私たちのまわりには、年下の困った子たちが何人もいます。
そしてみんなに共通していることは、
自分で自分がわからない、なにを悩むのかさえわからない、
人のことが信じられない、頼ったことも甘えたこともなくて、
まるで自分ではない、もう一人の自分を作ってぎりぎりの境界線で生きているような。
その不自然さに気がついて、原因を探ったり何かを知ろうとするエネルギーがあればよいのですが、
まだその状態にすらなっていない子たちが多いのです。
親に安心感を持てなかったり、恐怖や怯えを伴う辛い経験を繰り返したこどもは、歳を重ねても小さい子どものまま。
仕事や恋愛がうまくいかないのは、そんな原体験がいつも影響してる。
こんな子たちを間近で見ていると、そのこころの仕組みが私には手に取るようにわかります。
まわりにいる人たちにできることは、
個人を認めてあげる、ほめる、よかったね、えらかったね、がんばったね、と言ってあげること。
それから一緒にごはんを食べて、たくさんあるからゆっくり食べていいよ、安心してゆっくり食べていいよ、
と言ってあげること。食べ物やお酒をひとつひとつ“味わう”楽しみを教えてあげること。
そして、時には叱ってあげること。
なのだなと思います。
自分の経験でわかったこと、感じたことを、まるで自分の子どものような彼らに、
そろそろ伝えられる時期に入ってきたのかな。
そんな人生のあれこれ話を、大人たちで語った昨夜のメニューは、
おでん、ポテトサラダ、いかなごの天ぷら、ツルムラサキの卵とじ、キャベツのツナ煮、あなご飯。
近江の美味しい純米酒とともに。