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のんびりだらだらあれとかこれとか…
あれとかこれとか (Lefty)


えっと。
今日って2024/03/14 ですよね。
ということはブログ開設20周年ってことか…。

とはいえここ10年は本拠地はほぼツイッターで、
そのツイッターもなんかXって名前に変わって機能的にも雲行きが怪しくなり…

ブログサービスにしてもさまざまなブログサービスが閉鎖したりしてるわけで、
そのなかでもサービスが続いていて、20年前の文章が変わらず読めるってのはありがたいですね。

まあきっと今後もこんな感じでほそぼそと続いていくと思うのでまあそんなかんじで。
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ちょっと前にコンビニで「1980年代アイドルの歌唱力評価」的なの立ち読みしたのですが…。
松田聖子、中森明菜が星5、河合奈保子が星4で
まあ彼女は過小評価されがちだよねと思ったら
早見優が星2で堀ちえみが星3。
流石に声出して突っ込みそうになりました。

もっというと、後日確認したら荻野目洋子が星5…
歌唱力っていったい…。
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マクドナルド、「ヘーホンホヘホハイ」発売 中身はホクホクハフハフな“あのパイ” - ねとらぼ

マクドナルトが一時期の不振からここ数年でいわゆる「V字回復」を遂げたのは知ってるけど…
マクドナルドはなぜ急速に業績回復できたのか? | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online

それって、価格帯や商品ラインナップの見直し、店舗運営の改善や期間限定商品のヒットなどが要因で、
けしてこういう注文に二の足を踏ませるような馬鹿げたネーミングが貢献してるわけではない……と思うのだけど。

…と先日「ベーコンエッグバーガー」を注文した私は思うのです。
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今時個人ブログでエイプリルフールだからって頑張って嘘記事書くなんてなかなかいなiいのでしょうが…。




以前私が努めていた会社は毎朝朝礼があって、
その中で毎日交代で担当する朝礼の司会役が
3分間スピーチ的なものをやるという風習がありました。

私も当然時々担当していて、なんだかよくわからない話をやってた記憶があるのですが、
一部の方にはそれなりに好評だったようで、退社するときの送別会で
「スピーチよかった」みたいなことを(社交辞令込みでしょうが)言われたりしました。

そんなこんなで、何年か前の4月1日。

ちょうど私が司会の担当。

「あ。ちょうど今日はエイプリルフールか…なら」
と思って社内では私が楽器やってるというのは知られてたので。
こんな感じのスピーチを準備しました。

「私事で申し訳ないのですが、ちょっと前に自主制作のCDを作りました。
 インディーズなのでなかなか店頭では見れないと思いますがよかったら買ってください……って今日はエイプリルフールなので願望込みでこんな話をしてみました。」

微妙にありそうなレベルの話で、みんな反応してるかな?と思いつつ司会をして、
さてスピーチの時間。と思ったら横から社長の一声。

「はい。今日は年度始めということで、私の方から一年の抱負を述べたいと思います。」

ああ…そうですよね。エイプリルフールというかむしろ年度始めですよね。4月1日って。

これが、ネタ単体では微妙なのであとで「こんな話するつもりだった」
といっても通じる感じじゃなく。結局そのままお蔵入りしてしまいました。




今日は土曜日ということもあり、いつにもまして静かなエイプリルフールをみて、
ふとそのことを思い出したのです。
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「大御所芸」ってのがあると思うんですよ。

ある程度以上の大御所が、
自分が飛び抜けて立場的に一番上ので「気を使われている大御所」という状況の時、
その立場や芸歴などをいい意味で鼻にかけたり適度に下克上受けたりでそれを芸にするという感じ

昔の内海桂子とか、現役で言うと伊東四朗とか、
タイプは違うけどいい感じで「大御所芸」をしてたと思うんですよ。

それで思い出したのですが、昔のかくし芸大会での「銅像コント」もそれに近いかもしれないです。

芸人以外で言うと、その辺りがうまいと思うのが泉ピン子。
絵に描いたような「嫌味な大御所女優」を演じてる感じで。
さすがコントとかも数多くこなした女優だなと思います。

いや。なんでこんなこと書いてるかというと、
今見ているTHE MANZAIにビートたけしが出てるのですが、
「この人大御所芸できないよな」というのをつくづく思うんですよね。
自分が「気を使われている大御所」という自覚が感じられないというか…。
昔から軍団に囲まれて持ち上げられているのが通常運転だからなんでしょうかね?

むしろ最近ならさんまのほうが大御所芸は上手いんじゃないかという気がします。
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先日、高校の同窓会があって、出席しました。

以前の記事(→でもやっぱり戻りたくはないな…)の当時と比べると地元の同級生とかと会う頻度が増えたというのもあり、
「壁の花」になることもなくそこそこ楽しく過ごせました。

ただ、その時に大変だったのが、「えっと…だれだっけ」という状態になったこと。

いやまあ。正直な話、当時の私は学校でそこそこ有名だったし、
見た目も当時とそう変わってるわけでもないらしく、
一目見てちゃんと名前で声かけられてたのですが、
私のほうが、相手の名前をなかなか思い出せなかったりしました。

そこで思ったのが
「やっぱり同窓会には名札が必須だよな」ということ。

「同窓会 名札」で検索すると結構ヒットするので、
やっぱり名札をつけるのは一般的かもしれないですね。

ただ、検索で飛んでみた先でみた
「結婚して性が変わった人はどうするの」
という話題を見て気づいたことが…。

これは地域的な話なのかもしれないのですが、
結構な割合で「フルネームで書かれてもピンと来ない」
人がいるんですよね。

私自身そうなのですが、呼ばれるときはもっぱらニックネーム
沖縄的名前省略法 だったり全然関係ないニックネームだったり)
で、そもそも姓も名前もフルネームで覚えていない・覚えられていない
という人は結構います。
(なので上で書いた「私の名前」も正確にはニックネームです)

そう考えると、事前に印刷するんじゃなくて、
受付の時に本人に書いてもらった方がいいかもしれないですね。


…という話を同窓会のなかで話題にしたのですが、その中で誰かがいった一言。

「でも、普通の名札の大きさだったら小さすぎて見るの大変かも」

うん。確かに年齢考えるとそうかも。
次に同窓会があるならその頃はさらに進行してそうだし、
A5サイズくらいにして印刷しないといけなくなるかもしれないですね…。

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なんかいろいろ話題になってますが、ドッジボールの話。

ドッジボール、学校での強制参加を禁止にするべきでは?|勝部元気のラブフェミ論

私の意見としては
「ああ。言われてみればあれを学校でやるメリットって
 よくわからないし、書かれているようなデメリットって大きいので
 廃止でも構わないかな」
という感じです。

ただ、それはそれとして私の中では
ドッジボールにあまり悪いイメージが無いんですよね。

正直私は運動が苦手で、かついじめられっ子側。
学校の体育の時間は嫌だったです。
で、球技とか(特に野球系)嫌だったという記憶があります。

ただ、それでもドッジボールにはそういうものが無くて、
内野で避けまくって(当然最初に狙われてすぐ当たる)
外野でこぼれ球拾いに走るだけで結構楽しかった記憶があるんですよね。

私の場合と上のリンク先にあるような
「トラウマになるようなドッジボール」
との違いはなんだろうかと考えてみました。

1.厳密な勝利を要求されなかった

別の言い方をすると「ガチじゃなかった」という感じ。
私がドッジボールをやってたのは小学校の授業と高校の球技大会。
小学校の授業の場合はある程度体力差を考慮して
適当に組み分けしたその場のチーム。
高校の場合、球技大会と入ってもクラス対抗ではなく
「兄弟学級対抗」のお祭り的なもの。
(40人vs40人って感じの大人数変則ルール)
それに向けての練習とか勝った負けたをあとに引きずるとかは
全くない状況でした。
そういう理由で、「足を引っ張る」とかそういうのを考えずに
適当に逃げてあたって球拾いに走って…という感じで
できたというのは今考えると大きいかなと。

あ。小学生の頃休み時間にやっている人はいたけど
そんなガチ勢にはさすがに参加していませんでした。
そこが「強制参加」だったらまた違ったでしょうね。

2.「吊し上げ」的な発想がなかった

とりあえずそういう発想が一番強いであろう中学時代は
一切ドッジボールはなかったです。(←多分重要)
小学校時代は「とりあえず弱い奴は早めに外に出せ」と
狙われることは多かったですが、無駄に強く当てるという発想は
みんななかった記憶があります。
ましてや、「顔を狙う」なんてことはなかったし。
で、高校時代のやつは、完全な即席チームだったし、
人数が人数なので、「とにかく投げる」って感じでした。
そんなこんなで顔に当たることはほぼなかったし、
腕とかに強いボールがあたったりしても
そこまであとを引くことはない感じでした。

ということで、私の環境とか偶然の要因で、
ドッジボールが「いい思い出」になったんじゃないかと思います。
(と言うか、高校の球技大会のお祭り感がすごく印象にあるので
 それに引きずられてるのかも)
その辺り違う環境だったら私も嫌いになってたかもしれないですね。


個人的に思うのは、90年頃の「スーパードッジ」ブームで、
ドッジボールが「ゆるい遊び」じゃなくなったのかも
しれないと言うこと。
バスケとかのノリでドッジボールやったら確かにきついかも…。

まあ、そういうゆるい遊びだったとして、
それを体育の授業でやるメリットって?って考えたら
別に廃止でもいいんじゃないかなという気はしますが…。
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豚肉生食禁止:「生の方がおいしいのに」客から惜しむ声 - 毎日新聞

「え?そもそも「豚肉を生で食うな」なんて常識でしょう。」

という反応がネットを見る限り大半ですし、私自身常識だと思うのですが、「現在の飼育環境において豚肉に菌や虫が居るから生で食べてはダメというのは都市伝説だ」とか、「生ハムだって火を通していない豚肉じゃないか」とかいう話も見かけて、
私が把握できる限りの正確な情報が知りたくていろいろ調べてみました。

●何が危険なのか

・解体時に糞尿がつくため危険?
→それは豚肉に限った話ではなくまた表面を使用しないなど対処はある程度確立している

・豚肉はトキソプラズマ原虫に感染しているから危険?
→昔から生で食うなと言われていた原因その1
 ただ、現在はリスクゼロとはいかないまでもほとんど見られなくなっているようだ。(*1

・豚肉は細菌に感染している率が高いから危険?
→昔から生で食うなと言われていた原因その2
 SPF豚など、飼育方法によって「ある程度」リスクは下げられるが完全ではない。(*2 , *3 )

・E型肝炎ウイルスに感染しているから危険?
→今回の処置の一番の理由(ですよね?)
 SPF豚の基準にE型肝炎ウイルスは含まれていない
 内臓は通常の肉よりも高く、特に肝臓はウィルスが最も集中する臓器である。。(*4>)

●食べ方・加工法による違いはどうなのか

・生→上記全てについて未対処
・加熱→十分に火を通せば原虫・細菌・ウィルスともに殺すことが可能。
・非加熱加工(生ハム等)
→塩漬けにしておくことで原虫・細菌のリスクはかなり下がる。
 ウィルスのリスクは情報なし(この処理でリスクは減らない?)
 ただし(内臓以外の)市販のものからの感染例は2009年時点のフランスでは確認されていない
 (飼育環境などを含めた管理のおかげ?)

●最初の疑問点について

・現在の飼育環境において生で食べてはダメというのは都市伝説?
→ 「豚肉にコーラをかけると…」という動画が一時期話題になったが
 それは捏造動画らしいのでその意味では都市伝説と言うのは正解。
 とはいえ生食のリスク自体が都市伝説というわけではない。
 捏造動画のネタが割れた反動で逆方向の都市伝説ができたのかも。

・「生ハムだって火を通していない豚肉じゃないか
→細菌・原虫のリスクは対処されている。
 ウィルスのリスクは減らないが感染例はないっぽいので自己責任でという感じ?

●結論
・豚肉生食ダメ!焼き肉でもドング等の扱いは注意!
・生ハムは(内臓でなければ)大丈夫っぽいけど理屈上肝炎ウイルスのリスクはあるよ。


ネット上で調べただけなので勘違い等あるかもしれませんがこんなかんじかと。
参考リンクがない場所があるので後で補足するかもです。





参考:
*1 :「SPF豚・無菌豚の正しい知識を!」 - 豚肉ランド
*2: 日本SPF豚協会 - SPF豚とは?
*3: 日本SPF豚協会 - SPF豚に関するQ&A
*4: 食品安全関係情報詳細 フランス食品衛生安全庁(AFSSA)、動物由来E型肝炎ウイルス(HEV)のヒト感染に関する衛生リスク評価意見書を提出
肝臓はHEVが最も集中する臓器である。臨床報告事例が少ないとはいえ、肝臓を主な食材とする料理(豚肝臓ソーセージであるフィガテル)は消費者の健康にとってリスクがある。
生ハム、スプレッドタイプ・ソーセージやサラミなどの生の食品については今日までHEV症例は報告されていない。



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英単語のタイプミス(ミススペリング)のこと。"typographical error" を省略した印刷業界の業界用語だったものが一般に普及したもの。単純な打ち間違えによる綴りの誤りを意味するが、転じて、日本語の誤変換などを含む誤入力全般を指す場合もある。
タイポとは|typo - 意味/解説/説明/定義 : IT用語辞典

Typeというと、これまでなら
「○○でsた(→でした)」みたいなローマ字入力でのキーの抜け、
「今日の気分は○○って漢字(感じ)」などの同音異字の変換間違い
などがあったと思うのですが、
最近、別のパターンのものが見受けられるようになりました。

例えば
「どんな環境でも学ぶこと恥ずかしい出来る。」

という感じで文章の中に脈絡のない言葉が紛れ込むパターン。
これってIMEの進歩が原因なんですよね。

おそらく、これって「どんな環境でも学ぶこと[は]」とまで入力したら
「は」の予測変換で「恥ずかしい」が出てきて、そのまま決定しちゃったんでしょうね。

予測変換はたしかに便利で私自身使っているのですが、
このパターンのTypeはパッと見ても気づきにくいので、
ある意味かえって面倒になっているって部分もありそうですね。


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バイク通勤をしている時に対向車などを見てると思うのですが、

以前ならファミリーカーの代表としてあげられていた「カローラ」などの
5ナンバーのセダンって、気がついたらまちなかではほとんど見なくなりました。

沖縄という地方ならではという部分もあるのでしょうが、
一番良く見かけるのは軽自動車。
あと(軽自動車もそのタイプが多いのですが)ワゴンタイプの車。
今「ファミリーカー」といったらこのタイプの車っていうイメージがあるかも。

で、たまにセダンを見たと思ったらそのほとんどが3ナンバー。
スポーツタイプにしろそうでないにしろ「高級車」って雰囲気があるんですよね。

最近の車って「車体に比べての内部スペース(乗員・荷物積載)」を競っている感じがあり、それを実現するだけの技術も伴ってきたために
セダンタイプ、特に大きさに制約のある5ナンバー車は不利ってことなんでしょうね。

というか、今「セダンである」ことの意味ってなんなんでしょうね。

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