳥居に向かって左手の道が中世鎌倉街道のようです。将棋会館は神社の裏側。この写真は

南を向いてます。





                      中世鎌倉街道 その2 につづきます。


                     
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地蔵盆と七夕 その4

2015-05-25 02:56:59 | 日記
古文の教科書にもある『奥の細道』の冒頭の文章に「道祖神」が出てきます。


   月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の

   口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せ

   るあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、

   海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春

   立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神

   のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、

   三里に灸するより、松嶋の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅

   に移るに、

      草の戸も住替る代ぞひなの家

   面八句を庵の柱に懸置


「道祖神」から外の世界は、このブログの『アジールの入り口としての「中門」』の中で

「アイヌ神謡集」について書いた、「悪い知らせが待ち構えていたかも知れない」、行き倒

れて、そのまま死んでも仕方のない世界だったのかも知れません、、、。その「道祖神」

の「まねきにあひて」これから旅に出ようというのです。


でも考えてみたら、「道祖神」って「道」の「祖(おや)」の「神」でしょうから、文字

通り、「原初の道」、「道の始まり」の神様なのかも知れません、、、。それがどうして

「男根」が出てきたり、「猿田彦」が出てきたりするのかは、良く判りません、、。天狗

の鼻も大きいし、、、。


昔の若い男女は、当時はラブホもなかったので、村はずれや集落の境で、青空の下、夜は

寒いだろうに、草叢の上などで事に及んだのでしょうか?


 村上春樹さんの「UFOが釧路に降りる」に

  
  店を出ると、三人は近くにあるラブホテルに行った。町の外れに、墓石を作る

  石材店とラブホテルが交互に並んでいる通りがあって、シマヲさんはそのうち

  のひとつに車を乗り入れた。西洋の城を模した奇妙な建物だった。てっぺんに

  三角の赤い旗が立っている。


と書かれているのは、苫小牧市から支笏湖に抜ける国道276号線がモデルで、私も走った

ことがありますが、「石材店とラブホテル」どころか、火葬場も苫小牧市立病院もあって

、その都市の郊外というか周辺に、人間を「仕込んで」、「オギャー」と生まれて、焼い

て最後は墓石立てるまで、確かに全ての施設が揃っているんですね、、、。日本の現代の

地方都市は、大概どこでも、このような都市の構造になっています。



なんだか、中世鎌倉などの日本の中世都市の構造とたいして違わないような、、、。



写真は、札幌在住の直木賞作家桜木紫乃さんの小説「硝子の葦」のドラマに出てきた

ラブホテル「ホテルローヤル」の夜景です。




「ホテルローヤル」の写真が小さくてさみしいので、、、


東北自動車道の郡山インターチェンジの近くに、高速が突然、ラブホテル群のど真ん中に

突っ込んでいく地点があります。芭蕉翁も、さぞ驚かれるでしょう、、、。



4分頃からです。



この動画は下りですが、深夜に上りで郡山ICから近づくと、ラブホのクラゲの海です。













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