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「戦後中国残留婦人考」

2019年06月16日 06時14分42秒 | 取材の周辺
 昨日、自主上映映画「戦後中国残留婦人考」を見に行きました。
第1印象は中途半端な感想を持ちました。帰り道、なぜだろうと考えた時、神田さち子さんを主役にするか、小林千恵さんを主役にするか、はっきりしたスタンスで作るべきだったんじゃないかな、と、思いました。
 
小林さんが主役なら、神田さんによりかかりすぎで、映画の三分の一近くを(もっと少ないかも)、神田さんの北京公演の場面を使っているのは、断片的とはいえ、「帰ってきたおばあさん」はDVDにもなって販売もされているわけだから、映画としてどうなんだろう、ルール違反じゃないかな思います。出演料を払って本人は了解していたとしても。神田さんの一人芝居で残留婦人を語らせるやり方は安易だなと思いました。それに、最初の頃は小林さんがインタビューしていて途中から神田さんがインタビューしている。この辺も違和感の湧き出るところ。
 思い切って、神田さんを主役にして、神田さんの一人芝居「帰ってきたおばあさん」を中心に、神田さんのインタビューでまとめる。それを小林さんが取材している。という作り方だったらスッキリするように思いました。
 
 小林千恵さんが、自分で折った折り鶴を残留婦人にプレゼントするシーン。「千羽鶴を折るのがこんなに大変だとは思わなかった。」と言って泣くんですが、そのシーンも引きました。何の涙?残留婦人のつらさの何がわかっているの?と、ちょっと心の中で噛みついていました。辛口ですが正直なところ。

 最初、私がインタビューした方が、8人中2人いると思いましたが、田中信子さんは同姓同名でした。岩本くにをさんは、2013年にインタビューしました。岩本さんも中平先生もご家族もいい感じで映っていました。ただ、岩本さんが残留することになった原因がちょっと事情を知らない人にはわかりづらかったのではないかと思いました。
 私が一番いいと思ったのは、後半シーンです。残留婦人が、複数の子、孫、曾孫世代の大家族に囲まれてみんなで食事をしているシーンです。カメラを意識しないで思い思いにみんなが好きなことを言っている。一人の残留婦人からその大人数のテーブルを囲む人たちが広がったっていう命のつながりにも敬意を表したいと思いました。野垂れ死なないで、自決しないで、よくぞ命をつなぎましたねって。拍手を送りたいような気持になりました。

 ただ、ざっくりいうと、なんでもいいのです。残留婦人のことを世に知らしめて、人々の記憶に残るなら。それは映画とか演劇の力はとても大きいと思います。だから、よく映画にしてくれましたね。って感謝の気持ちです。

 神田さんも会場に来ていて、久しぶりにお会いしました。今、本を書いていて忙しいということでした。七月出版予定とのこと。
 ちょうど私も残留婦人の本を書いておりまして、同じころ出版できるでしょう。神田さんは有名人ですからきっと話題になって売れることと思います。私の本は、「書き残しておかなくちゃ」というだけのものですから、少数の興味のある方に読んでいただけるだけでしょう。売れる本ではありません。研究書ではなく読み物です。彼女たちがどんな人生を歩んできたか、それを伝える本です。本人と支援者、全国の都道府県立図書館やお世話になった方々に送ります。
 題名は、『不条理を生き貫いて 35人の残留婦人たち』です。A5サイズで約600頁。何部刷ったらいいか、定価をいくらにしたらいいか、わかりません。自費出版ですので、詳しい方がいらしたらアドバイスをお願いします。

 1日10時間以上パソコンに向かっている生活を続けていると、目、肩、腰にきて、この歳でこんなことをしている自分が幸せなのか不幸なのか、時々わからなくなります。この後、『孤児編』も『WWⅡ編』も出版予定です。





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