ぼうぼうの受験生&受講生日誌他

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雪の思い出(その2:山陰の思い出)

2016年01月24日 | ただの日記
西日本では厳しい寒波のニュースを報道していました。
天気予報では、我が家の居住地域の積雪は、2cmとありましたが、幸い、降雪はなく、助かりました。
良い方向で、天気予報が外れるのは良いことです。
でも、朝から強風が吹いています。
さて、本日は、雪の思い出、第二段です。
今から丁度30年前の正月、昭和61年1月です。
もう一つの雪の思い出として、思い出したことがあります。(某大臣のように30年前の記憶を遡ってのことなので、若干、時間等に誤差があるかもしれませんが、相違があった場合は、ご容赦ください。)
私は、昭和60年3月にK大学工学部建築系の学科を卒業し、同年(1985年)4月に、ABC社に入社しました。配属先は、山陰でした。
入社、配属され、9ケ月を経過、社会人として初めての年末年始、関東方面にある実家に帰省しました。
帰省に際しては、飛行機、寝台車、特急+新幹線、自動車などの選択肢がありましたが、移動の時間を考慮し、往復空路のパターンを選択しました。
このとき、同期入社のA君(T大卒)と一緒に帰省することにしました。

出発の日、山陰の空港から羽田空港へ、会社の納会終了後、即刻空港に向かえば、その日に、実家に帰省できます。この時期は、偏西風の影響をまとに受け、飛行機も大型でないので、かなり揺れ、約1時間30分、苦痛の空の旅でした。
でも何とか、無事に、実家に到着しました。
そして、どうしたこうじたで、大晦日、三が日が過ぎ、1月4日は、山陰に戻る日です。
羽田空港から山陰の空港に戻る最終便です。
実家で、いろいろ山陰に戻る準備をして、午後には、出発、A君とは、羽田空港で待ち合わせです。
ところが・・・・・ところがです。
浜松町からモノレールに乗り、羽田空港に到着、A君と合流、早速、搭乗手続き、そうしたら、「山陰空港方面は、雪のため欠航」です。その日の最終便です。
次は明日、状況によっては、明日もどうなるか不明とのこと。
さぁ~どうするか?
私もA君(?)も真面目な正確、入社1年目で、正月早々、出社せず、偉い方々の新年の挨拶、方針などを聞かずに、欠勤するのは、まずいだろう!と思い、それでは、「どうするか?」という話になりました。
私もA君も、実は、ABC社に入社したものの、配属先が山陰方面であったことに「やや不満」があり、二人は、「これは、神のお告げで、この欠航は、会社を辞めて、出直せ、それぞれ実家に帰るか?」と会話が盛り上がりました。
それでも社会人です。
何とか山陰に戻る手段は無いか、検討を始めました。と言っても、今のようにネット、携帯、スマホの時代ではありません。本屋で、JR時刻表を調べ、他の空路の可能性、寝台等、あらゆる可能性を模索、
1) 空路:現地が大雪なので、この可能性はなし
2) 寝台車、夜行列車は、既に予約で満席(空路組がそちらに変更)
3) 新幹線+特急は、時間的に当日到着NG、尚且つ、そのルートも雪で厳しい状況
このとき、やっぱりこれは「神のお告げか?」と再び二人で話したことを思い出します。半分、二人で笑ってましたが・・・・
4) 最後の手段として、可能性の一つとして、新幹線+夜行列車、でもこれも綱渡り
結局、時刻表を購入し、まずは、羽田空港から東京駅へ移動、モノレールの中で、時刻表とにらみ合い、西村京太郎のトラベルミステリーの世界です。また、私もA君も「鉄ちゃん」ではありません。
幸い、私もA君も「地理」には、自身がありましたので、概ねこのルートで、といった目星をつけ、まずは、新幹線で、新大阪に移動することになりました。
新幹線の車中で、その先のルートを具体的に調べました。
新大阪駅到着は、正確ではありませんが、21時前後でした。
結局、この時点で、今日の今日到着することは「ゼロ」でした。ところが、夜行列車が大阪から出発、翌朝、5時に最寄り駅に到着、その最寄り駅になんとか到着すれば、8:15の始業時間には間に合います。
即刻、駅員にこのルートについて、この時点の情報を確認し、夜行列車ルートで、切符を購入、乗車しました。
夜行列車です。そのころの急行列車、寝台車量もありましたが、我々は通常の席、ともかく、大人しく、時が過ぎるのを待ちました。
京都を過ぎ、兵庫県、日本海側に向うに従い、降雪量が増え、時間通りに進むか不安になりましたが、所詮、「まな板の鯉」、開き直って、眠ることにしました。
そうして時間が過ぎ、我々の降車する最寄り駅の一つ前に到着、時計を見たら、予定時間より1時間の遅れでした。そうして、無事、最寄り駅に到着、6:30、そうしてその最寄駅から、会社の寮へ移動、周辺は、約30cmの新雪による積雪、駅から寮までの1.5kmがとっても長く感じました。
やっとの思いで到着、着替えて、朝食を食べて、再び寮から会社に歩いて、移動、とっても疲れた。疲労困憊の仕事はじめでした。
今は、ネット、携帯など情報収集、運航状況、移動ルートの検索も容易ですが、その当時は、本当に、スリルな一日でした。
この課題を、どのような手段で、どんな方法で、最適化するか、そう言ったことの訓練になったように思います。
今は、異常気象や、電車のトラブルなど、携帯・スマホへ、タイムリーに交通事情の連絡が届く時代で、いろいろ回避する手段を見つけ出すのが容易ですが、当時は、アナログです。結構、スリリングな経験でした。
ちなみに2年目の年末年始は、再び空路で帰省、このときは、無難に帰省ができました。3年目以降は、転勤により、一都六県の地域に戻ることができ、ゴールデンウィークやお盆、年末年始の「帰省」から解放されました。
(実家には車で2時間圏内の事業所へ転勤)
そんな「雪」に纏わる思い出です。
(意見には個人差があります。)