「光強ければ影も濃い~歴史の多面性を伝える世界遺産に」というテーマで、ジャーナリストの江川紹子さんが興味深い記事を書いております。(6月1日 17時24分配信)
今、話題になっているユネスコの世界遺産登録(「明治日本の産業革命遺産」福岡、長崎など8県の23施設)をめぐる問題についての記事です。詳しくは以下で全文が読めます。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20150601-00046208/
記事によると、『「日本が植民地支配していた時代に朝鮮人5万7900人が強制徴用された。強制労働の事実から目をそらし、単なる産業革命の施設として美化することは歴史をゆがめる」として、強い口調で反対意見を表明した。朴槿恵大統領も訪韓したユネスコの事務局長に、反対の意思を伝えた。中国もこれに同調。これらの施設で戦時中に強制連行された中国人らが苛酷な労働を強いられたことについて、日本が責任ある対応をしていないとして、反対を表明した。
これに対し日本側は、「非西洋国家に初めて産業化の波及が成功したことを示すもの」と文化的価値を強調し、遺産の対象時期は1850年代から1910年にかけてであり、戦時中の強制労働問題とは時期が違う、と主張。先月22日に行われた日韓の事務レベルでの協議も平行線に終わった。実際に遺産登録されるかどうかは、7月初めにユネスコ世界遺産委員会の審査で決まる。 』
そして、死亡率の高さから彼らは消耗品として扱われていたことがうかがえると。
『政府も地元も、日本側は戦時中の負の歴史にはできるだけ触れず、日本の近代化を牽引した、輝かしい歴史のみを伝えていきたいようである。そんな中でも、現地では、負の歴史を語り継ぐ努力も、細々とではあるが、なされている。』と。
三池や大牟田市を訪ね、色々な方にインタビューして<歴史の光と影を伝える文化遺産に>と、記事は書かれています。
長野県には飯田日中協会が中心になって、平岡ダム建設に動員された中国人殉難者がどれくらいいたのか、どれくらい死んだのか、詳しく調べ冊子に残している。慰霊塔が建てられ、毎年慰霊祭が行われている。生き残った中国人の方が招待され慰霊祭にも参加したりしたこともある。私の実家は栃木県ですが、足尾銅山にも、たくさん強制連行された朝鮮人の方がいたと父から聞いたことがある。
いったい日本全国にどれくらい強制連行された殉難者がいたのか、それはどこなのか、死亡率はどれくらいだったのか、知りたくなりました。
歴史を伝えるということは、加害の歴史も被害の歴史も両方を伝えなければと思います。日本が植民地支配をしていた歴史をまったく知らない若者ばかりでは、恥ずかしいです。
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