あなたの毎日に楽しく実践!宇宙の叡智♪アーユルヴェーダドクターのブログ

アーユルヴェーダは、古代から人々を癒してきたインドの伝統医学です。おうちでできる簡単な免疫力アップ法!

夕方6時

2008-01-19 23:29:02 | ラッド先生の診察室
12月17日月曜日

夕方5じ40分頃にリキシャにのって市内中心部のラッド先生のクリニックに向かう。
診察時間は6時から。
20分あれば、間に合うはずだったが、プネー駅の周辺は大渋滞。
リキシャの運転手もあまりに進まないのでお手あげ。
遠回りの道を選んでみたが、やはり完全に止まってしまった。
結局ついたのは6時30分くらいだったと思う。

すでに診察が始まっていた。

めまいで悩む男性

高血圧のおばあさん

ひきつけの発作をおこした男の子

乾鮮症

皮膚にパッチがある少女

下痢、吸収不良の女性

アレルギー

良性前立腺肥大の男性

体の神経、筋肉のこわばりのある男性

膝の痛み
。。。

などなど、


そして、
気になったのはある女性

ここ最近12人もの友人がなくなってショックだという。
慢性甲状腺炎。
カルカッタに師匠をたずねてゆくべきかどうか、悩んでいた。

ピッタが高くなっている。

先生はストレスに良い薬とピッタを下げる薬を処方した。

占星術の表をみて、セカンドハウスにある星がピッタのバランスが乱れやすく、橋本病
になりやすいしるしがあることを説明された。

典型的なピッタの乱れの例だといわれて、
脈をきかせてもらう。

なんとなく、人を寄せつけないような印象。

彼女を最後に今日のクリニックはおわり。









手作りチャイ

2008-01-18 22:27:34 | インド生活
インドの家庭では朝、一杯のチャイから始まる。
午後の休憩にチャイ。
夕方にチャイ。

お客さんがきても、チャイ。
道ばたでも、チャイ。

インドのチャイカップは結構小さめ。
おちょこと同じかちょっと大きいくらいだ。

今日は、インドにくるきっかけ、アーユルヴェーダを知るきっかけになったスワミ=アサンガ宅へ。
アサンガは2年前に他界したが、彼の奥さん”アラディカ”に会いに行った。
アサンガが亡くなった後、初めての再会だ。
以前とかわらず元気そう。

さっそくチャイを入れてくれた。
彼女のキッチンにはチャイ用スパイスが混ざった容器がある。
まず、鍋に水をいれ、砂糖をざばっといれて火にかける。
スパイスを入れて、牛乳を入れて煮立たせる。
チャイ用スパイスは石を船型にくりぬいた形のすり鉢でつぶして粉にする。
カルダモンや、クローブなどが入っている。
普段のチャイは意外とスパイスの種類が少ないようだ。

お客様用の大きめのカップにたっぷりと注いでくれたチャイは甘くておいしい。


今日のおやつは豆や穀物の粉、砂糖、牛乳などでつくられたカラフルなお菓子。
おめでたい時や、高級なお菓子には銀箔が使われている。
結構甘い。

それから、さくさくとした甘味の少ないパフ(?)のようなお菓子。
これは、甘いチャイに浸していただくとおいしい。
カラチという会社の名前のこのお菓子はアラディカのお気に入りで、ここにくると
必ずある。

わたしも、すっかり好きになって毎日、ターメリックミルクにカラチを朝食代わりに
食べていた時期がある。

のんびりと二人でお茶をしていると、玄関のベルが鳴った。

野菜売りのおばさんだ。
かご一杯に人参、大根、トマト、ピーマン。。。
見慣れない形のものもある。
黄緑色の青いトマトのようなアムラという果物。
ビタミンCたっぷりピッタを下げる。
また、髪にもよくシャンプーにもよく使われている。

頭の上にかごをのせて歩いている彼女のような野菜売りを町でよくみかける。
結構重いのにふらふらすることもなくしっかりと運んでいる。

アラディカはおかげで一歩もでることなく何日も家の中にいることもある。
今は、娘のプラギャと同居していることもあり、ほとんどの用事は家にいてすんでしまう。

さっき珍しそうに手に取っていた私におまけをしてくれたアムラをかじってみると、
酸っぱい味の終わりにしわいというか、渋い味が残る。
ちょっとうれすぎたものだったようだけど、なんとなく体にいい味のような印象。

アサンガの命日、12月19日に再会する約束をして帰った。






アニータ

2008-01-16 20:50:37 | インド生活
アニータはキリスト教徒。
ヒンドゥ教徒に比べると少数とはいえ、キリスト教徒もいて、クリスチャンの学校もあるようだ。
ほかにも、シーク教徒、イスラム教徒もいる。
仏教徒には会ったことはない。
日本からきたというと、仏教か?と問われることもある。

ヒンドゥ教徒の名前には、神様や聖人の名前やサンスクリット語やヒンディー語が多い気がする。
ラーマやゴータマ、、、のように。

アニータのようにクリスチャンだと名前もインドっぽくない。
そして、英語がとても堪能である。
プネーは教育も盛んであり英語を話す人は多い。
高等教育が英語で行われている学校と地元の言葉で行われている学校がある。
英語で教育を受けたことに彼女は感謝していた。
やはり、収入がよくなるから。
彼女と同じように掃除や洗濯を仕事にしていても英語が話せないと
サラリーも半額くらい。



リバーサイドの仕事は掃除、洗濯だけではなくて、部屋の外国人オーナーが国に帰っている間、
部屋を他の人に貸して、管理すること。
建物の修理や近所の地元の人とのコミュニケーションなど役目は大きい。
もともと、彼女の母”アニー”が勤めていた。
私が住んでいたときも二人で仲良く働いていた。

彼女のだんなさんは、衣服の仕立て屋をしている。
男の子が二人。
家族をとても大切にしていて、いつも家族の話をする。
アニータに限ったことではないが、インドの友人にあうとまず、
”元気?
あなたのお父さんは?お母さんは?家族はみんな元気にしてる?”
と挨拶からはじまる。

わたしも、久しぶりにアニータと再会してさっそく、アニーは
元気?ときいたところ、ある朝とつぜん体が動かなくなり数週間
意識不明で入院していたという。
その後は右半身不随だときいて驚いた。

私が学生だったころ、一度ラッド先生のクリニックで診察を受けるため
付き添っていったことがあった。
そのときは、膝の痛みが悩みだったような覚えがあるが元気そうだったのに。

私が住んでいたとき、たまたま他の部屋が空室で建物に私しかいない日があった。
アニーは夜、私が一人で安心して眠れるように、下の階に一晩泊まってくれた。
ふたりとも本当にこころがあたたかくてありがたかった。
そんな彼女たちなので、部屋の住人も、オーナーもなにかできることはないか、
協力を申し出ているようだ。
リバーサイドのオーナーがクラニオ=サクラルバランシング(頭蓋仙骨療法)のセラピスト
を紹介して、アニーに受けてもらったり。
 
私も、ラッド先生の診察を受けに行くかどうかきいてみた。
半身不随などには、ハーブ入りオイルのマッサージがいいかもしれない。
すでに、近所のアーユルヴェーダドクターにオイルを処方してもらって
マッサージをしているらしい。
しかし、ラッド先生に脈をみてもらったら奇跡がおこるかもしれない、とアニータがいう。

クリスマスイブの日に一緒に行くことになった。















プネーにアーユルヴェーダ留学

2008-01-15 23:13:19 | インド生活
2007年12月16日
土曜日、日曜日はラッド先生のクリニックはお休み。
プネー市には、外国人が結構多い。

プネー大学の学生や教授、日本語の先生、日本企業の会社員に会ったこともある。

今回、久しぶりに以前すんでいた部屋を訪ねてみた。

コレガオンパークという外国人が特に多くすんでいた町。

川の景色のきれいなアパート、窓がおおきくて土手には、水牛が正午頃水浴びをしにやってくる。

3年間住んでいたときには、なんども引っ越したけれど、川のみえる部屋が

インドにしては少し閑静な住宅地にあり、居心地がよかった。

リバーサイドというアパート。

3階建てのたてものの1階は共同の居間(写真)と台所。
2階に2部屋、3階に1部屋。
それぞれシャワーとトイレがついていて、洗濯やそうじのサービス付き。
開放的な下宿?以上に快適。
今でもそのとき洗濯や掃除を手伝ってくれていたアニータとはとてもいい友人だ。

彼女の携帯に電話をしてみたがつながらなかった。
でも、回線状態の悪いインドのこと、きっと彼女は変わらず、働いているにちがいないと
直接訪ねた。

リバーサイドには10件くらい同じ様式の建物が並んでいる。
入り口の警備のおじさんも以前と同じくかわらない無表情。
私のことを覚えているかわからないけど、アニータのことをきいてみた。
1時頃にくる、といっているようだ。

いない、と言われてもいることもある。
とりあえず、のぞいてみた。
やっぱりいない。

ついでに近くの部屋で空きがあるかどうかきいてみる。
ここでは、短期間でも部屋を貸してくれるので直接ドアをノックする。
リバーサイドは特に外国人ばかりが部屋を借りている。
居心地のよい理由は、外国人としてジロジロとみられたり、詮索されない
感じにもあるかもしれない。

たまたま、東洋人の女の子があるドアの前で立ち話をしていた。
近寄っていって空き部屋があるかどうかしらない?ってきいてみた。
中に入って誰かに声をかけている。
なんとなく、日本人ぽい印象をうけたので”もしかして日本からきた?”と
きくと”日本から”
 なんとなく安心して、自己紹介をする。
奥から、イタリア人ぽい男性がでてきて、”部屋はないよ。ごめんね。
空っぽなのは僕のハートだよ”なんてことをいっている。
思いきり3人で笑った。
サンキューといって立ち去ろうとしたところに懐かしい顔に出会った!
アニータだ!
ぎゅっと体ごともちあげられて小さい子供をふりまわすようにぐるっと一回転。
ひさしぶりだね~なんて言ってる間もにぎった手をはなさない。
 アニータが先ほどの男性に私が以前アーユルヴェーダを勉強するために
ここに住んでいたことを話した。
すると、
なんとその彼女もアーユルヴェーダのために留学をし勉強を始めたところだという。
これから三年間。プネー大学で短期コースをうけるそうな。
 キラキラした笑顔をみてなんだか懐かしくなった。
プネーのアーユルヴェーダ留学生に会ったのは初めてだ!!!
いろいろ大変なこともあったけど、楽しいことも本当にたくさんあったなあ。
 







肺炎の病歴と占星術

2008-01-14 23:31:50 | ラッド先生の診察室
昨日、ちょっとふれた占星術。
インド占星術は9星、12星座。
生まれた時刻何月何日何時何分、どこにうまれたか緯度経度から計算してつくられた表を
インド人は母子手帳同様、大事にもっている。
なかには、占星術師に読んでもらったコメントもある。
 占星術師に、生まれた時刻と生まれた町をつげると表をつくってくれる。
最近では、コンピューターのソフトウェアも開発され、表だけでなく
なにが読み取れるのかも打ち出されたりする。
町中には、そのようなソフトウェアをもったお店があって、だれでも簡単に手にすることが
できる。
 インドの家庭では今でも見合い結婚が盛んであり、その都度、重視されるのが
占星術だ。
 星の表をみると、その人のすべてがわかるといわれるくらいである。
知り合いの宝石商の男性は、見合い結婚をするにあたって250もの女性の表との相性をみたそうだ。
決して昔の話ではなく、彼は私と同年代である。
ちなみに、宝石と星の関係も深く、占星術表から身につけると良い宝石やまたそれにあった金属というのも
つげられる。
そのため、インドでは男性も金の指輪や宝石のついた指輪をはめている。
 
 ところで、この占星術表、ラッド先生の診察時に患者さんの病気や悩みの相談に用いられる。
表からはうまれもった体質(プラクルティ)、現在の体質(ヴィクルティ)から、かかりやすい疾患の傾向まで
みられる。
また、不妊のためにおとずれたカップルのそれぞれの表をみくらべて、いい時機や手だてなどをアドバイスしたりする。
そればかりではなく、たとえば、この星がここにあるからもともと肺炎になりやすいからきをつけるように。
と言った具合である。
 対処法のひとつは先にあげた宝石を身につけることも一つの方法。
面白いのは、普段なにげなく日曜日、月曜日、火曜日。。。といっているが、
日曜日は太陽。月曜日は月、火曜日は火星、水曜日は水星。。というように関わりがあるとしていること。
それぞれにあった宝石、たとえば、日曜日は太陽のごとく真っ赤なルビー、月曜日は月のような真珠、
火曜日は火星に近い性質をもつといわれる珊瑚、といったように。
それぞれアドバイスをうけた宝石を、真珠なら銀でつくった指輪を月曜日につけ始めるように、とか。

 インドでは数学なども発達していて哲学や理屈もたくさんあるけれど、それ以上に言葉や考え以上のものがあることも
当然のように受け入れられ、尊重されている。
それは長い歴史のなかで、きっとなぜかわからないけど、そうだった、というのもあるだろうし。
理由はわからないけど、そうであることを知ってしまったら理屈はどうでもいいというのもあるかもしれない。
しかし、インド占星術はデリーのほうに大学まであるほどだ。
数年前、その学校の生徒がラッド先生の夏期講習を受けるため、はるばるアメリカまできていた。


 

アーユルヴェーダクリニック

2008-01-13 17:52:29 | ラッド先生の診察室
インド、マハラシュトラ州、プネー市。
ボンベイから南東200km。人口254万人。
デカン高原に位置する、古くから学問の栄えた町。
近年、IT企業やコールセンターが新しいビルを建設し、
町はさらに発展を続けている。

タクシーの運転手さんの話では気候もよく、デモや紛争のないこと、
また、英語を話す人が多いことが人気の理由らしい。

そんなプネー市の旧市街の大きな商店街”ラクシュミロード”の近くに
アーユルヴェーダ医師ヴァサント=ラッド先生のクリニックがある。
プネー市は、実はアーユルヴェーダの伝統のある町でもある。
アーユルヴェーダ大学だけでなく、今でも錬金術師や伝統を受け継ぐ
人たちがいる。
 そんな伝統を師から受け継いでいるラッド先生は、プネーでも有名で
テレビや新聞の取材も多い。
町で”何をしてるの?”と地元の人にきかれて”アーユルヴェーダをラッド先生から
学ぶためにきた”というとたいてい納得してもらえる。

夜8時になっても人通りが絶えない、にぎやかなラクシュミロードを一本はいった
道路沿いの建物の2階にラッド先生の息子の名前と同じ”プラナウ クリニック”がある。

ここでは、毎年、アメリカでの講義を終えた8月から12月までラッド先生が
地元の人たちを診察している。

毎日夕方6時からの診察時間を前に、5時半の受付時には順番を少しでもはやくしようと
サリー姿の女性が並び始める。

待合室の奥が診察室。待合室には履物をぬいで清潔感のあるタイルばりの床に白いプラスチックの椅子があり
患者がゆったりと腰をかけてまつ。
患者はまず、ひとりで訪れることはない。
たいていは、つきそいの家族が一緒だ。
つきそいも一人ではなく家族全員がそろってくることも珍しくない。
しかも、それぞれがついでに(?)診察を受けて帰るので、
2~5人ほどの患者が一度に診察室に入る。
待ち合い室には常に患者が8人ほどいて、診察時間がすぎても
人が絶えない。

ラッド先生に欧米で学んだ卒業生が患者の診察に立ち会う。
初日のクラスメートは先月から行われていたプネーでの臨床研修”グルクラプログラム”を
終えたばかりの学生が、先生のもとを離れがたいのか、二人。
ドイツで現代医学にアーユルヴェーダ治療をとりいれている女医さんが二人。
アメリカのアーユルヴェーディックインスティチュートを卒業した男性が一人。
 ドイツの女医さんはそれぞれ、自身のクリニックでアーユルヴェーダの薬も取り入れたり
パンチャカルマを行ったりしているらしい。
また、そのうちの一人はDR.Karin Grammingerといって、毎年夏にラッド先生のアーユルヴェーダセミナーを
仲間内の医師、医療従事者を中心に行っているそうだ。
(www.euroved.com)

ほとんど初対面であるが、私が診察室に入るとまるで昔からの知り合いのように横の椅子をすすめてくれた。

私は今回こんなにもクラスメートがいるとは思わなかったが、とても居心地のよい空気にほっとした。

受付嬢に順番を呼ばれた患者さんがナマステをしながら笑顔で診察室に入ってくる。
ラッド先生の机の横と前の椅子に患者さんとつきそいの人がそれぞれ座る。
まず、何に困ってやってきたのか、患者さんが身振り手振りで話す。
英語のできる人をのぞいては、マラティー語なのでさっぱりわからない。
たまに知った単語がでてきたり、英語が混じると想像を働かせる。
ラッド先生が英語で何の患者さんか話してくれる。
 まず、患者さんを診察台に座ってもらい、両手で脈をきく。
そして舌をべろっと出してもらい、何が観察されるかみる。
たとえば、舌が紫色になっていると胆のうの機能が低下しているとか。
白くこけで覆われていると未消化物(アーマ)があるとか。
 それから仰向けになってもらい、触診をする。
肝臓が腫れていたり異常があると生徒が順番で感覚を確かめる。
そして、主なマルマポイントを刺激して、背骨の曲がった患者さんには整骨を施したりする。
ストレスをためこんだ患者さんにはサボテンの成分の入った目薬をさし(ネトラビンドゥ)、すーっとする
オイルを鼻にいれる(ナスヤ)。
ちょっとしたマルママッサージもぱぱっと手際よく、しかしていねいに、行われる。
 約5分ほどの短い時間にもかかわらず、診察台から起き上がった患者さんの顔は晴れ晴れとしている。
目薬のせいだけではない輝きが感じられる。
 そして、椅子に戻って薬が処方される。

例えば、C型肝炎の男性
2年間にわたって罹患。
輸血は受けたことはなし。
食欲はある。
消化も問題ない。
うまれたときの体質(プラクルティ)はヴァータ:ピッタ:カパが2:3:2であるのに対し、現在の体質(ヴィクルティ)が2:4:2と
ピッタが乱れている。
エネルギーが落ちており、胆のうの機能に低下がみられる。
舌が紫色になっていて、未消化物(アーマ)がある。
肝臓の脈も弱い。

処方
1)アロッギャワルディニ 250mg
  スーツシェカ サダ 200mg
  シャンカプシュピ  300mg
  を各1錠、毎食後、1日三回、ぬるま湯で服用のこと。
2)クマリ アーサワ 小さじ4杯を同量の水で薄めて食後服用。
3)ブーミーアマラキ 小さじ1杯を就寝1時間前に服用。

 あぶらこい食事を控え、この処方を3~5ヶ月間継続のこと。
また、食間には新鮮なヨーグルトにベーキングソーダを混ぜたものがウイルス性肝炎にすすめられる。
ヨガでは、ブリッジのポーズや船のポーズ、ロータスなどがピッタのバランスによい。

診察時間は一人あたり約20分。
先生はいつも薬が病を治すのではないとおっしゃる。
アメリカで肝硬変が進行し、肝移植をすすめられた男性が、先生の治療により移植が不要になり、西洋医学の
医師も驚いたというような例をもつ。

なかには、生まれた日の占星術表を持ってくる人も少なくない。
先生はあくまでも医者であり、占星術の学問ははかりしれないほど深いので占星術師では
ないとおっしゃる。
しかし、病気になる影響も占星術から読み取られることも多く、家族関係を始め、いろいろな悩みを
もった患者が占星術表を手に相談に訪れる。

それらについてはまた、次の機会に。。





 









プーネの町をリキシャ(自動三輪車)で走る。

2008-01-12 02:23:26 | インド生活
プーネ1日目!
思ったほど寒くもなく、暑くもない。
昼間は半袖、Tシャツだけでも平気そうだけど、わたしは寒がりなので
フリースを着る。

インドの樹々は年中葉っぱをつけていて、プーネ市内の住宅地の道路を緑で囲んでいる。

町中を移動する簡単な手段は、オートリキシャとよばれる三輪車タクシー。
タイでは確か、トゥクトゥクと呼ばれるはず。
バイクのエンジンをのせたこの車は、1キロ8ルピー=約30円。
ちなみに、市内バスの初乗りは2ルピー。

この便利なオートリキシャは短距離の移動に便利。
市内の行きたいところを告げて、乗り込む。
リキシャの運転手(リキシャワラという)が、メーターをかちーん!と倒して
走り出すとガタガタガタガタ、ガタガタガタガタと揺られながら進んでいく。
窓もドアもないが、ひさしが低いのでかがんで外をながめる。
リキシャによっては、クラクションを改造したり、屋根の色を張り替えたり、様々。
だが、タクシー用の目印は黄色の車体に黒の屋根。
久しぶりの町は、きれいに舗装された道路が増え、リキシャの乗り心地も少しよい。
それに、なんとなく視界が以前にくらべて明るい気がする。
あとで聞いたことには、ガソリンの質が変わったそうな。
それでもまだまだ排気ガスで白く曇った景色を日本から持参した2重のマスクで顔を覆って目を凝らす。
真新しい、ガラス張りの大きな建物がずいぶんと増えた!
ビジネスホテル、ショッピングモールがピカピカしている。
それに、以前からある軽自動車だけでなく普通乗用車も多くみられる。



 ここ数年のプーネ市はIT企業の進出が目覚ましく、車の交通量が年々増えている。
リキシャは大きなトラックや、トヨタカローラ、スズキZEN(アルトだとおもう)
ベンツなどの隙間をぬって走る。
車間距離なんて、あったもんじゃない。
後ろからバスがぷあーん!とクラクションを鳴らす音には心臓がひっくりかえりそうになる。

お昼時と夕方のラッシュ時なんて、全く動かないほどの大渋滞。
リキシャは歩道の上をまるで亀が全速力で逃げるように走る。
車線はあって、ないようなもの。

牛が荷物をひきながら歩いているし。
高速道路のはずなのに、人が横断しているし。
ロバが道の真ん中で、たたずんでいる。

 一応ある信号と警察官がススメ、とトマレの指示をだしている。
交差点でリキシャにのって止まっていると、物乞いやら、物売りが近づいてくる。
あるときは、ジャスミンの花を糸に通した髪飾り。
または、インドのカレンダー。
なぜか、世界地図。
操り人形。
オレンジ色の窓ふき用ぞうきん。

ジャスミンの髪飾りを買っている人は見かけた。
だけど、他のよくわからない品物を
車の窓をあけて買う人はみたことがない。

リキシャにのっていると物乞いの手が膝をたたく。

早く信号が青になってくれるように、どきどきしながら
じっと前をみる。

道ばたのチャイやさん。
キオスクほどの雑貨屋さん。
金物屋さん。
八百屋さん。
散髪屋さん。

どれも大きい店構えではないが、ガラス張りの大きなショッピングモールより
活き活きとしている。

今日は、リキシャにのって、プーネの町の城下町とでもいえる中心部にある
アーユルヴェーダのクリニックに向かう。
 早朝ついたばかりだが、今日は金曜日。
クリニックの先生であるヴァサント=ラッド先生は土日は休診。
3日後まで会えなくなってしまう。
 
 インドのあたたかさが気持ちよくて、寝不足のはずなのに
全く平気。
 
それに、これからのプーネですごす3-4週間を思うと眠っているのが
もったいない。

 ラッド先生のクリニックでの様子はまた明日。








プーネにつくまで。

2008-01-11 00:43:04 | インド生活
日本からボンベイの飛行機は、夜中に到着する。
関西空港を出発したのが午前11時10分。
途中、タイのバンコク国際空港で乗り換え、約4時間待ち。
ボンベイ到着は午後10時。


タイの空港がずいぶんときれいになっていて驚いた。
ブルガリやコーチといったブランド店がピカピカ光っている。
3年前は、確か、もっと暗くて、狭くて、蘭が売店でお土産用に売られていたのを
覚えているくらい。コンクリートの壁は灰色だった。
 
なのに!
端から端まで1キロかと思われるような大きな空港に変わっていた。
日本から到着したゲートからボンベイまでの出発ゲートまで土産物屋に、ブランド店
がずらり。
機内での快適さを優先した普段着のパンツにトレーナー姿の私にはまぶしかった。

あまりにも搭乗口が見当たらないので途中のベンチで一休み。
ベンチはしっかりとお店の方を向いており、買い物の誘惑がいっぱいだ。

早々に乗り換え口に向かった。
動く歩道まである!

ようやく乗り換え口についたもののまだあと3時間もある。
ほとんどまだ誰もいない。

となりのベンチに腰をおろしたインド人は横になって眠っている。
私も横になってみるものの落ち着かない。

何をしてすごしたのか思い出せないけど、とにかく飛行機に乗って
ボンベイ空港についた。
大阪を出発して約14時間半!

ボンベイ空港についたら、荷物をひきとる前にお手洗いをすませておく。
一人旅なので、空港でトイレを借りるにも荷物番がいないから。
そして、荷物をもって、税関を出たら、インドルピーへ両替。
両替所の前には、なんとなく人が順番を待っている。
なんとなく、、というのは、列があるようで、ないこと。
わらわらっと入り口に7-8人、待っていて、おそらくこの人の後にいけば、
順番が来る、と目星をつけて待つ。
そして、新しく列に加わるひとにそれとなく、順番待ちを背中で伝える。。
しっかりとみていないとどんどん順番がぬかされる。

ようやく両替をおえて、空港の外に出る。
ここから、プーネ市まで約3時間半。
夜中とは思えないほどの出迎えの人だかりとタクシーの客待ち、、いや客引き。
プーネ市の宿泊先の門前まで、タクシーだと約9000円。
のりあいシャトルバスで約1500円。

いずれも予約制だが、のりあいシャトルバスはとても人気なので、たいてい出口の一番右端にプラカードをもって
誰かしらの迎えにきている。
案の定、今回もプラカードを見つけたので、プーネまで行きたいと告げてついていく。
一応、日本から予約をしていたが、予約は入っていなかった。
でも、そこは何事にも流動的なインド?問題なく、のせてもらう。

途中、高速道路でひとやすみ。
夜中なのに、なんでこんなに人がいるんだろう。
水を買って車にもどる。

あいのりしている他のメンバーはインド人ビジネスマンが3人。
インドに来たのは初めて来たのか?とか、学生か?とか
きかれる。

たいていいつもある質問は
”インドは好きかい?”

そんなときの彼らの表情はきまって誇らしげだ。

今日もインドは好きだ、と答える。
しかし、
”日本とインド、どっちがいいか?”
ときかれると困る。
比べられない魅力がある。

”どっちも好き”
とこたえると物足りなさそうな顔をする。

そして、バスは思ったよりもはやくプーネの宿泊先に到着した。
いつのまにか、眠っていたらしく、後ろのビジネスマンがおこしてくれた。

あわてて、おりて部屋にチェックインしたのが午前5時くらいだったと思う。

午前8時に起こしてもらうよう、フロントに頼む。
疲れているはずなのに、なつかしい匂いとあたたかい空気にうきうきしながら、シャワーをあびて、ねた。
インド到着1日目、修了。







プーネから帰ってきました!

2008-01-10 23:43:27 | お知らせ
先月よりインド、マハラシュトラ州プーネ市に行ってきました。
スタッフダイアリーのブログに3回ほど、かきこみましたが、あまりにもいろいろあって
気持ちがおいつかず、報告ができませんでした。

昨日の夜、帰宅し今日から出勤!

忘れないうちに、プーネでの出来事などを毎晩少しずつ書き込みます!!