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あたりまえ
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お茶を飲むことなんか、平凡であたりまえのことですが
実はこれができません。
忙しく乱暴に手にとって、テレビか新聞を見ながら
無意識にさっと飲んで去る、というのならできますが
鳥の声や風の音に耳をすませながら、ゆっくりと湯飲みを
手にとって、お茶の香りを楽しみ、湯飲みが唇にふれ
お茶が口のなかに入って、その味が全身に響き
のどを通っていく・・・・・
もっとそういうお茶の時間を持たなくては、と思います。
高校生のとき私は喘息に苦しみました。
何とか喘息の発作がおさまったとき
苦しみ無く呼吸できるのは何と素晴らしいことだろう
ふつうに呼吸できるだけで何と幸せなことだろう
何とすがすがしいことだろうと感動しました。
もう何もいらない、何も望むまい
ただふつうに呼吸ができるだけで充分だ、と思いました。
ところがしばらくすると、普通に呼吸できることに
新鮮な感動がなくなり、あたりまえになってしまいます。
もっといい絵が描きたいとか、何とか芸術大学に合格して
好きな絵の勉強を自由にしたいという思いがでてきて
呼吸に対する感謝を忘れてしまうのでした。
昨夜に続いて『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』の著者
井村和清医師です。死の直前に書かれた詩です。
(前にもこのブログに載せたことがあります)
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「あたりまえ」
あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえとだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのはそれを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
昭和54年1月1日 井村和清