気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

母 ・・・187. : うちをととのえる ・・・ 情操(きもち)

2011-01-07 11:30:24 | Weblog
夫が遅く帰宅して 茶の間でお茶を飲むだけなら

ほかの部屋は散らかしておいても

  ・・・ 別に文句はいわれないでしょう。


靴をそろえておけば

下駄箱のなかが汚れていても

  ・・・ かまわないはずです。


子どもも必要品がととのえられれば

家中無秩序に物が散乱していても

  ・・・ 平気でいます。


掃除がいやなら ほっといてもいいのです。


しかし それができないのが母心というものなのでしょう。



そこに母の美しい情操(こころ)があります。


母は きちんとし整然(ちゃん)としていたいのです。


水と油 上と下 内と外 清と濁 表と裏 浄と穢

  うちとよその一切を

在るべきところへあらしめたい
 
  ・・・ という本能が強く働いているのです。


しかも

  誰にもほめられず

  みられないところにも ・・・ その心はおよんでゆきます。


ここに家庭の調和 秩序 整頓 マナーとモラル

  ・・・ 精神性まで築きあげられるのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・186. : うちをととのえる ・・・ 潔癖感

2011-01-07 09:00:29 | Weblog
母は
  食卓の上を散らしたままで テレビをみていることができない。

  塵のたまった部屋でつくろいものをしたのでは 落着かない。

  汚れものを流しのなかへ積み上げたまま 外出しにくい。

  洗濯物をとりこんで山積みにしておくのでは 気がすまない。

  ・・・ そうした潔癖感の持主であり

「あとで困るから」という実際上の便利さが

  ・・・ たえず頭の中に鳴り響いている女性なのです。


それも

  ・・・ 反射的に 当り前のことのように起こってくるのです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・185. : うちをととのえる ・・・ 気持ちよさを味わう

2011-01-07 07:30:08 | Weblog
父が いくら整理の名人でも
 
  ・・・ それは実際役立たないのです。

母が 「毎日」のたゆまぬ片づけ手であってこそ

  ・・・ 家は整うのです。



母は 義務として片づけものをしているのではありません。

自分の管理するすべての品々を

  元の在り場に置かねば安堵できない心が そうさせるのです。


天のものは 天へ

地のものは 地に返すことに

  ・・・ 自然の気持ちよさを味わう人なのです。




* 2010.11  東ブータンで






母 ・・・184. : うちをととのえる ・・・ 整理整頓

2011-01-07 06:00:36 | Weblog
母は 毎日 整理整頓の生活をしている人です。


不要なものを捨て

必要品を置くべきところへきちんと収めておく仕事は

  ・・・ 母の日常業務です。



家事というものは

道具や器を使って家族に食事をつくり

身の回りを世話すると同時に

  ・・・ それをまた元へ戻す仕事です。


そして 自分もふくめて

道具をいつでも使えるように一定の場所に収納しておくこと

爪切りは引出しの何番目

タオルは脱衣所のどこ

ロウソクや懐中電燈は台所の引き出しの下とか

  ・・・ 収まる場所が整然ときまっている。


その管理者 収納場の決定者はお母さんです。

ですから 母は

暗闇の中でも「いざというとき」必要品をとり出してくれる。



客が来れば座布団を出す。

帰ればかたづける。

茶器も おしぼり入れも 菓子器ももとのところへ片づける。


片づけて はじめてほっとする。

落着く。

  ・・・ それが母心です。


散らかしっぱなし 使いっぱなしを好まない。

だらしないこと 無秩序なことが嫌いなのです。

  ・・・ これは母の身にそなわったマナーといえましょう。



整理の嫌いな母は

  家事をとりしきることもいやがるし

  ・・・ こざっぱりした家庭の装いを好まない。

ムダにたいする神経の働きもにぶい。


子どもも当然 ・・・ だらしない人間となる。




* 2010.11  東ブータンで




 

母 ・・・183. : 家庭をととのえる心 ・・・ 母の精神活動 

2011-01-07 05:24:02 | Weblog
外気をそのまま家庭にもちこめば

  ・・・ 家庭の個性はこわれてしまいます。



家庭というフィルター(ろ過作用)を通してこそ役立つのです。



そのフィルターの役割を果たしてくれるのが

  ・・・ 母心であるということ


フィルターを身に備えるには

抽象的・知識的な「外」の流れを

  具体的な知恵に変える母の力がなくては

  ・・・ 不可能であるということ


文学講座や母親学級 あるいは市民大学に出かけて学んでも

それが 子どもへの教育や
 
  夫への広い理解となって生まれ変わり 再生産されなくては

  ・・・ かえって家庭や家族のマイナスにしかならないこと


それを ・・・ お母さん方に自覚していただきたいのです。



「家をととのえる」というのは

そうした

  母の精神活動そのものをさしている ・・・ のです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・182. : 家庭をととのえる心 ・・・ 「内」の世界 

2011-01-07 05:23:01 | Weblog
母が 「衣食住」の三つの面白味をもっていれば

子どもも外へ出たがらないし

家庭という溶鉱炉で 人間に大切なロマンと現実の両方を

  ・・・ 学びとってゆくでしょう。



もちろん だからといって ・・・

母が 家庭にへばりついて視野を狭くし

家事の奴隷になっていなくてはならないなどと

  ・・・ 考える必要はありません。


社会の情報や動きは大いに吸収して下さい。



子どもとも語りあうべきです。

しかし

家庭は「外」ではなく ・・・ 「内」の世界です。

そこに

肌のふれあい 温めあう人間の血液が流れている独自さ

  ・・・ を忘れてはなりません。


物価高の問題が

  一個の豆腐 一本の大根におきかえられ

「モノ」を「衣食」という具体的なところで考え 語り合ってゆく

  ・・・ のが家庭のよさなのです。


「戦争」を「人間の殺傷と痛み」でとらえるところに

  ・・・ 家庭の人間性がでてくるのです。



家庭管理と企業管理の一番のちがいは

企業管理には

  「利潤追求」金もうけという欲望が土台になっているが

家庭管理には ・・・ それがないということです。




* 2010.11  東ブータンで





母 ・・・181. : 家庭をととのえる心 ・・・ 贈り手

2011-01-07 05:21:52 | Weblog
いまの世の中は

  誰もが精神の個室を求めているのです。


すぐれた母心は ・・・ その贈り手です。



難しく考えることなく ・・・

家庭が自然の一部であり

そこに母が落着いて家事にいそしんでいれば

  人々はやすらぐ ・・・ ということに自信をもって下さい。



ハウ・ツウの家事管理論や

  「生活のない」女性評論家の本を読むヒマがあったら

・・・ 漬け物の工夫をこらして下さいな。




* 2010.11  東ブータンで