のんびりだらだらあれとかこれとか…
あれとかこれとか (Lefty)


沖縄ではあまり見ないので、そのせいかもしれませんが、
県外に出ると時々みかけるセンチュリー21のマークって、見た瞬間「床屋の看板」に見えるのです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( )



とあるショッピングモールにて
コメント ( 0 ) | Trackback ( )



大阪行きの飛行機。こんな翼の飛行機が普通の旅客機であるんですね。
コメント ( 0 ) | Trackback ( )



  ちょっと前に見つけた懐かしいCMの動画です。
 

  で、ここで見てほしいのは前半の「クイッククエンチ」のCMです。
 このコマーシャル、「こんな(スポーツ時)とき噛みたいガムがある」というコピーなのですが、これって、発売当時の事情を思うと、多分「クエン酸がどうこう」というだけではなかったんじゃないかと思います。

  発売当時(1978年)って、まだ「運動するときに水のむな」というのが一般的で、その代わりにレモン(スライス)をかじってその唾液で喉の渇きを癒すということがあった記憶があります。(私は運動嫌いなので実際の記憶は無いのですが、テレビや漫画などでそういう描写があった記憶が…)運動時にすっぱいものというのは今よりもある意味一般的だったわけで、その流れで宣伝もしていた記憶があります。
ただ、結局数年後に普及したゲータレードをはじめとするスポーツドリンクにより、このガムは「運動時に~」という役割から外れちゃいました…まあそれでも味自体に人気があったのか1992年までは発売されてたようです。

  で、話変わってその「運動時には水飲むな」について、これって、上でも書いてますが、私が子供のころはまだまだ一般的で、で、その理由として、「運動中に水を飲むとすぐばててしまう」というのと「わき腹が痛くなる」という話があった記憶があります。
  「ばててしまう」というのは、個人的に実感できなかったし、実際それは迷信だということで現在は運動時の水分補給が重要視されているわけですが、後者の「わき腹が痛くなる」というのは私自身体験していて、なるほどと思ってたんですよね。

 それってどうしてなのかと調べてみたら、下のページにいきあたりました。

雑学・・・ランニング豆知識
走ると体内で腸が上下に動く。このとき、腸に水や十分に消化されていない食物が入っていくと、重みがかかった状態で上下動 が繰り返されることになり、腹部のほかの組織を刺激することになる。結果、横っ腹が痛くなるというわけだ。

  え?そういうことなんですか?ということは運動時に「大量に」水分(その他)を取るのはいけないというのが正解ですね…。
  しかし、そのわき腹が痛くなる原因って、そんな物理的な理由だったんですね…。
コメント ( 0 ) | Trackback ( )



最近テレビやネット上で時々見かける、Superfly

でも、Superflyって文字を見ると。
「やっぱりサモア系なのか?」
「やっぱり相棒はチェーン持ってたりするのか?」

なんて思ってしまうのです。

参考
コメント ( 0 ) | Trackback ( )



久しぶりにメタブログ系の話を。

存在しない前提を持ち出すなよ - ekken?
と、いいや「拾いもの画像」は拾った人のものじゃ! - くっぱのブログ
の話。

  ekkenさんが「議論の余地のある部分」と「議論以前の問題」とを切り分けて質問しているのに、quppaさんが、その意図を理解していない(で、ekkenさんが、そのことを理解していないもしくはする必要性を感じない)のがポイントのような気がします。

  ekkenさんが引っかかっているのは、記事の主題ではなく、あくまでも
ネット上にあまた存在する玉石混淆のフリー画像の中から良いものを拾い集めたら、それは拾い集めた人のものになっているわけで
という部分なわけで、その部分の論理展開はさすがに私も「んなわけないでしょう」と考えます。

  え?理由ですか?
著作権 - Wikipedia
著作権は、著作者に対して付与される財産権の一種であり、著作者に対して、著作権の対象である著作物を排他的に利用する権利を認めるものである。

で十分じゃないですか?
  「ネット上にあまた存在する玉石混淆のフリー画像」について、他人の使用を制限するというのは「著作権を主張」しているわけで、作成者の許可無くそれを行うならそれって、窃盗といってもいいんじゃないかと。実際各ブログサービスの規約にある著作権条項って、そのあたりをクリアするためにあるわけで。

  …とまあ、これで「ekkenさんが切り分けた部分」については終わっちゃうわけですが、それだとquppaさんには説明不足だと思うので、もう少し。

  quppaさんが、その主張を裏付ける例えとして、
いいや「拾いもの画像」は拾った人のものじゃ! - くっぱのブログ

  たとえばAさんがBさんのある身体的な特徴(たとえば、チビとかハゲとかデブとか)に気付くという形で、落ちていた「Bさんの身体的な特徴に関するその注目点」を拾ったとすると、もはやその拾ったものはAさんのものです。
ということをいっているのですが、「身体的な特徴」を拾うというのは、その「拾う」ということ自体があるいみ創作活動なわけで、その時点でAさんとはある意味切り離されているわけです。(写真の著作権は被写体じゃなくて撮影者にある)
  でも、Aさん自体にそれが及ぶわけではないですよね?
  なので、その例えをネット上の画像に持っても「ネット上の画像を紹介した記事は紹介者のものだけど、画像自体に権利を主張することはできない」という結論になると思います。

  とはいえ、この記事の全体をよく読んで見ると、quppaさんが言いたかったのもそういうことじゃないかとは思うんですよ。
  実際記事の最後のほうには
いいや「拾いもの画像」は拾った人のものじゃ! - くっぱのブログ
の全文をがんばってよく読んでみたら
素直に解釈するならば「紹介された『画像のラインナップ』そのものを使用する際には、ラインナップを作成した人に一言コメントをするのがマナー」と考えているとするのが自然であるような気がします。
ということを書いているわけで。
  ただ、こういう「主張」をするときって、結論が妥当なものであったとしても、その途中の論理展開に無理があるとその主張が伝わらないし、ましてやそれがタイトルならそれが一番伝えたいことと思われても仕方ないんじゃないかなと思います。
  結論に自身があるなら指摘されたときにその部分は認めても結論は揺るがないし、「そんな瑣末なことに」ということもできるでしょうが。部分的ではあれ、明らかな誤りを認めないならそれは全体的な説得力にかかわってくるんじゃないかなと思います。



とはいえ、「紹介された『画像のラインナップ』そのものを使用する際には、ラインナップを作成した人に一言コメントをするのがマナー」というのも個人的には「それは無いだろう」と思いますがそれはこの記事の趣旨とは外れるので…。




(4/6追記)
元記事にいろいろ追記されてますが、これ以上こっちが補足しても議論が拡散するだけのような気がするのでひとつだけ。

要するに、どういう状況であれ自分が見つけてきたフリー画像の「画像自体」に対して権利を主張するというのなら、その返事としてはこの記事のタイトルで十分だと考えます。
コメント ( 2 ) | Trackback ( )



エイプリルフールって「嘘をついてもいい日」であって、「言ったことが嘘になる日」ではないんですよね。

…何故そういう勘違いしたのかわからない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( )