Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム )さんは、ベネディクト派の修道士で
同じベネディクト派の修道院の、フランスのノルマンディーの モン=サン=ミシェル 修道院
(Abbaye Mont-Saint-Michel)の建築にも携わっているのですが、他にも 40 くらいの修道院の
建築にも携わっていたようなので、962年に 北イタリアのサンジュリオ島 で生まれて、 1031年に
ノルマンディー の フェカン で亡くなった 69年の人生のうち、
亡くなった フェカン修道院の Guglielmo 像
イタリアとフランスとの間を、かなり頻繁に行ったり来たりしていたのか、それとも最後の 10年
くらい( ? )は、ずーっと ノルマンディーだったのかは、良く判りません。でも、サクラ・ディ
・サン・ミケーレ( Sacra di San Michele )修道院も世界遺産ですし(1979年の登録 )、モン=
サン=ミシェル 修道院(Mont-Saint-Michel)も 世界遺産(1979年の登録 で、同じ年 )なので、
1人で2つの世界遺産の建築に携わっていたことになるんです。
19世紀初頭( ? )の モン=サン=ミシェル(Mont-Saint-Michel)、何かの工事中
、、、? 尖塔のてっぺんの 大天使ミカエルの像 は、まだありません、、、。
上の写真と、ほぼ同じ向きの現在の島の断面図 (左が北、右がトンボロで繋がる陸地側で南)
10世紀末頃は、こんな感じ、、、?(岩山の頂上の建物は、8世紀の『聖オベールの礼拝堂』708年 ? )
10世紀末から 11世紀初めなら、962年生まれの Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノ
の聖ウィリアム )さんは、一番の働き盛りの頃 ?
ヴィオレ・ル・デュク (Viollet-le-Duc 19世紀フランスの建築理論家 1814-1879
ゴシック建築の研究者、何年か前に火災で焼け落ちてしまった パリのノートルダム
寺院の尖塔を少し高めに設計してしまった人、、、 )さんが、
19世紀に実測したと思われる モン=サン=ミシェル(Mont-Saint-Michel)の平面配置図
北
南
聖堂の身廊(nef principale)と側廊(nef laterale)の長さが、今よりも倍くらい長い ?
中庭(Cloitre)の形も、聖堂(Eglise)に対する取り付け位置も何だか違うし、島の北側
の La Merveille『 驚嘆すべき巨大な擁壁』(後出)の角度も、微妙に違うみたいだ、、、。
(もしかしたら、ずれているのかな ? )空き地に見えるのは、岩石の崖や修道士のお墓 ?
現在の平面配置図 (もうビッシリ埋まっている、、、。陸繋島のトンボロは左下 )
drone による空中映像
Guglielmo da Volpiano ( ヴォルピアーノの聖ウィリアム ) その8につづく